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作者: 明音

扉を開けると同時に一陣の風が吹き抜ける。冬は過ぎたが、まだまだ肌寒さは抜けない。花粉症患者には苦しい季節真っ盛りである。そして桐島直継もその被害者の一人であった。マスクをしていても少し外気を吸っただけでくしゃみが止まらないほど彼の症状は深刻だ。しかし、全く外に出ないわけにはいかない。今日も今日とて欠かさずトレーニングをしなければならない。

彼はスポーツ選手や運動部員などではなく、ただ単に親に強制されていたのが習慣になっただけである。桐島の家は特に歴史のある旧家でもなく、そういう家系でもない。どこにでもあるような一般家庭だ。父は公務員、母は専業主婦の中間層というところだろうか。なぜ毎日こんな面倒なトレーニングをさせられていたのか桐島にはよくわからなかった。だが、小さい頃から続けているこの習慣は大学生になって一人暮らしを始めた今でもやめることはなかった。一度でも休めばきっともう継続することが出来ないと三日坊主の彼にはわかっていたからだ。

トレーニングはランニングから始まる。小一時間ほど、くしゃみで酸欠になりながら自宅近くを周回するのが最近の日課だ。そのため少しほうけながら走っていた桐島は交差点の赤信号に気づくことが出来なかった。鳴り響くクラクション。まばらな悲鳴。それらが桐島の手放しかけた意識を辛うじて繋ぎとめた。ぼやけた視界に一人の少女が映り込む。そこで彼の意識は途切れた。

次に目覚めたときには病院のベッドの上だった。桐島は上体を起こすと隣に人影があることに気づいた。その人影は意識を失う直前に見た少女そのものであった。少女は船を漕いでおり、起きる気配がない。桐島はすぐにでもこの少女から事情を聞き出したかったが、しばらくそのまま寝かしておくことにした。

時刻は夕方過ぎ、桐島が目覚めてから二時間は経った頃。ようやく少女は寝ぼけ眼で桐島が目覚めたことを認めた。彼女は余程驚いたのであろう、座っていたパイプ椅子から転げ落ちてしまった。少女は困ったような表情をしながら立ち上がると、大まかな事情を桐島に聞かせた。

少女の名前は三条祐奈。桐島を車で跳ねた張本人であった。見た目は女子中学生というところだが、歴とした大学生であるようだ。桐島を跳ねた後、事故による種々の書類手続きをすると急いで桐島の病室に訪れたのだ。桐島の怪我は比較的軽症だったのが幸いして刑事罰のかわりに示談でこの事故は処理できると三条は説明すると、桐島はあっさりとそれを承諾した。話を聞くとどうやら三条と桐島は同じ大学の他学部であったため、桐島は妙に親近感を覚えてしまい強気に出ることができなかったのだ。事故についての話が終わると、三条は連絡先を交換して病室を後にした。

一か月後。桐島は無事退院することができたのだが、履修登録をすることができず単位が足りなくなったために留年が決まってしまった。どうしたものかと思案に耽っていた桐島であるが、今更悩んでもあとの祭りである。桐島は仕方なく実家へと帰省することに決めた。桐島は田舎出身の貧乏学生で入院費や生活費を親に借りることが今回帰省(寄生?)する目的だ。しかし、結果から言うと門前払いであった。大学の学費を払っているのに、その上雑費まで請求するとは何事だというのが親の論である。そのため何の収穫もなく大学近くのアパートへ舞い戻ったのである。

途方に暮れた桐島は三条に電話することにした。すると、家まで来てほしいというので早速三条宅まで向かった。三条の家は思いの外近くにあるためすぐに到着した。チャイムを押すが三条が出てくる気配が一向にない。留守にしているのかと思ったが、何回かチャイムを押しているうちに扉が開いた。しかしそこには三条の姿はなく、代わりに厳つい三十代後半と思しき男性が顔を出した。すみません住所を間違えたようですと言い桐島は立ち去ろうとしたのだが、それよりも早くその男性に家の中へと引き込まれてしまった。

部屋の中は煙で充満していた。これは明らかに危険な香りがする、一刻も早くここを立ち去らなければならないと思う桐島だが微動だにできなかった。彼のまわりには刺青や大きな傷跡がある如何にもやヤクザな男たちに囲まれていたからだ。

部屋の奥に座っている男が「この男で間違いないんだな?」と言うと、背中に般若の刺青をした男が軽く頷いた。桐島は恐怖のあまり男の言うことが理解できなかった。男は立ち上がると桐島の顎を持ち上げ品定めをするように眺めた。男は鼻で笑うと桐島をどこかへ連れていくように指示した。その間、桐島はなすがままだった。

そこは地下室だった。桐島は猿轡と目隠し、手錠、足枷をされるとぞんざいに地下室へと投げ込まれた。それからどれだけ経ったのだろうか。喉の渇きや空腹が桐島の精神を蝕む。光や音が一切その空間にはなかった。あるのはただ孤独だけ。

桐島はいつしか幻覚を見るようになった。誰かがこの地下室を開けて桐島を華麗に助け出すのだ。しかし、そんなことはなかった。

桐島は頭に一発銃弾を受け、射殺された。


一方、その頃。三条祐奈はポテトチップスを食べながらお笑い番組を見てほくそ笑んでいた。もちろんその場所とは桐島が殺害された地下室の真上だ。彼女は適当な人間を見繕って人身売買をするディーラーの一人である。三条は桐島を数か月前から狙っていた。獲物はなるべく健康体で若い男が高く売れる。しかしこの商売は常に危険と隣り合わせだ。いつ自分も売り飛ばされるとも知らない。こんな世界で彼女はまた闇を啜って生きていく。

次の獲物はあなたかもしれない。

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