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外様郷  作者: かろうじて
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3.朝食(森津木視点)

コトコトと味噌汁の鍋が音を鳴らしている。味噌汁を温めなおすのは二度目。味噌汁は沸騰させないから冷めるのも早い。

お釜のご飯も種火は切らせてもらった。お米が暖かいうちに来てくれるといいけれど。


今回僕が説明を担当することになった迷い人の青年は今時分の学生にしては当たりだった。迷い人の中には借りた布団も服も畳まずに説明担当に怒鳴り散らす人もいる。勿論、謝辞なんてそうそう聞かない。

入り口に気配を感じて振り返る。青年が青白い顔をして立っていた。早かったな。


「座って。朝食を食べよう」


声に反応したのか、ゆらりと幽鬼のように移動して座る。青年の前に朝食を用意して、自分の分も用意する。


「ほら、君も。頂きます」


微動だにしない青年を前に食事を取る。つられて食べてくれたらと思ったが、そこまで甘くなかったか。




先に食べ終えて、お茶を啜る。目の前で洗い物を始めるのも嫌味臭いし、どうしたものか。結局、味噌汁は冷めてしまっている。コンロに火をかけ温めなおし、別の椀に注いで冷めた味噌汁と交換してやる。

ご飯も釜の中のものならまだ冷めきってはいないから同様に交換して、お茶も淹れ直していると、スミマセン、と蚊の鳴くような謝罪が聞こえ食べ始めた気配がした。


少し迷ったが、彼の食事中は立っていることにした。なるべく、背中を向けていた方が良い気がする。


余ったご飯でおむすびを作っておく。梅とおかかと塩昆布。それぞれ一つしか作れなかったが、その分一つが大きめだ。持参した竹の皮におむすびを入れて包む。

自分の鞄からメモ用紙とペンを出しておむすびの具を書いて、竹の皮の下に挟んだ。午後の片付け班なり、他の説明担当者なりが残った味噌汁と合わせて食べてくれるだろう。




そうこうしていると青年が食べ終えた。珈琲が飲めるか聞いてコーヒーメーカーをセットする。

「珈琲淹れるまで、待っていて」


彼は茫然自失な状態でこの部屋に来て、何とか朝食を食べたけれど。きっと味はしなかったろう。珈琲は落としている間に匂いが部屋に満ちるし、少しは落ち着くかもしれない。


正面に僕が座っていたら落ち着かないだろうから、洗い物を始めた。なるべく、大きな音をたてて刺激しないように慎重に洗う。


途中、青年が小さい声で手伝いますと言ってきた。驚いた。今の時点で、自分がどうすべきかが判断出来るほど思考能力が回復している。

これは凄い。


けれど、今はまだ休んでいてほしい。やんわりと断る。もしかしたら、何かをしている方が、青年の気が休まるのかもしれないが、ぼうっとしている人間に洗い物をさせる気は無い。


洗い物が終わっても珈琲はまだ落ちきっていない。コーヒーカップを温めて、ミルクと砂糖の準備をしていると、丁度コーヒーメーカーから完了音が聞こえた。

淹れたての珈琲を青年と自分の前において座る。


「砂糖とミルクはお好みでどうぞ」


自分の珈琲に砂糖とミルクを入れ、混ぜる。寒い日は砂糖もミルクも欲しい。空の皿に使用した匙を置く。青年も砂糖とミルクを入れて飲み始めた。


一口飲んで口を開く。


「大分混乱したみたいだね。名前、思い出せないのでしょう?」


はじかれたように顔を上げた青年と目が合う。目をそらさないまま、言葉を重ねた。


「ここに来る人間は皆、自分の名前を思い出せない。名前だけじゃない。存在すら次第に失う。通っていた学校。居たはずの家族や友達。それらも思い出せないはずだ。今、君が今までいた場所では『君は元から居なかった』ことになっている。

誰も君を探してないし、君は何処にも所属していない」


青年の口から呻き声のようなものが漏れる。

言い返してこないとは珍しい。何かしら、心当たりがあるのだろう。賢い。僕は珈琲を一口飲んで再度口を開く。


「ここに来る前に君は山に入ったはずだ。そして、鳥居を目指した。違う?

鳥居を潜ったとき、君は光の中で『君』を無くした。

『君』を維持したまま狭間を超える力が君には無かった。そして『こちら側』に着いた。


今君がいる土地。

ここは君のいた現世(うつしよ)ではない。いっそ異世界と思っても支障はないかもしれないね。君は『君』を失くしてしまったけれど、蓄えられた知識や経験は持っているでしょう?

君が持っている常識。お化けなんていない、石は喋らない。人に翼は無い。人に角は生えない。


それらが覆る場所がここだ。

石は喋るし、天狗や鬼もいる。人の形をした者が人間を食べることもある。狐が喋り、猫は呪い、妖火が飛び交う。人の形を成していない者もいる。君からすれば狂気の世界。


この土地の名は()(ざま)(ごう)

現世からはじかれた者の、安楽の地を求めた人外達が住まう郷だ」


青年の目からは涙が静かに流れた。きっと本人は気づいていない。


「ど…うやったら、帰れ、ますか」


途切れ途切れになりながらも言葉を紡ぐ。ああ、僕に掴み掛かったり、怒鳴ったりしないんだ。それはとても貴重なこと。うん、少しだけだけど、力になってあげる。


「郷と現世の行き来について説明しようか。

通常、郷と現世の道は繋がってない。けれど年に一度、十月後半から十一月後半までの間の一日だけ現世から外様郷への道が開かれることが有る。その際に人間が迷い込むと言われているよ。

郷の者は御山に迎え火が灯ることで迷い人が来ることを知る。君が見た光のことを郷の者達は迎え火、帰るときの光は送り火と呼ぶ。


今回の迷い人は君を入れて五人。それぞれに現状を説明する者がつくけれど、君の場合は僕が説明担当者だ。

何故君が迷い人になったのか、僕は知らないし、この郷の誰も知らない。

君が現世に戻ることは不可能ではないけれど、戻るには君は『君』を取り戻す必要がある。どうやって取り戻すかなんて聞かないでよ。僕は知らないから。でも、以前の生還した迷い人は確か、ある日ふっと思い出したと言っていたかな。


そしたら御山に送り火が灯る。その光を目指せば鳥居が見える。察しは付いているだろうけど、あの鳥居が狭間だ。

もう一度あの鳥居を潜れば、迷い人は現世に生還できる。


送り火は君が『君』を取り戻しさえすればいつでも灯るよ。


実際に現世に生還して日常に戻った迷い人を確認した酔狂が言うには、タイムラグも無く、スムーズに戻れるようだよ。まあ、君の場合も適応されるかは分からないけれど。


あと、人間は道が繋がらないと行き来できないけれど、人外はそうじゃない。ある程度力が強いものは自由に行き来できる」


一旦話を区切り、視線を青年から逸らす。まだ湯気の出ている珈琲を飲む。これ以上冷めれば飲みにくくなるな。出来るなら、温かいうちに飲んでほしい。


数度にわけて珈琲を飲んでいると、青年も珈琲を飲み始めた。と言っても飲み方が豪快で、一気に飲んでしまったようだ。

口を開きっぱなしだったので、喉がカラカラだったのかな。


おかわりを聞くと少し逡巡してから「お願いします」とカップを差し出したので席を立って珈琲を注いで渡してやる。

説明を始める前とは違って大分落ち着いている様子だ。説明を聞きながら落ち着いてくるなんて、彼は大物かもしれない。


僕の鞄からタンブラーを二つ出して湯を注いで温める。少ししたら湯を捨てて残った珈琲を均等に入れた。

砂糖とミルクを入れて混ぜ蓋をする。コーヒーメーカーの電源を切って席に戻る。

彼は二杯目の珈琲をゆっくり飲めたみたいだ。


「じゃあ、今後の事を話そうか。現世に帰れない以上、君はこの郷に留まるしかない。別に先の説明を信じず、帰途についても構わない。

例えば、『山から来た』部分だけを信じて送り火も無いのに君が御山に分け入ったとする。そうしたら、どうなっても僕らは助けない。まあ、抜け殻で郷に戻されたらそのまま喰われると思うけど。


郷に留まる迷い人に対して、郷は住居の融通と、毎月五万円を支給する。必要な生活雑貨等も五万円の中でやりくりすることになる。ただし、無条件というわけではない。いくつかの強制労働がある。

例えば他の迷い人が喰われた場合、その部屋の片づけをしなければならない、とか。強制労働の発生回数は少ないし、通知や依頼が来た時だけ応じればいい。


住居の提示は二か所。寮かアパートだ。後で案内するから今日中に決めてね。一度こちらが提示した住居等を蹴った場合も二度と郷からの支援は得られないと思って欲しい。


郷では、日中にできるアルバイトがある。支給額以外の収入が欲しければしてみるといい。ただ、アルバイトは時給ではなく出来高払いもどきになる。アルバイトは寮と同じ敷地内の建物でのみ。

僕らは管理舎と呼んでいる建物で、こちらも後でアルバイトの説明と合わせて案内するよ」


少し間を開ける。ううん、能面のような顔をしているけれど、理解できているのかな。


「ここからは注意事項になる。

前にも伝えたけれど、ここ外様郷は人外達の郷だ。そして人外達の大多数は人間を喰える。君は喰われる立場になるわけだ。

この郷は現世に行かない者たちが大半で、そういった者たちがいつからか君たち迷い人に娯楽を見出した。迷い込んだその日のうちに喰われたのでは勿体ない。

迷い人にも生き残る機会を与えて、自分たちは一定のルールを決めて狩りをしよう、と。


ルールを伝えるよ。


一つ、対象と三日以内に言葉を一度交わさない限り喰えない

一つ、日中、管理舎内では喰えない

一つ、日中、視認出来る範囲で他者がいる場所でも喰えない

一つ、日中、他者が迷い人を喰おうとしていたのに気付いたら止めねばならない

一つ、日中、狩りの最中に止められたら、狩りを続行してはならない

一つ、三者以上で結託して迷い人を襲ってはならない

   (便宜上三者としたが、人の形をしてないものも独立した意識を持っているものは意識の数を数えるものとする)

   (また意識ごとに異なった行動ができない複数の集合体は上記に含まれず、一と数える)

一つ、日中、迷い人を殴り殺してはならない


以上七つ。

勿論、こちらの提示条件に蹴った場合、または逃亡をした時点でルールは適用されない。はい、これルールメモ。一応僕が説明を担当する人には渡しているよ。不要なら捨ててくれて構わない。


今日の予定を説明するね。先に言っておくけど、時間が来たら案内や説明は途中でも終了になる。だから、行動は迅速に。

質問があれば時間内なら随時受け付けるけれど、質問に対して僕が全て答えるとは限らない。


で、午前中は僕と一緒にアパートと寮、管理舎の見学をしてもらう。

管理舎ではお偉いさんに会ってもらうよ。ここで五万円の支給を受けて住居を伝える。昼食を管理舎食堂でとった後は、自由行動になる。まあ、僕、君の事嫌いじゃないし、郷の案内をしてあげても良いよ。考えといて。


自由行動の場合、日暮れまでには住居に帰ることをお勧めするよ。

さて、洗い物を頼めるかい?僕は乾燥機の中を片付けるから。案内の時間は多いほうが良いだろう?時間切れになったら説明を受けられないからね。」


慌てて立ち上がる青年を横目に食器を片付ける。判断能力は戻ってきているみたいだ。

なら名前に触れても大丈夫だろう。


「僕は森津木と呼ばれているよ。君はどうする?管理舎のお偉いさんに挨拶した時に何も呼び名が無かったら勝手に呼び名をつけられるから、希望があればそれまでにね」




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