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アネモネの言霊   作者: 水無月 桜黒
第二章 過去と信頼
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 先代は諦めていなかったのだ。愛しい女性とその間に生まれた我が子を。例え死んだとしても、墓の場所でもいいから知りたかった。

 

 もはや執念とも呼べる想いで、手の者を走らせすぐに真偽を確かめた。そしてそれは真であると、そう遅くはないうちに知ることが出来た。

 

 愛する彼女は既にいなくなっていた。しかし、息子は生きていた。

 生きて、自分と同じ目で世界を恨みながらも強く前を向いていた。それだけで、先代は今までのすべての苦悩が消えてなくなったような感覚を覚えたという。



「親父がどう手を尽くしたのか知らないが、俺はアクイン家に迎え入れられ跡取りとしての教育がされた。もちろん、庶子でしかも平民である俺を周囲は冷たい目と爪で攻撃してきた。それでも俺が今アクインを名乗ることが出来ているのは、全部親父のおかげだ。親父は母への愛を忘れたわけじゃなかった。同時に俺への愛も変わらずに持っていてくれた」



 さらに、もう一つゲーティスとして予想が出来なかったことは継母である床に伏せっていた婦人がゲーティスを受け入れてくれたことだ。

 彼女も己の葛藤と戦っていたのだ。子が出来ず、周囲から役立たずと罵られる中で自分と同じ苦しい状況下にいても生きることを諦めないゲーティスに慈しみを持って接した。

 婦人と先代の間に真実の愛はなくとも、互いを思いやる友愛のようなものはあったという。その二人が貴族の荒波からゲーティスを守っていた。



「親父も亡くなって、俺が家名を継ぐときとある貴族の夫婦に助けられた。その人達には今も恩義を感じているし、いつか返したいと思っている。いまだに貴族はくそくらえだと思っているが、それでも俺は今こうしているわけだ」



 これで終わり、というように長く息を吐く。

 想像もしなかったゲーティスの過去。この真実を知っている人間は、今はほとんどいないらしいが、それでも社交界に出入りする何人かの古参貴族は今も当時をこけおろしゲーティスを陥れようとしているらしい。

 ゲーティスにとってこれを語ることになんのメリットもないはずだ。

 それでも自分に語ってくれたのは、信頼してくれているからだとヴェルーナはわかった。

 ゲーティスは自分を信じてくれている。

 だったら、自分もゲーティスを信じていいのかもしれない。


「……私は」


 ゆっくりと言葉を紡ぎだしたヴェルーナに、黙ってゲーティスは寄り添った。



「私は、貴族の両親に捨てられたの。この、力の所為で」



 奇しくも、ヴェルーナとゲーティスは同じ原点だった。

 貴族に捨てられた母と貴族に捨てられたヴェルーナ。二人は似て非なる境遇だった。



「私が本当に小さいとき、強すぎるこの力を疎んだ貴族の両親がここから遠いところにある寂れた孤児院に私を捨てていった。名前も付けず、衣たった一枚を着せただけであとはもうごみ同然に孤児院の前に置いて行かれた」



 多分、五歳くらいのときだったと思う。正確には不明でも、物心ついたばかりの頃だった気がする。

 

 そこの孤児院は、劣悪を極めたようなひどい場所だった。

 常に悪臭が漂い、食事は一日一回薄いスープ一杯と堅いパンが半分用意されるだけであとは農作業や労働にすべての時間を費やさなければいけない。逆らえばムチ打ちだった。 

 ヴェルーナ自身、当時のことをよく覚えていない。心が壊れないように、忘れさせているのかもしれなかった。それだけひどい場所だった。

 幼いヴェルーナはまだ感情を上手く制御出来ず度々力を暴走させ周囲を破壊し傷つけていた。

 化物。悪魔の娘。呪われた子。

 あらゆる言葉で罵られ、攻撃された。叩かれ、蹴られ、石を投げられ、ムチを打たれた。


 ついに食事さえも抜かれ、ただ死を待つだけだったヴェルーナを救い出してくれたのは白衣に身を包んだ一人の男だった。



「びっくりしたよ。真っ白な法衣を着ていて、最初は本当に天使様が迎えに来たのかと思ったくらい。…でもきっと、私にとっては本当に天使様だったんだ」



 ヴェルーナを地獄から救い出した男は、旅を続けるさすらいの牧師であった。

 各地を旅し、多くのものを見てきた男は名も無き少女に名前を与え言葉をさずけた。



「この名前も、生きていくための術も字の読み方も全部師匠が教えてくれた。師匠は私の力が暴走しても、ずっと傍に居てくれた、私を抱きしめてくれた」



 それだけで、すべてが救われた。

 師匠に拾われてしばらくのうちは、どこかの森の奥の小さな家で二人だけで暮らしていた。

 時の流れが遅く、日が昇ると共に起き日が沈めば暖炉に火を入れて食事をし、やがて眠りにつく。そこにヴェルーナを傷つけるものはなかった。

 人とほとんど接しないことで、壊れかけていたヴェルーナの心はゆっくりと癒えていった。


 けれど、一度だけ師匠に黙って街に出たことがあった。恐らく十二になるかならないかくらいの時だ。

 その日はもうすぐ冬の祝い事が近くに来ていて、ヴェルーナも森の中でその支度に勤しんでいた。俗世に触れずに生きる二人は、無駄な飾りをせず草木を飾って祈り普段よりも少し豪華な食事を作るだけだ。

 しかし、その年の頃ヴェルーナが読んでいた本に冬の祝い事では大切な人へ贈り物をするのだと書かれていた。確かに毎年この日は師匠が街から本や菓子やらを土産に持ってきてくれる。ならば、今年は自分が師匠に送りたいとヴェルーナは考えたのだ。


 師匠が街へ出ている隙を狙って、森を出て近くの街に行った。師匠に黙っていくことの僅かな罪悪感と贈り物を渡したときの喜ぶ顔、初めて見る街を想像して抱いた期待を胸に少ないお小遣いを持って、家を出た。

 冬の祝い事で華やいだ街は、どんな朝焼けよりも綺麗だとそのときのヴェルーナは思った。

 誰もが笑い、幸せそうに街を行き交っている。なんて素敵な光景なんだろう。なにも知らないヴェルーナはすべてに目を輝かせていた。


 師匠と共に暮らしていたことで忘れていたのだ。人には悪意があるのだと。人は異端を嫌い退けるために力で排除するのだということを。


 贈り物を買いご機嫌で歩いていたヴェルーナは、街の教会の脇がなにやら騒がしいことに気づき近づいた。人の合間を縫って見た光景にヴェルーナは息を呑んだ。

 まだ幼い兄妹が、数人の大人に囲まれ責め立てられ蹴られたり棒で殴られたりしている。大人達は口々に異端児、街の害、悪魔の使いと言っていた。

 じっと耐える兄の腕の中にいた妹は、白に近い灰色の髪に赤い目をしているのが見えた。

 気づいたときには体が動き、自分よりも何倍もある大人を押しのけ兄妹達を背中に庇い大きく手を広げていた。

 そのとき大声でなにか言ったのだと思う。もうよく覚えていない。恐らく、大人達の行動を非難していた。

 しかし、負けず劣らず大人達はヴェルーナを怒鳴りつけ最後にはヴェルーナに棍棒が振り下ろされた。



「…そのとき、初めて力で人を傷つけた。気がついたら石畳が抉れて人がたくさん倒れてた。そして…」




 ―化物!




 今はもう聞こえないはずの幼い声から逃げるようにヴェルーナは耳を塞いだ。蹲って、下を向いて痛みに耐えた。

 その手をそっと掴まれる。

 自分よりも大きな手のひらが、小さなヴェルーナを包み込んでくれる。

 落ち着くとまた、一つ一つ思い出しながら口を開いた。



「そのあと、教会にいた師匠に助けられて家に戻って…。あの時から少しずつ、師匠と一緒だったけど旅をして街に出るようになった。人は悪意を持っている、異端を嫌って傷つける、そのことから逃げるために人を学んで逃げ方を勉強した。そうしていくうちに自分を捨てた両親が貴族であること、捨てた理由がこの力だってことを知った。笑っちゃったよ、そのときは。現実って本みたいな綺麗事じゃないんだって」



 本の中で、親というのは子供の一番の理解者で味方だった。無償の愛をくれる存在だった。しかし、ヴェルーナにはそれがなかった。

 むしろヴェルーナが与えられたものは、孤独と痛みとこの使えもしないただ邪魔なばかりの力だった。

 そして次第に、ヴェルーナは人の醜さを知った。



「あんたの言う通りだよ。私は臆病なんだ。もし信じてこの力を打ち明けたとき、また化物って言われるのが怖い。…自分が傷つくことが怖い」



 ぎゅっと握られた手に力を込めた。

 大きな手はびくともせず、むしろ柔らかくそっと握り返された。



「ねえ…私、あんたのことを信じたい。あんたに受け入れてもらいたい。…ダメ?」



 顔をあげて、ゲーティスを見つめる。

 ゲーティスもヴェルーナを見つめていた。


 ルビーと菫はじっと互いを映し合う。


 ふっと、小さく息が漏れた。ゲーティスが笑ったのだ。



「馬鹿、当たり前だろ。存分に信じろよ。俺は、どんなお前でも信じて、受け止めてやる」

「本当に?」

「本当だ」



 そう言って伸ばされた手が頭に乗ると、乱雑にぐしゃぐしゃと掻き回される。

 唐突のことで目を白黒させたが、その手は優しかった。



「…だから、お前も何があっても前を向け」


「え?」

「受け入れたくない事実を知る日がいつかきっと来る。その時に足を止めるな、前を向け。痛かったら俺が背負ってやる。だから、未来に進むことを諦めるな」



 パキリ、と音がした。

 その音は心地よくて、少し怖かった。変わっていく自分を実感出来る音だったから。

 気が付けば、ヴェルーナは笑っていた。

 声を出して、心の底から、青空に木霊するようなまっさらに笑った。

 身体が軽い、心が軽い。なにか一つ、憑き物が落ちたような気がした。

 ゲーティスはそれを見て、ただ慈愛の目で彼女を包んでいた。


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