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アネモネの言霊   作者: 水無月 桜黒
第二章 過去と信頼
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 短くゲーティスが答えると、入ってきたのは短髪で目立ちのはっきりとしたまだ若い男と髪の長いゲーティスと同じ年くらいに見えるガタイのいい男だった。

 二人とも共通しているのは、着ている制服が紅色を基調とした騎士服を纏っていることだ。長髪の男はマントを付けており、詰襟にある騎士団の紋章の隣に剣の記章が輝いている。



 剣の記章は、ゲーティスの詰襟にもある。つまりこの長髪の男は―



「……一体何の用だ、カルヴァ」



 うんざりしたような、臭いものを嗅いだときにする不快さを全身で現したような態度をとったゲーティスを見て、びくりと震える。

 ゲーティスの反応など気にもせず、長髪の男は大きく口を三日月のように歪ませよく通る太い声で喋り始めた。



「アクイン、出迎えがその態度とは随分お前も偉くなったな?」

「馬鹿抜かせ。誰だって見たくもない人間の顔を見ればいやでもこうなる」

「ほう、ここにお前がそう感じる人間がいたとはな…はて、誰なのだろうか」

「とぼけんな、耄碌オヤジ」

「なら、俺とそう年も変わらんお前もオヤジだな」

「…チッ」



 舌打ちをすると、ゲーティスは手を額に当てて上を向く。

 ヴェルーナの方と言えばただひたすらカルヴァという男を、信じられないように見つめる。なにせ、あのゲーティスを口で負かしたのだ。団員達にからかわれるとその十倍でからかい返すか、適当に流すゲーティスがそれすらも出来ないなんて驚愕以外の何があろうか。


 凝視していたのが悪かったのか、カルヴァはいきなりこちらにギロッと視線を寄越した。

 身もすくんでしまうようなそれから逃げるように、ヴェルーナは素早くゲーティスの側に回る。

 ヴェルーナに気づいたゲーティスは、立ち上がりさり気なくヴェルーナが隠れるようにする。ヴェルーナの貴族嫌いと他者に対する不信感を思いやっての行動だろうか。どんな理由でも構わないが、今はとてもありがたい。



「なるほど…この娘があの」

「…貴様に野次馬など下賤な趣味があったとは知らなかったぞ。紅騎士団団長、カルヴァ」



 そうだ、一本の剣が真っ直ぐに五芒星を突き刺しているあの記章は騎士団の団長のみに与えられるものだ。


 紅騎士団の団長カルヴァは嫌悪を顕にしたゲーティスに肩をすくめ、ヴェルーナから視線を外す。背後に隠れていてゲーティスの表情は何も見えなかったが、その声は明らかな侮蔑と多少の怒りがあった。



「そう怒るな、悪かった。俺も配慮が足らなかった。噂に聞く盗賊の娘が、こんなどこにでもいそうなただ

の娘だとは思わなくてな」

「カルヴァ!」



 無遠慮なカルヴァについにゲーティスは声を荒らげ、一歩前へ踏み出す―寸前で凄まじい打撃音がした。



「おふざけが過ぎます、閣下」

「つぅっ……何も本気で叩く必要ないだろう!」

「おや、殴ったのですが閣下には叩いたように感じたのですか。ではもう一発…」

「勘弁してくれっ」



 打撃音の正体は、若い男がカルヴァの後頭部を思いっきり殴ったものだったらしい。

 あれだけ凄い音がしたのだから、殴った方も多少のダメージを負っていてもおかしくはないのに彼は何事もないような涼しい顔をしている。それどころか、半泣きになって抗議しているカルヴァにもう一発食らわせようとしている。

 カルヴァを黙らせると彼はゲーティスとヴェルーナに向き直り、九十度まで腰を曲げた。



「大変失礼致しました、今後このようなことはないようにきつく言い聞かせます」

「…ああ、よく言い聞かせてくれオリッヅ」

「かしこまりました」



 執事のような口調と一切動じている様子を見せない態度を通す彼は、オリッヅというらしい。

 ゲーティスも彼のことをよく知っているのか、やれやれと首を振りながら先程の苛烈さを鎮火させたらしい。



「申し遅れました、私は紅騎士団副団長オリッヅ・アイゼンハワーと申します。是非、オリッヅとお呼び下さい」

「騎士見習い…のヴェルーナです。よろしくお願いします」



 副団長だと言ったオリッヅは随分若く見える。ジャックよりも年下なのではないだろうか。

 しかし若く見えるのは外見だけで、中身は堅牢な城以上に堅い。生真面目、とは少し違うだろうが礼を尽くすべき線引きをきちんとしているような印象を受けた。



「いってて…。こっちが痛みに悶えている間に自分だけちゃっかり自己紹介しやがって」

「自業自得では?」



 真顔でバッサリと切り捨てられた。

 うぅと呻いて、カルヴァは顔を上げてヴェルーナの前に立った。



「重ね重ね失礼した。俺は紅騎士団団長、オリバー・カルヴァだ。以後よろしく頼む」

 恐る恐るゲーティスの背中から顔だけ出してカルヴァを観察する。大声を出されたりまたじろじろ見られたりしてはたまったものではない。



「…怖がらなくていい、出てこい」

 そう囁くとゲーティスは身体を横にずらしヴェルーナの前を開けさせた。


 目の前にしたカルヴァは随分と大きい。岩というよりもごつごつとした壁だ。ヴェルーナは彼の胸元程度までしかない。肩幅も随分と広く筋肉隆々とした丸太のような腕はぶら下がっても落なさそうだ。団の中でも比較的高身長となるゲーティスを見下ろすことが出来る人間などそうそういはしないだろう。



「カルヴァはこんなんでも、一応は団長だ。特に血気盛んな人間が多い紅騎士団をまとめあげているから腕は確かな者だ。それ以外、特にデリカシーに関しては一切持ち合わせていない脳筋ダルマだけどな」

「お前が言うか?レディキラー」

「レディキラー?」



 聞きなれない俗称に首をかしげる。

 それを見てニヤリと笑ったカルヴァは、イタズラを思いついた子供のようだ。

 対照的にゲーティスはしまった、と顔を引きつらせる。



「社交界でのこいつのあだ名さ。持ち前の優男面と女性に対する物腰の柔らかさの裏面で黒騎士団の団長という肩書きと裏の読めない言動と笑顔が、ご婦人方には優しさの下に隠れる危険な男となるらしい。そうやって興味を示す女性が気づけばこいつ以外目に入らないような骨抜きにされている。そこで酒になぞって付けられた名が、レディキラー」

「へぇ…。どういうお酒なの?」

「もういいだろう!」



 焦ったゲーティスの声がカルヴァをかき消すように乱入し、ヴェルーナと物質的な距離を取らせる。

 そんなゲーティスのなにが面白いのか、カルヴァは一層笑みを深めているし心なしかオリッヅも肩を震わせた気がする。

 ゲーティスは一息つくと振り返り、ヴェルーナの肩を掴んだ。



「いいか、今のことは忘れろ。いいな」

「忘れろって…。ねえ、レディキラーってどんなお酒なの?なんでその名前がついたの?」



 なんとかヴェルーナを宥めようとするゲーティスだが、中々思い通りにいかないヴェルーナの好奇心にたじろいでしまう。まだ酒を嗜んだこともなく、しかも貴族が嗜好するカクテルには縁がないので想像をしてもしようがないのだ。

 ゲーティスの制止も弱くそれがさらにヴェルーナの詰問を助長させて収まりどころが見失われかけたときだ。今までの我慢が限界に達したのか、部屋の隅々に至るまでカルヴァの爆笑が轟いた。



「はっはっはっ!まさかあの魔王と恐れられた男が、たった一人の娘に白旗をあげようとはな!いやぁ、今日は本当に愉快なものを見た!」

「―っ!カルヴァ、結局お前は何しに来たんだ。さっさと要件を言え、そして帰れ」



 思わず怒鳴りかけたが、そうすれば相手の思うツボだと努めて冷静を心がけた声でゲーティスは喋る。ヴェルーナは、額を押されて後ろに引っ込められ、望む回答も得られぬままむくれる。



「ああ、そうだ。危うく忘れるところだった」

「本末転倒だろう、それは…」

「そういうな。それで、話というのはなこの間の団長会議で上がったあれがどうやら進展があったらしい」

「……なんだと」



 カルヴァは今までのふざけた態度から一転して笑みを収め、剣呑とすらとれる眼でゲーティスを見やる。

 ゲーティスとしても捨て置くことは出来ない話題らしく、雰囲気がさっと変わった。

 話を続けようとしたカルヴァだが、その前にゲーティスの背後にいるヴェルーナに気づきチラリと視線を動かす。



「…お前はここで待っていろ。話が終わったら戻ってくる。それまでは、今日の授業の復習をしていろ、いいな」



 ゲーティスの声は今までになく真剣で、とても反論できそうにもなかった。

「……うん」

「…いい子だ」



 ゲーティスが淡く笑うとぽんっと優しく頭に振動が来る。彼の大きな手がヴェルーナの小さな頭に乗せられたのだ。

 ヴェルーナが頭上の手に己の手のひらを伸ばそうとする前にそれは離れていき、黒と赤の色彩は部屋からなくなってしまった。


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