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忘れもの  作者:
第一章 灰と空
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プロローグ

この小説を開いていただき、ありがとうございます!


もし読んでもらえるのなら、まだまだうまくいかない点も多いですが、最後まで付き合っていただけると嬉しいです。

 七月の下旬。言い換えれば学生にとっての夏休みの始め。


 普通の学生なら友達と遊んだりとか、新作のゲームを楽しんだりとか、自分のやりたい事をしている時期だろう。部活動に勤しんだりするのもいいし、若干不健康だがクーラーの掛かった部屋で昼頃まで寝ているのもいい。蝉の声が聞こえる部屋でゆっくりと読書をするのもまた一興。


 十人十色千差万別。それぞれ形は違うが、どれも青春の一ページである事には変わりはない。

 青春を謳歌するのもまた、学生の仕事である。

 どれだけ無駄に思える時間でも、それはいつか自分の血肉となるだろう。


 そう、それが例え、


「……しんど」


 病で床に臥せっていてもだ。


 今は辛くても、夏休みが明けた頃には笑い話になっていて、数年後には良い思い出になっているのだろうか。


 そうベッドの中で夢想するのは、黒髪黒目に身長は百七十と少しという平均的な日本人の特徴を持つ少年、川原(かわはら)晟夢(せいむ)である。

 そしてこの晟夢、先に述べた通り夏休みが始まってすぐのこの時期に高熱を出して倒れてしまったのである。


 今日は忙しい部活の間を縫って友人と映画を見に行く予定だったのだが、当然そのような状態で外出の許可が下りるわけもなく、あえなくキャンセル。だからと言って高熱を出している今の状態で宿題はおろか、ゲームすらする気にならないので結局は寝るぐらいしかやる事がない。


 幸い、晟夢の不調が発覚したのは朝早くだったので、二度寝の要領で晟夢はすぐに眠りにつける……筈だった。


 なのに、先程からどうにも目が冴えて眠れない。


 体が火照り、こんな状態にも関わらずどうしてだか運動がしたくなってしまう高揚感。だというのに体は思うように動いてくれない。


 そんな矛盾した感覚が晟夢の眠りを阻害していた。


「……はぁ」


 ため息を吐いて寝返りを打ち、何を考えるでもなく壁をボーッと見つめる。


 両親は共働きで朝早くから家を出ていて、もう家にはいない。大学生の兄がいるが、大学はまだ夏休みに入っていないらしく、隣の部屋からパタパタと出かける準備をする音が聞こえてきている。


「…………」


 部屋の中にクーラーの駆動する音が響く。窓一枚隔てた蝉の声は少し遠く、風邪を引いた時に一人でいると何故か感じてしまう何とも言えない寂寥感がどこか、胸の奥につかえるようで少し居心地が悪い。


 晟夢は何ともなしに携帯電話を手に取り、画面を開く。着信は無いようで、そこには水を撒き散らして清涼感溢れる滝の待ち受け画面に今日の日付と曜日、そして現在の時刻だけが映し出されていた。


 しかし、特に何をするわけでもなく、晟夢は小気味いい音とともに携帯を閉じて元の場所にそれを戻した。


 そのまま目を閉じるが、しかしその行為が与える暗闇は晟夢を眠りへと誘う事はなく、代わりに、晟夢の聴覚をいつもより少し鋭敏にするだけに止まった。


 目を閉じて数分ほどは特これといった音は聞こえてこなかったが、それから少しすると、その聴覚が隣の部屋の扉が開いた音をとらえた。その音の主は晟夢の部屋の前を通り過ぎて行き、階段を下りた後階下にあるリビングに繋がる扉を開けて、その中に入って行ったようだった。


 さすがにリビングに入ってからは何をしていたのかまでは分からなかったが、少しすると、再び扉が開く音が聞こえた。


 そして、今度は階段を登る、一定のリズムで少しずつ大きくなっていく音。


 どうやら、戻ってきたらしい。


 しかし、その足音は何故か隣の部屋まで戻らずに、晟夢の部屋の前で止まった。


「おーい、晟夢起きてるか?」


 足音の主がノックもせずに扉を開けて入って来る。


「何だよ、兄貴?」


 足音の主、つまりは晟夢の兄の行動を咎めることもせず、晟夢は寝たまま声だけで答える。


「用ってほどの事もないが、折角の夏休みに風邪を引いた愚弟を馬鹿にしてやろうかと思ってな」


「趣味悪いな、オイ」


「ははっ、俺よりでかくて俺より喧嘩が強い奴が風邪なんて、気ィ抜けてんじゃねぇの?」


 晟夢が弱っているのをいい事に、普段から背が低い事を馬鹿にされている鬱憤をこれでもかと言うほど晴らし始める身長が四捨五入で百六十センチの晟夢兄。


 しかし、いまだ頭がうまく働かない晟夢にはその口撃は躱せなかった。


「うっさい、さっさと大学行け……」


 口にする言葉も微妙に力がない。


「なんだよ、マジでしんどそうじゃねぇか……」


 晟夢兄もいつもと違う弟の様子に少し怪訝そうに眉を顰める。いつもはうるさいと思っていても、静かだと逆に心配になってしまうのが人の性だ。


「まぁいいさ。……ほらっ、これでも食っとけ」


 そう言って晟夢に投げてよこしたのはミカンゼリー。晟夢とその兄の共通の大好物である。


 これは、川原家の冷蔵庫に常備されている品なので、さっきまでの行動はこれを取りに行くためのものだったようだ。


「じゃ、俺はそろそろ行くから」


 ちゃんと寝てろよ、と最後に言い足して晟夢の兄は扉を閉めた。


「お前は母親かっつうの……」


 兄が出て行った扉を眺めながら晟夢は呆れた様に呟く。続いて、玄関の扉が開閉した音を聞くと同時に布団の上に転がっているミカンゼリーを拾い、蓋をはがした。


「……あれ?」


 そして気付く。


「スプーンないと食えないだろうが……」


 兄がミカンゼリー“しか”寄越さなかったことに。


「しゃあねぇな、取りに行くか」


 そう言ってふらつく足取りで階段を下りて台所へと向かう。思いの外自分の喉が乾いているのに驚きつつも、どうせゼリーを食べるのだからいいかと、食器棚からスプーンを取り出してテーブルに座る。


 ふたを外して無言で喉にゼリーを滑らせていると、冷蔵庫に貼ってある部活の予定表が目に入った。明日は昼からの練習が入っていたが、今日の様子次第では休んでもいいのかもしれないなぁ、と晟夢は思う。隣に貼ってある母親のパートの勤務表からすると、どうやら明日は母親も休みらしいので、ちゃんと体を休めていないと小言を言われてしまいそうだが、まぁ部屋で静かにしている分には問題ないだろう。


 とりとめもない思考を繰り返すうちに、ミカンゼリーの入っていたプラスチックの容器が空になる。立ち上がり、容器を流し台で軽くゆすいでから晟夢はリビングを後にした。

 しようとした。


 リビングから廊下へと繋がる扉。そこに伸びた手が空を切った。生まれた時からずっと握り続けていたノブに触れられなかった。掛けるべき力の行き先を失った体は前へと倒れ、扉にぶつかろうというところでようやく反射神経が働き、とっさに差し出したままの手が扉から体を遠ざけた。


 そうしてバランスを崩した体を持ちなおそうとして、


「あ、れ……?」


 世界が廻った。


 正確には、急に力の入らなくなった晟夢の体が、勢いのままに後ろへと倒れて行っただけだ。しかし、それは晟夢に宙吊りになってしまったような不安感を与えつつも、ふわふわとしていて、何か柔らかい物に包まれているような気持ちにもさせた。なのに、何故か体が急速に冷えていく。


「な、ん……え?」 


 何も支えてくれるものがなくて不安で、更には急に体温が下がって悪寒がしているはずなのに。それが夢の中であるかのように現実感のない不思議な感覚。そんな奇妙な夢見心地の中、晟夢は何か、おかしな感覚を覚えた。それもはっきりと。どうしてなのかは分からない。けれど、何もかもが不安定な世界の中、それだけは唯一確かだと感じられた。



 ──自分はもうこの世界にはいられない



 これは間違いのない、事実なのだと。





 ◆ ◆ ◆





 幻想。


 その言葉は、この世にはあり得ないものを表す。


 有り得ない物。

 そして、在り得ない者。


 もし、そうであるならば。


 ──自分は、一体何者なのだろうか?

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