1.序
ゆらり ゆうらり 五つの迎え火が灯った
ああ 今年もいらずの森が道を創った
御山は誰の願いをきいたのだろう
暖かい山風が ことさらゆっくり降りてくる
ここは外様郷
人外達の住まう場所
一年に一度森が開き、人間が迷い込んできたならば
さあ 祭りを始めよう
そら 舞台に上がれ
やれ 馳走にありつけ
巻き込まれて踊るもまた一興
笑いさざめき騒ぎ潰れ 酔いがさめたその時に
その手に 残るものは なに
青年は足取り軽く路地裏を歩いている。
いつもの学校の帰り。ふと目に入った横道。
入ったことのないその道は不思議と青年をひどく惹きつけた。
午後4時45分。明日、十二月一日は自分の誕生日だから今日と明日のバイトは入れていない。もう日は暮れかけているけれど、時間にすればまだ早い。
これはもう行くしかないと生来の好奇心を引っ提げて青年は横道に足を踏み入れた。
見知らぬ景色を歩く。
家々が隣り合って所狭しと並ぶ景色は古き街並み。時折すれ違う人は皆端に寄り、立ち止まらずに歩いている。普段の雑踏とはちがう、静かな路地裏は誰かの靴音や民家からの生活音が聞こえてくるだけで別の世界のようだ。
通学路から一本逸れただけで広がる見知らぬ風景に、何となくそわそわとしてしまう。
薄暗い路地裏は遠くまで伸びていて、ひたすら真っすぐに進んでいく。
十分位歩いただろうか。そろそろ戻らないと、とは思うものの折角だから、せめてこの路地が突き当たるか突き抜けるまで、と歩いているうちに日はほとんど暮れてしまった。
ふと気が付いた時には通りを歩く人は一人もいない。
あれ?
この路地裏はまっすぐ伸びている。歩いている人は遠くから視界に捉える事が出来ていたから、この道に入ってからずっと視界に歩行者がいた。
誰も歩いてない?
夕方の帰宅時。路地裏といえど、これだけ住宅が密集した場所だ。
歩行者が途切れることなど、あまりないと思うけれど、まあ、通行量は多くなかったし…。住人が在宅している家はカーテンを閉めてしまったのだろう。通りから人の気配が消えている。
気配が、消えている?
…そうだ、音が聞こえないのだ。
さっきまで、テレビの音や炊事の音が聞こえていたはず。でも今は、自分が歩く靴音以外の音が一切聞こえない。
そういえば、やけに真っすぐ進んでいるが、こんなに長い直進の道なんて…。ぼんやりと、自分が住んでいる街の地理を思い出すと違和感はすぐに薄ら寒い焦燥に取って代わった。
薄闇より濃い闇が周囲を満たしていく。日が暮れた。どの家も明かりは点いていない。
じわりじわりと、恐怖が青年を蝕んでいく。気のせいだ、きっと気のせいだ。これ以上暗くなった路地裏を見ていたくなくて、青年は視線を横にずらした。
民家から洩れる明かりを期待したがやはり明かりも生活音も聞こえない。けれど真横にあったガラス戸にはいつの間にか紙が貼られていた。先ほどまでは、無かった。断言できる。 こんなものが貼られていたら目につかないわけが無い。それほど異様な存在感を放つもの。
日焼けして薄茶になった紙に歪に描かれた人差し指の矢印。
何だ これ
ぎくりと強張った体が次第に機能を取り戻すと同時に嫌な手汗が滲んでくる。
どくり、どくりと自分の鼓動の音が響いて、無意識に息を詰めたまま、ゆっくりと視線を通りに戻した。
通りは暖簾や木戸、格子、いたる所が人差し指の矢印で埋め尽くされていた。
歪な矢印は全て、裏路地の奥を指示している。路地裏はもはや完全に異様な空気に満たされて日常とは切り離されていた。
何だ これは
眼球が左右にぶれて視界が揺れる。浅く息を吐き出して、いつの間にか止まっていた足でゆっくり歩き始める。
ここは 駄 目 だ
ここは、良くない。ここで止まっているのは、とても良くない。本能の訴えるままに歩調が次第に早くなる。進行方向は矢印と同じ。
後ろから何かが来ている気がする。ならば前進するしかない。早く、一秒でも早く。遠く、一歩でも遠く。ついには恐怖心に負けて走り出した。
まとわりつく空気が湿っていて気持ち悪い。早く、早く逃げなければ。後ろから足元に何か迫ってくる。
けれど今ここで捕まるわけにはいかない。重くなった足を蹴り上げるように前に進む。
必死で走り抜けたその先に、山が見えた。
中腹に鳥居が見える。山道の入り口には道の左右に大きめの石が縄を巻かれて置いてあった。
あそこだ、あの山だ
既に理屈も理性も本能に塗り潰されていて、無我夢中で山に逃げ込む。縄で巻かれた石を超えると足に纏わりついていた何かが消えた。
それを好機に一気に駆け上がる。まだだ、まだ、逃げきれていない。中腹に見えた鳥居はどこだ。
「神様っ」
呼応するように完全な暗闇の向こうに明りが灯った。明りの手前に鳥居が見える。これで助かる!
一目散に鳥居を目指す。ゼエゼエと息がうるさい。心臓が早鐘を打っていて、その場に座り込んでしまいそうになる足を叱咤して石段を駆け上がる。
最後の力を振り絞って鳥居を潜った途端、視界いっぱいの白が広がった。
ゆらり ゆうらり
「ああ、ここにいた。最後の一人だ。
おおーい、最後の一人、見つけたわー。
おや、膝下が濡れていて風邪を引いてしまいそうだ。誰か、ほむら爺を呼んでくれ」