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激高した騎士はついにその腰から剣を抜いた。もう一人も加勢するのか、既に剣を構えている。
咄嗟に懐に手をやったヴェルーナだが、そこにあるはずのものがないことに気づいた。
(そうだ短剣…!ジャックに預けたままなんだった!)
ゲーティスの執務室に行ったとき、ジャックに拾われた護身用の短剣は必要であるとき以外はジャックが持っている。何故かというと、単純に危ないからだそうだ。
騎士見習いに帯剣は許されていない。よって今のヴェルーナは丸腰だ。魔術が使えれば話は別だが、まだ防御や攻撃に使えそうな魔術は習っていない。
歯を強く噛み締め、足に力がこもる。何がどうあれ、後ろの娘に被害が行くことだけは避けなければいけない。
ヴェルーナがなにも出来ないことを察したのか、片頬をあげ嘲笑を浮かべる。その程度に止めればいいものを、どうやら腹の虫がおさまらないらしい。剣先をあげ、ヴェルーナめがけて踏み込んだ。
剣に気を取られていたヴェルーナはギリギリで避けたが、余裕がないことを悟られ振り下ろしたそのままからの裏拳で頬を殴られた。
かっと火が付いたように痛みが奔るが、それに気を取られるわけにはいかないと今度こそ集中して相手の攻撃を見切っていく。
一度攻撃が決まったことで一時は調子づいたようだが、中々次の一手が決まらないことに相手が苛立っていることがわかってきた。太刀筋も荒く構えもなっていない。そもそも意識が他所に行っていただけで、彼ら程度の腕はヴェルーナの足元にも及ばないことは明らかだ。
ついに我慢が限界に達し、剣が引かれ即座に突きを繰り出した。
まずい、やられる。
そう思ったときだ。
「カァッ!」
遥か遠くの空から、真っ白な光りが矢のごとく突っ込んできた。
光りは騎士の顔すれすれに急降下し、さらにもう一度飛翔すると今度は彼らの視界を邪魔するように大きな翼をめいっぱいばたつかせて鋭く鳴きながら威嚇をした。
「な、なんだこいつは!」
「くそ、いたっ!いたたたっ」
騎士達の振り払おうとする手を華麗に避けて、翼で顔を殴ったりその鋭い鉤爪で手の甲を引っ掻いたりネッピは果敢に攻撃を続ける。相棒のピンチを空の上から見つけ、いてもたってもいられなかったのだろう。今のヴェルーナにはこれ以上ない、心強い味方だ。
「この、馬鹿鳥が!俺の邪魔をするな!」
ついに堪忍袋の緒が切れた騎士の一人が剣を振り上げる。このままではネッピが切られてしまう。
ヴェルーナは剣が振り下ろされるよりも早く相手の懐に潜りこみ溝内に容赦ない拳を入れる。相手が身体をくの字に曲げ力が半減したところに再び溝内に今度は蹴りを入れて後方へ吹き飛ばした。
一人を始末すればあとは簡単だ。
がむしゃらに攻撃してくる剣を危なげなくくぐり抜け、あご下めがけて垂直に蹴り上げる。がちんっと歯と歯がぶつかり合う音がした。そして、すぐさま回し蹴りを食らわせ同じく後方へ吹き飛ばす。
剣を落とし、こっぴどくやられた騎士達は立つ力もなく情けなく地面に伸びた。
ようやく一息つくと、ヴェルーナはすぐさまネッピをその腕に抱き込んだ。
「ネッピ!ありがとう、来てくれて」
「カァッ」
「うん、ごめんね心配かけて。本当にありがとう」
「カカ、カァッ」
ヒヤヒヤさせるなよ、相棒。
ルビーの眼をくりっとして、ネッピはヴェルーナを見つめる。それだけで、ヴェルーナにはすべてが伝わるのだ。
思わぬ助太刀にほっとし、ヴェルーナが振り返って娘の無事を確認しようとしたときだ。空気をつんざく悲鳴が上がった。
「な、なななな…なんだその鳥は!?か、鴉か!?何故そんなに白いんだ!」
騎士は口をパクパクとさせ、わななきながらも大声で叫び散らかす。震える指はネッピを真っ直ぐに示していた。
この反応は、今までに何度だって見たことがある。
ネッピを見た人間は皆、白い鴉に驚き怯え、そしてこう言うのだ。
「真っ赤な眼に白い翼…あ、悪魔!悪魔の使いだ!」
この国には宗教上いくつか信じられているものがある。その一つにこういったものがある。
血潮の眼に穢れのない真白の身体を纏う者、地を這いずる悪魔の使者なり。
極稀に生まれる赤い目と病的なまでに色の抜けた白い体毛あるいは肌を持つ生物は、古くから悪魔の使いとして忌み嫌われ迫害されてきた。
そして、そんな悪魔の使いと接する者こそ、悪魔であると思われていた。
「悪魔!あ、悪魔の娘め、化物!」
ずきりと、心が串刺しにされる。
もう慣れた痛みだ。だが痛くないわけではない。苦しいし、痛いし、辛い。頭の奥で色々な声が重なって、ヴェルーナを責め立てた。
『お前は化物の子だ。悪魔の落とし子、災厄の種。誰もがお前を忌み嫌う』
身体の奥底からふつふつと何かが膨れ上がってくる。徐々にヴェルーナから感覚を奪っていくそれは、化物という言葉で水を与えられた植物のごとくぐんぐんと育っていく。
(ああ…ダメだ。こんなところで、力が暴走したら…)
きっと騎士だけではなく娘までも傷つけてしまう。魔術の扱いだってやっとなのに、今の自分では制御出来る見込みなんてどこにもない。しかし、誰かを傷つけるよりも怖いことがある。
黒騎士団の皆の顔がふっと浮かんだ。一様にヴェルーナに笑いかけてくれる、あの暖かい表情が思考を鈍らせていく。彼らの顔が悲しみに、失望に、嫌悪に歪むところなんて見たくなかった。
もうダメだ、力が抑えられない。
バランスを崩していく中、宙に腕がふわりと投げ出される。指先の温度すらもうわからなかった。
刹那、勢いよくヴェルーナは重力に逆らって引き上げられた。