むかしのお金
わたしが小学生のころ、「ギザ十」とか言って、側面がギザギザになった十円を集めている子がクラスにいました。「枚数が少ないから珍しいお金」「価値がある」と自慢されたわたしは、自分の財布と貯金箱ひっくり返して「ギザ十」を探しました。なんとか見つけたときはうれしくて、そのあと使わないように大事にしてたけど、そのうち飽きちゃいました。小学生ががんばったところで、そんなにたくさん集まらないですし。と、そんな記憶があります。
骨董集めをはじめたときも、日本のむかしのお金に興味は持ちつつも、集めるには至っていません。なんだかキリがなさそうですし。それに使いみちがない。骨董市で購入したのは、「寛永通宝」という江戸のお金と、大正14年の50銭銀貨だけです。お安く買えました。(いや、お金の額面から考えると、何十倍にもなっているということなのかな、難しいことはわかりません)。
寛永通宝のほうは、「このお金は江戸時代を体験したお金なんだ、江戸の空気を吸ったお金なんだ!」と、江戸を堪能(頭の中で)するために買っただけで、50銭銀貨も祖母の生まれた年の発行だったので、勝手にその場で感動して衝動買いしただけです。この50銭銀貨は結構綺麗な状態です。普通の100円みたい。
状態(お金の綺麗さ)にこだわらなければ、すぐ手にはいるアイテム。骨董市でも、お金専門で売っている方がいらっしゃいました。わたしなんて、「むかしのお金だ~」とか単なる見たがりで寄って行くだけの迷惑ものですが、コレクターの方の目は真剣そのものです。売主さんといろいろ話し合って、お取引していました。お金でもなんでも、それに長年情熱を注いで、時間を費やして集め続けるというのは、なかなかすごいことだと思います。
わたしも小学校時代の1枚20円のカード集めにはじまり(200枚くらい集めた)ボタンだの、ビーズだの、ピンバッジだの、結構コレクター気質なんじゃないかと思っているんですが、残念なことに続かない。集め方がまるで中途半端。「集め」のプロの方は本当に尊敬します。




