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短編集

徒然なるままに……

作者: 梨香

「徒然なるままに……」

 古びた家具コタツに向かって、図書館で借りてきた本を読みながら、こうして無為に生きたいと文子は考える。

 家賃三万という格安物件に引っ越して、一週間がたつ。やっと荷物を整理して、落ち着いたところだ。


 この和歌山県の小さな集落にある古民家に移住を決めたのは、ネットであれこれ調べた中で、家賃の安さと、小ささが気に入ったからだ。元は、離れだったと不動産屋のおじさんから説明を受けた。簡単な台所と風呂とトイレは、古民家に相応しくないリフォームがされていたが、使い勝手は悪くなさそうだ。

「本当に、ここに住むのかい?」

 住むから、わざわざ南海電車に乗って和歌山の奥にまでやってきたのだと、文子は笑った。

「あっ、この前の畑もついてるから、野菜とか作って食べられるからなぁ」

 都会暮らしの女が、田舎暮らしを選ぶのは自然派嗜好だからだろうと、勝手に納得しているおじさんに、文子は曖昧に頷いておく。都会では、三万でアパートなんか借りられないから、田舎暮らしを選んだのに過ぎない。


「なるべく節約して、働かないで過ごす」という結論にたどり着くまで、文子もあれこれ悩んだ。

 大学生の時に母を早く亡くした文子は、この前、父も呆気なく心臓発作で亡くした。どうも短命な一族らしく、葬式に参列してくれる親戚は少なかった。

 三十路を過ぎても結婚もせず、父が勤めている大阪市内の社宅に住んでいた文子は、引っ越す必要にかられたのだが、家賃の高さに驚いた。普通の事務員の給料では、家賃を払うと生活はかつかつになる。

 父が亡くなり色々な手続きをしていた文子は、慎ましやかな生活をしていた貯蓄と、会社からの弔慰金、生命保険などが結構な額になっているのに驚いた。相続税で、かなり取られたが、電卓を持ち出して、あれこれ計算してみる。

「私が六十で亡くなるとしたら……いや、短命な一族やけど、私は八十まで生きるかもしれへん。病気になった時は、保険が必要やし……月十万! 家賃が安い所ならいけるかも?」

 大学を卒業して十五年働いた会社には未練は無い。会社も若い事務員の方が嬉しいだろう。早期リタイア生活をおくることにした。


 社宅の荷物は殆んど処分して、父や母の位牌と写真、そして最低限必要な電化製品と自分の身の回りの物だけで、小さな古民家に引っ越した。

「これだけが新品だわ」

 都会とは違いプロパンガスなので、コンロは買う必要があったのだ。後は、社宅で使っていた冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、鍋二つと、フライパン一つ、ヤカン…… 古びた台所用品が、リフォームされた台所に不似合いだと、引っ越しのダーボールから取り出しながら苦笑する。


 和室には、引っ越し業者が積み上げたダンボール箱が山になっている。

「かなり処分したつもりなのだけど……」

 蒲団袋から全て取り出すと、外の物干しに掛けておく。日当たりは良さそうだ。何もさえぎる物がないのだから当然だと、文子は笑う。

 冬服はダンボール箱のまま押し入れの下に突っ込み、春夏物を押し入れ収納ボックスに入れていく。あらかた片付いた部屋を見渡して、何処に位牌を置こうかと悩む。

 二間続きの和室と、小さな台所。冬は寒いと聞いたので、台所に近い部屋に家具風コタツを持ってきた。台所にはテーブルを置かず、コタツが食卓がわりになる。となると、寝るのは押し入れのある奥の和室になる。

「今は、これで堪忍してな」

 夏物の服が入っていたダーボールの上に、位牌を置いたが、やはり落ち着かない。

「何か無いかなぁ?」家具はコタツと押し入れ収納ぐらいしか持ってきていない。

 文子は、外にある物置を物色しに行く。前の畑を耕す鍬やバケツやフルイ、そして何に使うかわからない道具が散乱している。

 物置の奥には埃で真っ黒になった長持ちや、古びた水屋があった。台所をリフォームした時にここにしまったのだろう。

「この水屋は使えるなぁ」

 離れ用なので、大きくないのも好都合だ。社宅の水屋は取り付けだったので、食器を置く場所に困っていたのだ。長持ちも台所で作業する時の長椅子代わりにしようと考える。

「でも、埃だらけやなぁ」

 そんな乱暴なことをして、良いのかどうかはわからないが、物置から出すと、外のホースで水を掛けて洗う。木の枠のついたガラス扉を外したり、引き出しも全部引っこ抜いて、洗い流した。

「これは一日干しといたら、乾くやろ。長持ちもついでに洗っておこう!」

 思いついたら、即、実行する。


「ああ、疲れた……」

 本音としては、このまま風呂にでも入って寝てしまいたいが、隣近所へ引っ越しの挨拶に出向く。しかし、社宅のドアが並んでいるのとは事情が違う。

 早春の田舎道をとてとて歩く。道端には菜の花が咲いていて、とても穏やかだが、自転車を買わなくては生活できないと文子は新たな出費に眉を顰めた。

「こんにちは、今日、隣に引っ越してきました者ですが……」

 やっとついた隣家で、庭に面した納屋にいたおばさんに挨拶をする。用意していた茶菓子を渡す。

「えっ、あんた一人で暮らすんけ?」

 さっさと、次の家に行こうとしていたが、田舎にはプライバシーという言葉は無いのかと溜め息をつきたくなるほど、身上調査をされた。

 お茶とお菓子を縁側で食べながら、他の家も回らなくてはいけないのだと、文子は焦る。しかし、おばさんは文子より遣り手だった。

 軽トラが庭の前に止まると、隣の家の夫婦が遣ってきた。

「誰が引っ越してくるんやろと、村中の噂やったんや」

 文子は、慌てて立って挨拶をする。

「山中と言うもんです。ほら、あっちの大きな柿の木がある家や」

 この家も山中だったと、親戚なのかと文子は考えたが、あとからこの地区に住む半分は山中姓だと知る。そうこうするうちに、畑からおじさんも帰ってきた。一から文子の身の上を説明し直す。


 日が暮れるのが未だ早いからと、柿の木のある山中夫婦に挟まれて軽トラで送ってもらった文子は、田舎暮らしを選んだのは間違いだったのだろうかと、少し後悔した。社宅で育ったが、こんなにも親密な交際はしたことが無かったのだ。母や父の葬儀には列席してくれたが、あっさりとしたものだった。

 お湯を沸かして、引っ越しそばならぬ、引っ越しラーメンを食べる。社宅に買い置きしていたカップラーメンを持ってきて良かったと文子はホッとする。

「ても、まぁこれで挨拶も済ませたし……」

 明日は水屋を台所に運び込み、自転車を買いに行こうと考えながら眠りに落ちた。


「やっぱり、この家には古い家具の方がおちつくなぁ」

 新建材のフローリングの台所には不似合いだが、古びた水屋は家にはマッチしている。水屋に食器をしまうと、自転車を買いに行こうと玄関に出た文子は、新聞紙の上に置いてある菜っ葉、大根、キャベツ、玉ねぎ、じゃがいもの山に驚く。

「お礼を言いに行かなきゃ……」

 どうせ、町まで歩いていくのだ。寄り道をしても、問題は無いと隣家の山中さんの家にお礼を言いに立ち寄る。

「ああ、お礼なんかええんよ」

 では、と町へと向かおうとした文子だが、おばさんは話し出したら止まらない。どうせなら、質問をしようと文子は考える。

「あのう、自転車を買いたいのですが? 町には、自転車屋さんがありますか?」

 町といっても南海電車の駅の周りにぽつぽつ店が点在し、郵便局と農協と役場が固まった場所に過ぎない。うろ覚えに、不動産屋の向こう隣りに自転車屋があったような気がしたが、看板だけで開いてなかったようにも思う。

「前は自転車屋もあったんだけどねぇ。近くにショッピングモールができて、閉めてしまったんや」

 文子は、近くにショッピングモールがあるのか? と驚いた。ここには数回来たが、駅から文子が借りた古民家までの間にはそんな気配は無かった。

「ちょっと待ってて! お父ちゃんに昼ごはんを食べさせたら、ショッピングモールに乗せて行ってあげるわ」

 それは悪いと断るが、ショッピングモールまで歩いて行ける距離ではないと山中のおばちゃんは笑う。


『それは、近くとは言わないのでは?』

 文子は、田舎暮らしでは自動車が不可欠なのだと悟った。毎回、近所のお世話になるわけにはいかない。一応、大学時代に就職に有利かもと免許は取ったが、ペーパードライバーなので運転できるかも不安だ。それに、自動車を所有するのには経費も掛かりそうなので、保留にしておく。先ずは、自転車を手に入れてからだ。

 車で15分程走ると、文子が思ってもみなかった巨大なショッピングモールに着いた。郊外で有るがゆえの駐車場の広さに驚く。

「立派なショッピングモールですね」

 文子が驚いているのに、山中のおばちゃんは満足した様子で、西日本一の規模だと自慢気に説明してくれた。

「自転車売り場は、確かあっちやわ」

 昨日会ったばかりなのにと、文子は困惑するが、まるで親戚のように自転車売り場までついてくる。

「電動自転車は便利やで」とセールスまでしてくるが、節約したい文子には高価過ぎる。

「なるべく安いのを探しているのです」

「ほんま? 電動自転車なら、このモールにも来られるのに」

 確かに、田舎暮らしには電動自転車の方が向いているのかもしれない。

「安いのもあるのかしら?」

 店員に説明を聞きながら、文子は迷う。もちろん、自動車よりは安いが、ママチャリの数倍はする。しかし、清水の舞台から飛び降りる気分で、電動自転車を購入した。


『初期投資は仕方ない……』

 フードコートでコーヒーを山中のおばちゃんに、連れてきて貰ったお礼ですからと奢っている間に、充電して貰う。おばちゃんは、肉や魚を買って帰ると言うので、そこで別れて早速電動自転車で帰る。確かに、電動自転車なら25分ぐらいで着く。

 しかし、電動自転車のバッテリーを充電しながら、なんとなく自分が思い描いていた節約生活から外れたような気がしてくる。

「これからは始末しよう!」

 物を増やさないで、シンプルな生活をしようと文子は決意した。

 

 台所には古い水屋だけにして、コタツを机がわりに置いてある和室に、洗った長持ちを運び込む。ダーボール箱の上の位牌を置いてみる。

「ここなら、落ち着くやろ? 何かお花でも取ってくるね」

 庭には何本かの木が植えてあり、椿の花も咲いていた。キッチン鋏しかないが、それでも目的は果たせる。ガラスのコップに赤い椿を入れて、位牌の前に供えた。

 花が1輪あるだけで、生活している雰囲気になる。文子は、やっと引っ越しが完了した気分になった。



 貰った野菜を調理して食べると、かなり食費が助かる。家計簿をつけて、引っ越し代金や、コンロや、電動自転車代を恨めしげに眺める。しかし、これは初期投資なのだから仕方ないと諦める。

 社宅でも余り見なかったテレビは、調子が悪くなったので、処分してきた。パソコンは持ってきたが、田舎なのでとてもスピードが遅い。社宅には回線が引いてあったのにと、至れり尽くされの生活とは違うと溜め息をつく。でも、今すぐにパソコンが必要な訳では無いと、長持ちの中にしまった。

「図書館に本でも借りに行こう!」

 電動自転車で、町の図書館へ行く。しかし、余りにすかすかな棚にがっかりする。

「あのう、本はこれだけですか?」

 貸し出しカウンターにいる図書館司書に尋ねると、書庫に置いてあると返事が返った。なぜ、棚に置いてないのか? 疑問に思ったが、探索できる機械で、あれこれ借りる。

「移動図書館もありますよ」と、巡回地図を渡してくれたので、雨の日などは、町まで来なくても良さそうだ。



 家に帰り、机代わりのコタツで『徒然草』を読む。こうした穏やかな生活を望んでいたのだと、文子は満足そうに微笑んだ。


 ドダドダドドドドド………

「何が起こったの?」

 折角、無為に過ごそうとしていたのにと、文子はちょっと腹を立てて表に出ると、見知らぬ男が、家の前の畑を耕している。

「あのう、確かその畑はこの家と一緒に私が借りていると思うのですけど……」

 畑の端まで行くと、此方に返ってくる。文子の目の前でトラクターを止めると、よっこらしょと降りてきた。

「あんたが吉田文子さんかぁ! 柿の下の山中さんに、ついでに耕してやれと言われたんや」

 どうやら、下の田んぼは、この男の土地のようだ。

「もしかして、貴方も山中さんですか?」と質問したら、そうだと笑った。

「俺の家は、橋を渡った所にあるんだ。山中耕一といいます! いごよろしくな!」

 さっき、町に行くときに通った橋だと、文子は頷いた。でも、耕して貰っても、何も植える予定は無いのだ。不動産屋のおじさんに曖昧な返事をしたのを後悔していたので、ここはきっぱりと伝えておこうと頑張る。

「折角、耕して頂いたのですが、私は農業には素人なので……」

 農業をする気は無いと続けたかったのだが、耕一に話の途中で遮られた。

「ああ、わかってるって! 柿の下に聞いたから! 一から教えてやっから、心配せんでもええわ。えっ、それとも下の田んぼも自分でやってみたいとか?」

 とんでもない! と文子は思いっきり首を横に振る。目の前の畑すら、持て余しているのだ。

「素人なら、一番簡単なのはじゃがいもや、さつま芋だな。畝を作ってやるから、明日は種芋と、ツルを植えるで!」

 あれよ、あれよ、という間に、明日は農作業の日になった。でも、まぁ、節約するのに、じゃがいもとさつま芋があれば便利だと文子は自分を納得させる。


『会社で働かないのだから……良いとしよう!』

 耕一が持ってきてくれた種芋と、さつま芋のツルを、教えられた通りに植え終えると、一仕事すんだ気になり満足感がこみ上げてきた。やれやれと、文子は痛む腰を擦る。


 一人では中々貰った野菜は無くならない。萎びてきた野菜を見ると、勿体ないことをしている気分になる。文子は何とか備蓄できないか調べたくなった。コンピューターを長持から取り出すが、なかなか繋がらない。やはり、何か回線を引くべきなのかもしれないが、節約生活から離れていくのが不安だ。

「図書館のコンピューターを借りて、調べられるかも?」

 電動自転車で、図書館に行き、コンピューターで保存方法のレシピを調べると、あれこれ出てきて楽しくなる。

「そうだ! 何か通信手段を手に入れないと……」

 今時、携帯もスマホも電話も無い生活をしているのは、自分だけだと文子は溜め息をつく。社宅には固定電話があり、会社にも当然だが電話があった。今まで文子は携帯を持つ必要性を感じなかったのだが、何か通信手段を手に入れないと、万が一の場合に困る。

「色々、有りすぎて……」

 探索してみたが、なにがなにやらわからないので、これも保留にする。

 役場に隣接している図書館を出ようとした時、文子は信じられないアナウンスを聞く。

「明日は、農協のいちごフェアーがあります。ブランドいちごの苗を格安料金で販売します。皆さま、お揃いでお出かけ下さい」

 驚いているのは文子だけで、図書館にいる他の人は聞き流している。

「あのう、このアナウンスは何ですか?」

 他所から引っ越して来た文子に、図書館司書のおばさんは、有線だと教えてくれる。

「今時、有線なんか残っている地区は、ここら辺だけでしょうね。でも、便利なのよ。火事や葬式も教えてくれるからねぇ」

 古いパンフレットを役場で貰い、通話料金は町内一律十円! という値段に驚いた。大阪市内に住む親戚などに連絡はできないが、警察、消防局、役場、病院などはこれで充分だ。早速、有線をつけてもらう。


「ああ、うるさいなぁ」

 有線をつけて貰ったのは良かったが、宣伝がうるさい。文子は一番小さな音にした。これで、田舎暮らしの最低限の設備を整えたと、文子はのんびりと本を読む。

 目が疲れたら、ごろんと横になり、うとうとと惰眠を貪ろうと、誰に文句を言われることもないのだ。


 至福の時間を過ごしていたが、邪魔が入る。

「こんちわ~! 山中さんに頼まれて、えんどう豆と、茄子とトマトとキュウリの苗を持ってきたんやけど~」

 文子は、渋々起き出して、キャップを被った男にお礼を言って引き取って貰おうと考えた。

「おお! 耕一が言ってた通りのべっぴんさんや! 俺は、河上保ってんだ。お隣の山中のおばちゃんの実家の河上や。ほら、あっちに白い壁が見えるやろ?」

 べっぴんさん! そんな風に言われたのは初めてだ。地味な容姿だと、文子は自覚している。

 保とえんどう豆や、トマトなどの苗を植え、納屋の中に立て掛けてあった棒を組み合わせて、蔓が延びたら巻き付けるような柵を作った。

「また、蔓の固定の仕方を教えに来ちゃるわ!」

 そんなの頼んでないが、取れ立てのトマトやキュウリは美味しいだろうと、文子は頷いておく。


「これは、人生に一度あるというモテ期なのか? それとも、農家の嫁不足はこれほど深刻なのか?」

 文子が思い描いていた田舎の節約生活からは、どんどんかけ離れてきている。無為に過ごす筈が、朝から雑草を抜いたり、あれこれ忙しい。農協のストアーで、大きな麦ワラ帽子と、脚絆と、ゴム長靴も購入した。ついでに、売れ残っていたいちごの苗も格安で購入する。

 耕一と保は、お互いに何か協定を結んでいるのが、二人が鉢合わせすることはない。時々、やって来ては、肥料のやり方だとか、虫の駆除の仕方を教えては帰る。

 このまま良い隣人で終るのか? それとも、何かアクションがあるのか? 文子は、自分がどちらを望んでいるのかもわからない。

「今さら、結婚なんて無理やわ……」

 周りの農家の嫁を見て、自分には無理だと首を横に振る。となると、二人の好意が重く感じる。特に、河上保は、隣の山中のおばちゃんの甥なのだ。今まで親切にして貰ったぶん、気まずくなりそうで困惑する。


『こどもなどをつくるのは、よくない……』

 徒然草の一文を詠み、文子は溜め息をつく。こどもがいると欲も出るし、心配事も増えるのは確かだ。それより、自分が子育てをしている姿が想像できない。

「なにを考えているのやら……早期リタイアした身なのに……」

 耕一も保も、何も文子にアクションも起こしてないのに、先回りして考えている自分が笑える。

「ずっと都会の片隅で、父と静かな生活をしていた反動なのかもしれない」

 無駄な考えを止めて、畑に出る。初めてなのに、二人の指導のお蔭で、えんどう豆は柵に巻きついて花をいっぱい咲かせている。他の作物も順調なのは嬉しいが、雑草もすぐに芽を出す。専業の農家なら、薄めた除草剤を使ったりするみたいだが、暇にまかせて草を抜いていく。こうした単純な作業が、意外と嫌いじゃないのに文子は驚く。

「今年は、二人のお世話になったけど、来年は自分で種や苗を用意しよう!」

 今更、結婚して、子どもを産むなんて無理だとは思うが、この小さな畑を耕して、好きな本を読んで暮らしていけたら良いなと文子は考える。


 文子が引っ越して来て、初めての夏が来た。

「わぁ! トマトが……美味しい!」

 売るわけではないので、形は不揃いだが、無農薬栽培なので安心だ。もぎたてのトマトを外のホースで洗って、がぶりとかぶりつく。お日さまに照らされたトマトは、生ぬるいが、濃厚な汁が首へと垂れるのもお構いなしに文子は食べた。

「きゅうり、なす、トマト、とうもろこし!」

 ザルに収穫物を並べて、何を作ろうかと文子は悩む。一人暮らしでは食べきれない程、毎日野菜は成長する。

「ラタトゥイユ! いっぱい作って、山中のおばさん家に持って行こう」

 おかずを持って行くなんて、都会の社宅で暮らしていた頃には、考えもしなかったが、文子は徐々に濃密な人間関係の田舎暮らしに慣れてきた。


「おや、まぁ、洒落た物だねぇ」

 山中のおばさんは、実家の甥の保と結婚してくれたらと思ってたが、どうやら本人は世捨て人の生活を楽しんでいるみたいだ。こればかりは、なりゆきにまかせるしかないと笑って受けとる。


 文子は、柿の木下の山中さん家にもラタトゥイユを持って行く。

「へぇ、美味しそうね! 耕一くんにも分けてあげたら」

 こちらの一押しは、橋の近くの耕一くんなのだと、文子は苦笑する。

「そうですねぇ、耕一さんと保さんにはお世話になったから、今度また作ったら!」

 軽やかに電動自転車で田舎道を走り、文子は古い小さな家へと帰る。

「さぁて、何の本を読もうかな?」

 午前中の農作業が終わったら、昼からは本を読んだり、昼寝をして無為に過ごすのが文子の楽しみだ。


 これから、どうなるのかは文子にもわからないが、当分はこうして過ごしたいと考える。田舎暮らしは気に入ったが、今更、結婚したいとは考えていない。


「徒然なるままに……」


 そう呟いて、文子は本を開いた。



                     終わり





 







 



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― 新着の感想 ―
[一言] 田舎の様子がリアルに描かれていますね^ ^ 作るのは大変ですが、とれたての野菜は美味しいのです。 文子さんには田舎暮らしを楽しんでほしいなあと思います。 それにしては、早いリタイア。 勇気が…
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