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アネモネの言霊   作者: 水無月 桜黒
第二章 過去と信頼
14/39

13


パタリと閉じた扉の向こうからはもう、なにも聞こえない。



「あーあ…」



 誰もいなくなった部屋はしーんと静まり返っていて、自分の呼吸音すらもうるさく聞こえてしまう。最近朝から晩まで騎士団の業務にひっついていたので、一人の時間というのは就寝前の僅かな時間だけだったのだ。旅に出ている間もネッピがついていてくれていたし、存外自分は一人の状況を経験したことが少ないのかもしれないと、ヴェルーナは暇つぶしがてら自己分析をする。

 

人間は短期間でも簡単に変わってしまうものだと思う。

 あれほど貴族嫌いを突き通していたヴェルーナが、今まさに貴族の集団ど真ん中で生活しているとは一体誰が想像できようか。きっと、過去の自分ならありえないと鼻で笑い飛ばしている。


 それもこれも、彼らはあまりにも貴族らしくないのだ。

 仕事で汗をかき、仲間を励ましからかい叱咤して、街に仕事で出たときは分け隔てなく問題の解決に尽力する。そんな騎士が存在するなんて思っていなかった。騎士は騎士でも、所詮貴族。自分の意思が通らなければ癇癪を起こすような、自分の利益を考え格下を見下し異端を何よりも疎むものだと、そう思っていた。それなのに、まるで彼らは。



「物語の中の騎士様…みたいじゃない…」



 まだヴェルーナが外をあまり知らない頃。憧れていたものがあった。毎日毎日、たった一冊の本を繰り返し読んでは手に入らないそれが大好きだった。


 正義の味方で、ピンチのときに絶対に助けてくれる私だけの騎士様。


 懐古の思いに身をゆだねていると、外からくぐもったなにやら言い争いの声が聞こえてきた。

 机に伏せていた身体を起き上がらせ、窓辺へ近寄る。

 覗き込むと木の影で僅かに見えにくいが、人が三人建物の壁沿いでなにやらもめているようだ。よく見ようと、目を凝らす。

 三人のうち、こちらに背を向けている二人は騎士だ。マントや何かしらの装飾品は見えないので平の騎士なのだろう。そして、壁際に追い詰められている一人。身を乗り出してその姿を確認するや否や、ヴェルーナは目を見開いた。


 即座に窓を開け、窓枠に足をかける。ここは二階。正面の木の枝に上手く飛び移れれば、下手に階段を使って下に回るより速い。

 その身を宙に躍らせると一瞬で木に飛び移ることが出来た。三人の頭上に来たことで会話がよく聞こえた。



「…めてくだ、さい…!」

「いいじゃん、別に。金取ろうとしているわけじゃないんだし、さ」

「むしろ、俺達と遊んだ方が飯炊いているよりも得なんじゃねぇの?」



 ぎゃははと下品な笑いが眼下から湧いてくる。それだけで吐き気が催してくる。

 騎士の一人がさらに言い募ろうと一歩進んだとき、ヴェルーナは勢いよく木の上から飛び降りた。



「きゃっ!?」

「うおっ」

「なんだっ」



 突然上から降ってきた乱入者に目を白黒させている間に、一人に足払いをしかけ壁際の人物を背後にかばった。



「…怪我はない?」

「…あ、は、はい…」



 追い詰められていたのはヴェルーナよりも一つか二つ年下に見える娘だった。

 姿、身につけている服装から見て騎士団の食堂で働いているのだろうか。昼食の時間は既に過ぎている。恐らく仕事が一段落したので、これから帰路に着くか休憩でもしようと外に出ていたのだろう。そこを、運悪く業務をサボっていた不良騎士二名に捕まったわけだ。


 尻餅をついて呆然としていた騎士がはっと我に返り、みるみるうちに顔を真っ赤にさせていく。もう一人も呆気に取られていたが、こちらも目を吊り上げた。



「貴様、いきなり入ってきて暴力とはどういうつもりだ!」

「俺達が何者か、わかっているのかっ」



 随分威勢のいいことだ。

 ヴェルーナは怒りよりも、自分の心を氷に変えていく。もはや怒鳴る気すら起きない。



「あんた達が何者かなんて知らないし、どうでもいい。嫌がる女の子にしつこく言い寄ってる時点で、貴族の前に男として終わっているわ」



 心底吐き気がするというのを隠そうともしないで、むしろわざと表し騎士を睨みつける。

 鋭い眼光に怯みかけたが、すぐに傲慢無礼な態度に戻り嘲笑を浮かべた。



「お前、最近黒騎士団に入ったとかいう平民の女だな?」

「…だったらなに」



 まさか、そんな末端にまで知られているのかとヴェルーナはため息をつきたくなった。


 騎士団にしばらく身を置いてわかったことがいくつかある。

 一つは、黒騎士団に平民の女が入団したことが広まっていること。これについては、いやでもそうなるだろうと思っていたので問題ない。というより、黒の騎士服を着ている赤髪の女が歩いていれば目立たないわけがない。

 もう一つが、ヴェルーナが平民だとわかっていても盗賊であったことはバレていないことだ。

 平民ということが漏れている以上、盗賊であったことも広まっていると思ったがゲーティスが上手く情報操作したらしく黒騎士団の人間以外は誰もヴェルーナの素性を知らなかった。黒騎士団の人間が外に喋ることもありえないので、この先もバレることはないだろう。

 しかし、問題も発生した。



「…はっ、団長に言い寄って汚い手で黒騎士団に入った下民か。本来なら、騎士団に近づくことすら許されないくせに」

「まったく、黒騎士団も落ちたものだな。エリートが揃う国一番の騎士の象徴ともいえるというのに、たかが小汚いどこの骨とも知らぬごみを引き入れるとは」

「……」



 曰く、その女は団長に色仕掛けで迫り黒騎士団に入った。


 曰く、騎士団に入ることで己の地位をあげあわよくば貴族の地位をかすめ取るつもりである。そしてそのために団長だけでなく、多くの騎士達をたらしこんでいる。

 

その噂は、そう時間がかからずにヴェルーナの、そして黒騎士団の面々の耳に入った。

 勿論そんな事実無根のホラ話に怒り狂った彼らはあわや流血沙汰にしてまで打ち消そうとしたらしいが、そんな血気盛んな彼らを止めたのはほかならぬヴェルーナだった。

 

ヴェルーナにはわかっていたのだ、いずれこうなることが。そして、ゲーティスも想定済みだったのだろう。彼は苦い顔をしながらも、ヴェルーナの意思を尊重し、噂に関して一切の関与接触を禁じた。

 ヴェルーナの中で、黒騎士団は既に大切な存在だ。彼らが自分のことで憤ってくれることは何よりも嬉しいが、それと同時にもしここで不祥事を起こし彼らの名に傷がつくことがあればヴェルーナは悔やんでも悔やみきれない。

 ヴェルーナが言い返さないことにいい気になったのか、二人はさらに態度を大きくしていく。



「所詮、下賤な者は下賤だな。俺だったら一時間でも耐えられないね、平民と肩を並べて仕事をするなんて」



 ぴくり、とヴェルーナの肩が揺れる。



「団のあぶれ者が、エリートだなんだって言われても結局はこの程度。まったくもって騎士の恥だよ」

「……れ」

 


地獄の底から響くような低い囁きが、己の口から漏れる。

 様子がおかしいことに、二人は訝しんだ。しかし、相変わらずニヤニヤとした顔は変わらない。

 自分が正しいと微塵も疑っていない。



「揃いも揃って情けない。アクイン団長も落ちぶれたものだ。名家のアクイン家当主ともあろう男が、平民あがりのこんな安っぽい汚らしい小娘に手を出すほど女に飢えていたとは」

「黙れっ!」

 


言うが先か拳が頬に届くのが先か、意識する前にヴェルーナの身体はもう動いていた。

 間一髪、繰り出された拳を避けたもののさらに続く足技と殴り技の連撃には後退する以外の選択はなかった。

 ヴェルーナの剣幕に怯んだ彼らが、それよりも黙れと命令された方の怒りがこみ上げてきて目つきが変わっていく。



「たかが下民風情が…!身の程をわきまえさせてやるっ」

「っ!」



 シャリンと甲高く響いたそれに思わず息を呑む。後ろの娘のきゃあという小さな叫び声が耳に入った。


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