優しい悪魔
「ああ、何でうまくいかないんだろ」
届け先のいない声を、夜の公園は暗闇の中に隠してくれる。誰にも見つからないように暗闇の奥の奥の方へと隠す。
だから、ついついこの公園にいると愚痴を溢してしまう。
暗闇は決して語らない。代わりにどんな愚痴だろうと自慢話だろうと受け入れてくれる。
ベンチに腰掛け、3本目の缶ビールが空になったとき、それは突然現れた。
「すみません。少し時間を頂けますか?」
目の前には黒いスーツの男が立っていた。暗くて顔はよく見えなかったが、男の黒いスーツは、暗闇の中でもはっきりと分かる黒だった。
「だれですか?」
酒の邪魔をされたのでぶっきらぼうに答えた。答えたというよりは質問したというほうが正しい。
「申し遅れました。私、悪魔派遣会社の浜口と申します」
はて、この男は何を言っているんだ?
なんたら派遣会社の浜口さんが俺に何の用件があるんだ?
酔いがまわった頭で考えてみても、それらしい答えは浮かばなかった。
「で、そのなんたら派遣会社の浜口さんが俺になんの用ですか?」
『分からないときはすぐに質問。ホウレンソウは社会人の基本だ』と山下課長が言っていた。
野菜が嫌いな俺には後半は意味不明だった。
「悪魔派遣会社です。読んで字の如く、悪魔を派遣するビジネスをしております。」
「……悪魔ですか? からかうのは止してください。今、機嫌が悪いんです」
「からかいなどではございません。私、こう見えて2児の父親でして、一家の大黒柱でございます。我が子がひもじい思いをしなくてすむように、今夜もこうして営業しております」
大黒柱だとかどうでもいい情報が多かったが、営業という言葉を聞き、俺の胸は締め付けられた。
今日、俺の失態で大きな取引を台無しにしてしまったのだ。山下課長にこっぴどく叱責され、憂さ晴らしにこのベンチに腰掛けていたのだった。
浜口の話に耳を傾けようと思い始めたは、こんな時間まで仕事をしていることへの親近感からだと思う。
「……アクマ。アクマってあの悪魔ですか?」
「どの悪魔のことを仰っているか存じませんが、人間界で一般的にいわれる悪魔です。悪の象徴。冥界の使者。そういったものです。それらを商売として使用しているのがわが社です」
ずいぶんと浮世離れした話だ。ファンタジーだ。
しかし、なぜだろう。浜口が絵空事を言っているようには思えなかった。
「商売って言ったけど具体的には何をしているんですか?」
「はい。端的に説明しますと何でも屋でございます。」
「何でも屋?」
「厳密にいうと何でも屋とは違うのですが、どんな願いでも叶えるので何でも屋と表現いたしました。それで、具体的にどのようにして――」
……どんな願いでも。
その響きが頭の中を駆け巡る。……どんな願いでも、……どんな願いでも。
「……あの」
気づくと、浜口が怪訝そうな表情で俺の顔を見つめていた。
「ああ、すいません。続けてください」
「はい。それでは、具体的にどのようにして願いを叶えるか説明させて頂きます」
なんだか、上手く話に乗せられている気がする。
「まず、この『悪魔の丸薬』を一粒飲んで頂きます」
そう言うと浜口は飴玉のようなものを鞄の中から取り出した。
「あとは、心の中で願いを唱えて頂きます。これで、どんな願いでも叶います」
「それだけですか」
「はい。今ほど申し上げたことを手順通りに行って頂ければどんな願いでも叶います。
ちなみに、抽象的な願いは叶えることができません。
例えば、『幸せになりたい』といった願いは、人によって幸せの形は千差万別ですので叶えられません。幸せの形がお金持ちになることなら『お金持ちになりたい』と願うほうがよろしいかと思います。ただ、『お金持ちになりたい』という願いも抽象的なので、『1億円欲しい』というように具体的な金額を唱えて頂くのがベターでこざいます」
こんな話、信じられるはずがない。どうせ、高い金額払わせて飴玉を買わせるつもりだろう。
日本の夜から悪者は無くなることはなさそうだ。
「なるほど。でも浜口さんが言っていることが本当かどうかわかりません。というか、虚言にしか思えません」
「そう考えられるのが普通でございます。では、試しに私が実演してみます」
浜口は悪魔の丸薬なるものを飲み込んだ。
目を閉じ何かを唱えているようだ。唇が微かに動いている。
浜口はゆっくりと目を開き言った。
「そちらの缶ビール、持ち上げてみてください」
俺は言われるがままに、さっき飲み干した缶ビールを持ち上げた。
そこには、はっきりと質量があり、泡の弾ける音が鼓膜を震わせた。
疑いは確信に一転した。
悪魔は存在する。
「すごい。なんていうか、すごいです。これ、ください! お金はいくらでも払います。あ、今、持ち合わせがないから振り込みでもいいですか!?」
「申し訳ありませんが、人間界と我々が住む魔界では通貨が異なります。ですので、人間界でも魔界でも同価値のものを支払って頂きます。」
「……同価値のもの?」
「時間でございます。」
「それは、寿命を削るということですか?」
「いえ、時間を削るということです。人間界では、1日の時間が24時間でございますね? 悪魔の丸薬を使用する度に1日当たりの時間が減っていきます。
先ほど私は缶ビールの中身をもとに戻す願いを叶えました。缶ビール1本2百円と考えますと2秒くらいでございます。つまり、私は1日の時間が23時間59分58秒の人生をおくらなければならないわけでございます。」
「なるほど、わかりました。じゃあ、俺が悪魔の丸薬を使う度に俺の時間が浜口さんの会社に振り込まれるわけですね」
「そういうことでございます」
「じゃあ、30個ください」
悪魔の丸薬を使わなければ時間は減らないわけだ。だったら、多めに貰っても問題ないだろう。
「お待たせしました」
浜口はそう言って瓶詰めにした悪魔の丸薬を渡してきた。
「追加の申し込みは瓶の底に書いてある連絡先に連絡してください。それでは、夜も遅いので失礼します。」
浜口は闇の中へと消えていった……。
「試しに1粒飲んでみようかな」
ガラスの瓶から悪魔の丸薬を一粒取り出し、飲み込んだ。
『1千万円欲しい』
心の中でぼそっと唱えてみた。
……何も起こらない。なぜだ?
辺りはまるで1枚の風景画のように動かない。
ああ、そうか。
1日は8万6千4百秒しかないのか。
読了ありがとうございました。
アイデアだけぼんやりと浮かひ勢いで書いたので無茶苦茶です。
酷評待っています。