第2話【茅葺屋根の下で一休み】
冷たい空気が肺の中を出入りして、私の息を凍らせた。
森の中、道なき道なきを歩いていた私と薬さん。
そんな私達の目の前に突如現れたのは、明らかに人が作った一本の道。
彼はそこを迷わず進み、私はまたその後を追った。
彼は、一休みして目覚めた私に熱さましの薬草を飲ませると、かなり速度を落として歩いていた。
彼なりの、医師としての優しさであり気遣いなのだろう。
けれど、それでも決して彼の隣で歩くことが出来ない、
してもらえないという事実は私の心の端で毒の棘となっていった。
思うたびにじわじわと熱を持ち、暗い感情を排出してくる。
彼のような性質を持ったものには、沢山心当たりがあるつもりだ。
美しい花弁を持ち誘惑をしながらも根に毒を持つ花々、
静かに着実に蔦を絡めて束縛してくる植物、
彼はそのどちらにも似ていた。
野生の動物が、人間に必要以上に関わってこないのと同じように。
そして私達は今、医師である彼の患者のもとに向かっている。
もちろん私には詳しいことを話してくれるわけなどなく、また私のせいで遅れるなど出来るはずもなかった。
でもとにかく私は、
子供としてでも旅を共にするものでもいい、誰かに優しさを分けて欲しかった。
そんな根暗で皮肉屋な最低な私が向かったのがその集落であったことは、本当に幸運なことだったと思う。
やっとの思いで登っていた山の頂上につくと、私はもう汗だらけでしばらく動けなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
私が今いるのは、山に囲まれたいわゆる盆地のようだ。
民家に挟まれたこの道はまだまだ続いているが、彼の足は止まっている。
このまま道は別の山に繋がっているようだが、
どうやら茅葺屋根の民家で出来たこの集落が今回の目的地らしい。
彼は私が膝をついて息を整えているのを、しばらく遠くから眺めていた。
やがて私が顔を上げると、彼は近くの民家に入って行った。
彼の治療は大抵数日がかりになるため、彼が目的地についてまず最初に入るのは宿だ。
いつも思うのだが、一体何処でいつ宿をとっているだろうか。
今回宿となる場所は、蔵を改築して出来た民宿らしい。
入ってすぐに、畳の匂いと温かさを感じた。
服に着いていた雪だけでない、
何か固くなっていたものが簡単に溶け出す感覚に、
心が落ち着く。
私が玄関の扉を開けた音を聞きつけたのだろう、
見ると、玄関の前にある部屋から少し年配の女性が出てきたところだった。
「よぅ、来たなー
お医者様だけでなぐこんな可愛いこもおるとはな。
ゆっくしてってな。」
聞いたことはない、けれど自然と理解できる方言が耳に馴染む。
宿のおかみさんは、おきくさんというらしい。
とても優しい笑顔で、部屋まで案内してくれた。
この人は怖くない、
そう直感的に、本能的にわかる。
おきくさんに聞いたところ、
この宿はおきくさん一家だけで経営しているらしい。
さらに今は人があまり来ない季節ということで、
他に泊まっている人はいないらしい。
お礼を言って部屋の襖を開けると、彼は奥にある神棚の前に立っていた。
相変わらずの表情で、何処か遠くを見つめている。
私が中に入り持っていた荷物を端の方に置くと、
彼は振り向いて私が来た方向、
すなわち外へと向かった。
「柊、お前はここにいろ」
「はい…」
そう答えて、ふと思う。
そういえば、今日の治療はどれくらいかかるのだろうか。
もう夕方になるだろうから、
帰りが遅くなるならば、夕飯は別になる。
おきくさんには後で夕飯の時間を伝えると言ってしまったし、
先に聞いておかなくては。
でも、出来れば一緒に……
「あの、薬さん。
どれくらいに戻ってき……て…」
振り向けば、彼はいつの間にか音一つ立てず部屋の襖を閉じて出て行っていた。
あぁ、いつも通りの展開だ。
ふぅ、と溜息を一つ吐き出して、気持ちを切り替えて部屋を見渡す。
すると、神棚に近い奥の方に布団が一枚ひかれていた。
彼が、引いてくれたのだろうか。
諦めを含みながらも、
少しだけ、嬉しさを感じる。
それにここは、冬の森の中にいた時は違う。
電気を消して部屋が暗くなっても、
静寂の中に人の気配を感じる。
服を着替えて布団に入ると、
私はまだ冷たい毛布に包まって瞳を閉じた。