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阿呆な娘と男の話

たんぺん

作者: 柊 晶

 獣人の歴史とは、則ち奴隷の歴史である。

 ヒトより優れた身体能力を持つはずの彼等はしかし、魔力を持つことはなかった。逆に貧弱な肉体しか持たないはずの人間は、誰しもその身に多かれ少なかれ魔力を宿す。

 そして何より、ヒトは賢く残忍であった。


 同等量の力を持つ二人がいたとき、より悪意の強い方が勝つという。果たしてそれは、種族間であっても全く同じであった。

 そして、より早く獣人の危険性に思い至った人間は、獣人の制圧を行ったのだった。


 これは、そんなどこかの世界の話。そこで生まれた小さなセフィムの話である。




 ※ ※ ※ ※




 セフィムは幼い頃から聡い少女であった。それはつまり、多くに疑問を持つ子供であったということである。そしてその疑問は誰もが当たり前と考えていることにまで至った。

 月が二つあることに、夜が真の暗闇であることに疑問を持つものはいない。花が枯れぬことに、大地が気まぐれであることに疑問を持つものはいない。しかしそれらすべてに、セフィムは“何故”を抱き、大人へとぶつけてしまった。

 それ故に、彼女は聡いが故に阿呆の称号を戴いていた。


 そんな阿呆な少女は、相変わらず阿呆な疑問を胸にお気に入りの場所へと入り浸る。


 「大地の基盤?」

 「はい。大地には大きな、それは大きな魔法陣が埋め込まれています。それを、大地の基盤と言うのです。お嬢様の疑問は、おそらくそれでほとんど解けるでしょう。」


 確かに、と、セフィムは頷く。植物の恒久的な姿も、ヒトが地図を作れぬ頻度でその形を変える大地も、その魔法陣とやらの影響だというなら納得はいく。

 その幼子に見合わぬ理解力に、丁寧に教える男は目を細めた。


 「どのくらい大きいの?」

 「ヒトが行ける範囲は全てと言われております。」

 「ふーん。そんなすごいもの一体誰が作ったのかしら。きっと一人じゃないわよね。」

 「そうでしょうね。」

 「いつ頃からあるのかしら?効力の切れぬ魔法なんてあるの?」

 「それは…。」


 無邪気に首を傾げる彼女に、男は詰まり眉を垂れて低頭する。


 「申し訳ありません、そこまでは…何分無学なものでして。」

 「とんでもない!あなたが無学ならあなたに教えを請う私はとんだ無知だわ!責めるはずがないじゃない。だから、ねえ。そんな風に頭を下げては嫌よ?」


 慌てたのはセフィムだった。膝をつき、その肩に手をかけ幼い力で精一杯大きな体躯を起こさせようとする。それに従い、男はゆっくりと持ち上げた頭をセフィムに向けた。


 「あのね、私ね、あなたにとっても感謝しているのよ。お母様もお父様も、みーんな教えてくれなかったことをちゃんと教えてくれたんだもの。何故そんな当たり前のことをと、呆れられるばかりだったのに…。でもあなたは、馬鹿にしたりしないで丁寧に教えてくれたわ。お陰で、色んなことを知ることが出来た。」


 男と視線を合わせて、彼女は一生懸命に言葉を重ねた。


 「本当にありがとう。」

 「お嬢様…。」

 「だから、そんな風に膝をつかないで。お願いよ。」


 セフィムは、男にこんな態度をとってほしくなかった。確かに男は彼女の父と主従の関係ではあるが、それは父とであってセフィムとではない。何より、セフィムにとって男は師と仰ぎ見るほどの尊敬を抱く相手だったからだ。誰にもこの関係を話したことはないし、男にも胸の内を明かしたことはない。しかしセフィムはもしこの主の娘という立場がなければ、自ら頭を下げて請い従うは自分の方だと思っていたし、また望んでもいた。


 こんな風に、隠れるようにこそこそしながらではなく、堂々教えを受けたかったのだ。


 しかし、男はそれをダメだという。


 「あん、もう。時間切れね。私そろそろ戻らなくっちゃ。ねえ、今日はありがとう。また来るわね。」

 「いえ、お役に立てたならば光栄です。…お待ちしております。」


 付け足された最後の一言に、セフィムの顔が綻ぶ。本当に、本当に嬉しそうに。それを見て、男もまた彼女にしか見せぬ柔らかさを含めて目を細めた。そして、彼女は踵を返し二人だけの秘密の部屋をそっと滑り出て行く。


 一人残された男は、ゆるりと目を閉じた。瞼の裏に、いまだ彼女の綻んだ顔が浮かぶ。


 男は、家の誰よりも彼女の賢さを知っていた。当たり前を切り捨てず真摯に向き合えば、彼女は教えるこちらこそが新しい智に目覚める心地を与えてくれる。彼女の発想は既知のどれにも似通うことはなく新鮮だ。


 そして同時に、男は彼女の無知さも知っていた。


 知っていて、黙っている。


 「…………。」


 男は無言でその長躯を動かした。のそりと椅子から立ち上がり、少女と同じように、いや更なる警戒を持って部屋から滑り出る。そして人の気配がないことを確認し、その場から、階段下の倉庫部屋から足早に立ち去った。向かう先は−−−奴隷小屋。


 男は、彼女にあえて話していないことがあった。彼女に初めて会ったとき、誰かと無垢な瞳で聞かれたときに、男は名前と、この屋敷に従事するものとだけ答えた。少女は無知な故に疑問を持たず、男の異様な形をそのままそういうものだと受け入れた。人にしては長い手足も、前に張り出した顔も、牙の生えそろう口も、太く長い尻尾も、全身を覆う鱗も、そういう者も世界にはいると言う事実だけを男は与えたのだ。


 男は、獣人と呼ばれる生き物だった。


 そして男は、自らが獣人であり奴隷である事実を少女に教えていない。


 馬鹿なことをしている自覚が男にはあった。今でこそ幼いが故に何も知らず、ああも男を慕っているが、いずれその魔法も解けることだろう。そのとき、少女が何を思うか分からぬ男ではなかった。しかし。


 自らの居場所である大部屋に着き、数多転がる同胞の隙間に横たわる。やはり思い出すのは少女の姿だ。


 いつか。

 いつかあの瞳も歪むのであろう。

 いつかあの瞳が侮蔑を浮かべ、他の人間と同じように男を見下すのであろう。今は賛辞を述べる小さな口が大きな棘を持った言葉を吐くのであろう。謀った男を、決してヒトは許さない。幾ら阿呆な娘であっても、獣人風情に誑されたと知ればあの主人は怒り狂うに違いない。そのときに、自分の命があるとは男にはとても思えなかった。


 それでも。


 「…お待ち、申し上げております。」


 お嬢様。


 呟いて、男は目を閉じる。


 今だけは。せめて今だけはこの夢を見ていたかった。いずれ食いつぶされる命なら、あの無垢な少女の夢に捧げたかった。どうせ今のままでも録な死に方はしない。ならばあの心地好い夢にまどろみ、その夢に殺されたかった。


 12時の鐘は、まだ鳴らない。

続きそうで続かない。

でも気が向いたら続けるかも。


でっかいのとちっこいのっていいですよね。

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