アンティークポストカードの年代判定法 続き
前回に引き続きアンティークポストカードの年代判定法ですが、今回は日本編です。
ちなみに日本では通常はがき(官製はがき)が明治6年、私製絵はがきが明治33年に使用認可されました。
日本の場合も判定法は海外編とほぼ同じで、基本的に「消印」と「表面の仕切り線があるかないか」です。
明治40年までは、表面に仕切り線がなく、ここに通信文を書くことは禁じられていました。その次に大正7年まで、表面の三分の一に仕切り線が引かれ、通信文を書くスペースが設けられます。そしてそれ以降は表面の半分の位置に仕切り線が引かれ、通信文を書くスペースがさらに広がり、現在の形となります。
明治33年(1900年)から明治40年(1907年)
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表面に仕切り線なし
明治40年から大正7年(1918年)
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表面の三分の一に仕切り線(三分の一に私信が書ける)
大正7年以降
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表面の二分の一に仕切り線(私信を書くスペース拡大)
上のはがきは仕切り線が三分の一なので明治40年から大正7年と分かります。
また現在は「郵便はがき」と表面の上部に表記されていますが、これも年代を推定する指針の一つです。
昭和7年まで「きはか便郵」で、昭和8年から昭和19年までが「きがは便郵」、戦後「郵便はがき」に変更されます。
裏面です。あとは裏面で判断することもできます。日本の出来事や、建物から判断するのは、海外編よりも分かりやすそうです。上の写真は浅草公園の花屋敷です。そしてその後方に、「凌雲閣」通称「浅草12階」が見えます。浅草12階は明治23年に建てられ、大正12年の関東大震災で半壊しますから、私製絵はがきの使用認可時期、表面の仕切り線からと合わせて判断するとやはり明治40年から大正7年の間ということになります。裏面意味なかった! もしかしたら他の要素からなにか判別できるのかもしれないですが、わたしにはこれが精一杯です。ただ浅草12階が映っているポストカードが欲しかっただけです。浅草12階に登ってみたい。今の体力じゃ無茶苦茶疲れそうですけど。
浅草12階って江戸川乱歩の「押絵と旅する男」に登場しますが、陰気な石の段々がカタツムリの殻みたいに際限なく続く、とただ登るだけの建物だったのか、人気はいまいちだったみたいですね。早々にエレベーターが壊れたのもそうですし、登るだけって、すぐに飽きますね(諸外国の物品販売もあったようですが)登る途中の壁には戦争や美女の絵を並べていたみたいですけど、当時の人々の関心はキネマ(活動写真)やオペラにあったようです。
ただ建物がおしゃれだなーと見るたびに思います。大正時代の象徴って感じがします。この時代に行けたならやっぱり登ってみたい。




