6.管理舎敷地内 寮
あの後復活した森津木さんと管理舎にきた。
道中、住宅街の横を通ったので、突き刺すような視線がちらほらあり、緊張と恐怖のあまり会話ができない俺に森津木さんがずっと話をしてくれていた。
一人暮らしが初めてなら自炊はまず鍋がお勧めだとか、お勧めの無人販売所がもう一か所あるとか。今夜を暖かく快適に過ごしたいなら四時には帰宅して暖房器具等を見繕うべきとか。
アパートから管理舎までの約二十分。管理舎到着が九時四十一分。少し早歩きの俺に文句も言わず合わせてくれて、生活に直結するアドバイスまでくれていた。
管理舎の敷地内に入ってやっと少し落ち着いた俺を見て、「ちょっと休憩しようか。寮のロビーを使わせてもらおう」と気を使ってもらい、寮について早々休憩が決まった。
寮は管理舎の正門を潜ってすぐ左に在る。
アパートよりは新しい建物だが、同じ二階建て。外観の大きさは似たようなものだった。入ってみるとロビーが小さいながらもあって、すぐにソファーに腰を下ろす。
「休憩なら飲み物必須だよね。朝と同じ珈琲で申し訳ないけど」
森津木さんがタンブラーを二つ取り出し、一つを差し出してくれた。
「うわ、嬉しい。有難うございます」
あー、もう、森津木さんの気配りが凄い。
これはあれか。HSKとかいうやつか。女子にモテモテですか、森津木さん。
遠慮なくすぐに口をつける。甘くて暖かい珈琲が喉元を通り、腹に落ちると少し幸せになれる。
「美味しそうに飲んでくれるねえ。そんな君には茶菓子もつけよう」
鞄から更に紙箱を出してきて蓋を開けておいてくれる。箱の中には数種類のクッキーが並んでいた。
「まあ、つまみながら話そうよ」
俺は森津木さんに後光を見た気がした。
「まずは道中、お疲れさま。皆、昨日迷い人が来たのを知っているから、普段は朝見かけないメンツもしっかり起きて、品定めにきていたね。品定めに来た連中は迷い人を喰う気がある連中だ。気を付けるといい。
怖い話はいったん置いといて。差し迫った話をしよう。君、呼び名どうするの?このままだと管理舎のお偉いさんにつけられてしまうけれど」
そうだった。けどパッとは浮かばない。えっと、今十二月だから師走とか?そういえば森津木さんも迷い人だから呼び名を自分で考えたか、つけてもらったかしたんだよな。
「森津木さんは自分で考えたんですか?」
「僕は管理舎のお偉いさんにつけてもらったよ。自分でいうのもなんだけど、僕は運が良かった。なんせ君の二代前の迷い人は『眼鏡』という呼び名を付けられていたから」
眼鏡。本体だった、わけないよな。お偉いさんのネーミングセンスは当たり外れがあるってことか。
無人販売所でニンジン持ってたら呼び名がニンジンになるとか言われたもんな。今の俺だったら何になるんだろう。
「今の俺だったら、何になると思います?」
「え」
森津木さんが考え込んでしまった。ブレザーは無いだろうし、制服?体形も平均、髪の色は茶色。顔だってイケメンというわけじゃない。自分で言うのも何だが、これといって特徴が無い。
「ブレザーの色が濃紺だから、濃紺とか紺藍?夜を連想して帳とか?この時期の草花で柊、とか。いや、そんな呼び名、付けないな…」
「…気になりません?お偉いさんが何てつけるか。俺、気になります」
「君、体張るね。嫌いじゃない」
「有難うございます。じゃあ、呼び名はお偉いさんに付けてもらうということで」
「さて、大分落ち着いたようだし、一応寮の説明をするね。
一階がロビーと男子部屋二部屋と寮共用調理室。調理室ではそのまま食事を取ることができる。二階が物置と化した談話室と女子部屋三部屋。
すぐそこの男子部屋一号室の見学ができるから、見ようか」
空になったタンブラーと空き箱を鞄にしまって、森津木さんは立ち上がった。
「ここだね」
扉を開けるとアパートよりこじんまりした、けれど綺麗な部屋があった。
「ベッドは備品。ユニットバス。収納スペースは無いから、クローゼットなり箪笥なり自分で調達する必要がある。
電石、水石も部屋に設置する必要がある。火石は調理室だけど、調理室には電石、水石も必要だから入寮者で話し合って決めることになる。大体は自分が使うときだけ自分の石を入れているみたいだよ」
ベランダもアパートより小さく、柵はほとんど隙間が無い。管理舎敷地内にあるから、目隠し目的なのだろう。
「洗濯機は各階に一つ、突き当たりにある。これも石はどうするか話し合い案件だね」
面倒くさそう。もうアパートに決めているから、完全に他人事だ。
何とはなしにベランダから少し身を乗り出す。アパートの一階と同じですぐに侵入できそうだ。一階が男子部屋決定済みとは理不尽な気がする。
「男子が一階なのは何故ですか」
「女子のヒステリーによるものが大きいけれど、風紀問題を重視した事も理由になるのかな」
風紀問題。男子は2階に上がってこないでよってことか。
そして談話室は男女兼用だから早々に物置とした、と。談話室なら常時いても不思議はないけど、物置なら毎日いたらおかしいしな。
「風紀問題はわかりますけど、ヒステリーって何ですか」
森津木さんが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「男は女を守って当たり前。危険な一階は男が住み、二階に女子が住むべき、だって」
頬がひきつる。まじで。この状況下で、知り合いでもない他人に性別で役割振っちゃたの?
「森津木さん、それってもしかしてなんですけど。男は一階に住みながら二階に怪しいものが来ないように見張れ、的な主張もあったりします?
しかも、男に守れって言っておいて、女の子は何もしなかったりします?」
「君、余計なことに気付くね。ああ、有ったりしたよ。無条件で『守りなさいよ』っていう厚顔無恥がいたけれど。
まあ、人間窮地に立たされたら、利用できそうなものは全力で利用しようとしてくるものだし。女性全てが厚顔無恥な主張をしたわけではない。
同じ主張をした女の子の中には、寮での炊事や戸締りを自分から請け負う子もいた。…寮から出たくなかったのか、バイトも買い物も男にしてもらおうとしてたけど。
でもね。いいかい。男でも『俺を守れ』と喚くやつもいる。女性全員を嫌うなんて極端に走らないでくれよ」
やけに援護するな。援護できてないけど。
「えっと。なんでそんなに必死なんですか」
一瞬、能面のような顔をした森津木さんは次に悟りを開いた顔をした。
「郷の者達は恋慕した対象に対して全く性別を気にしない。
どうでもいい相手に対しては異性を求めるけれど、あいつ良いな、位になるともう自由だ。
これがどういうことかわかるかい?
性の対象は異性が当然という認識を共有できるのは迷い人しかいないんだ。僕は君を性的認識が共通できる仲間だと思っている。思っていたい。
もし君が性的に自由であるならば、是非僕には隠し通してほしい。
これに関して、そろそろ僕のほうがおかしいのかなと最近たまに思うようになっている程ギリギリなので、其処の処はくれぐれも、どうか、宜しくお願い致します」
あ、これ悟りを開いた顔じゃない。むしろ崖っぷちで踏ん張っている顔なんだ。気迫が怖い。無表情なのに怖いよ、森津木さん。女の子にモテモテか?なんて思ってすいませんでした。そしてこの郷の新たな恐怖が明かされたよ。やめて、俺、女の子大好きだから。
「俺、女の子はおっぱいよりも尻よりも太もも派ですよ!」
「よし」
森津木さんは深く頷いた。
「寮はこれ位かな。何か質問はある?」
「寮には今何人入寮してますか」
「今はゼロだよ。けれど、迷い人は寮を好む傾向があるし、どのみち人数的に今日中にすぐに入寮者が出るよ」
あ。気になったことも聞いておこう。
「寮の質問じゃないですけど、保護施設で『防音にした』って言ってたじゃないですか。
どうやって防音にしたんですか。」
「僕の場合は『防音の術』を展開した。僕が術を使えるわけではなくて、この郷の術の達人が力を込めた『防音』の術符を貰っている。貰った符を展開することで朝の部屋を防音にした、で通じるかな」
「何となくは。そんなことができるんですね。
あと、えーと、何だったけな。もう一つ聞きたいことがあったんですけど」
納税だ。忘れてない。だけど、やっぱり聞くのに躊躇いが有る。
「…思い出せない?なら今日の案内中に思い出したら聞いてくれればいい。
そろそろ管理舎のお偉方に挨拶に行こうか。
君はすんなりと、ここまで来たけけれど、多くの迷い人は混乱して攻撃的になったり、懐疑的になったりするから、挨拶自体が十一時半過ぎになることが多い。
この時間に伺えば、それだけで好意的に見てもらえると思うよ」