表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

campus life 9

 不安定に次から次へ、鮮やかなものから深い闇へと変わる感情は、それでも凪いでいる海のようで静かに穏やかだ。

 悩んで苦しむことを止め、諦めることを知り、現実を後悔しても、もう、もとには戻れないとわかっている。

 時間がすべてを解決し、いつかこんなことがあったと笑って思い出せるように。

 ただ、毎日が早く過ぎていくことを願っている。

 一度裂け目のついてしまったものを、なんとか修復したとして、決して完全じゃないそこは、簡単に傷を深くする。

 そして、思いがけず、再び割れてしまう。

 二度目の傷はもっと深く、修復の手間を考えるなら、新しいものへと気持ちが揺らぐ。


 見えている未来が悲しいなら、今、別れたほうがいい。


 傷がそう深くないうちに。

 癒すまでの時間が浅いうちに。

 目の前に、きみがいる今。

 きみを、もっと、本当に嫌いにならない時に。

 嘘を吐き続ければ、それはやがて、自分の中の真実になる。


 もう、僕はきみの隣にいることはできない。



 その理由を知りたいのに、感情はそこで途切れて私の意識も闇に落ちた。

 嘘を吐きたくないと言葉を口にしたのに、胸の奥では嘘を吐き続けるという。

 どちらが本当の気持ちで、どちらが嘘なのか。

 それとも。

 どちらも嘘、ですか。

 優しい笑顔やおどけた態度は、いつも真実を隠すためのもので、やがてそれは、彼の中でも頑なにココロを隠す仮面になったのかもしれない。

 出口の見えない迷路のように、いつ解放されるかわからない不安に、ただただ、笑って平気だよと呟いているみたいだ。


 目が覚めたとき、ベッドにもたれて眠っていたのは、伊吹じゃなかった。


「んぁ……? しおり、起きたのか」


 身体を起こした私がうんと頷くと、川島くんも眠そうに顔を上げる。

 まだイヤな頭の痛みはわずかに残っているものの、重ダルかったはずの身体は、逆にふわりと浮いたような感じがする。

 窓の外は日が落ちてどの位経ったのか、リビングからは照明が差し込み、一体今何時なのか、さっぱり見当がつかない。

 布団の上で丸くなっているシロは、ちらりとこっちを見ただけで、またすぐに目を閉じた。


「伊吹も、あんなに冷酷そうに見えて、本当はうぜぇくらいアツイからムカツクんだけど」


 暗闇の中でもわかる川島くんの三白眼がこっちを睨む。

 起きて早々、そんなことを言われて、訳がわからず視線を返す。


「特にさぁ、アレ、すげー目つき悪くなって何にも言わねぇ時が、マジやばい。有無を言わさず従えモードだもんな」

「何か、あったの……?」


 いや、確かに何かあったのはわかってる。

 そして川島くんもまた、そんなこと聞くなと言わんばかりに口を開いた。


「それは、こっちの台詞だよ。しおり抱きかかえて帰ってきたかと思ったら、遅くなるって言ったっきり帰って来ねーよ。ケータイも繋がんねぇし、どこ行ったんだか」

「そー……なんだ」


 違和感に、左肘の裏側へ指を伸ばすと、白く四角いテープが張られていた。

 赤く血の滲んだそれをゆっくりはがすと、もちろんもう血は止まっていて。

 おぼろげに病院に連れて行かれたことを思い出した。

 脳裏にかすかに浮かぶのは、見慣れない天井と、点滴パックからぽたりと薬が落ちてくる横に、伊吹がいる景色。

 そんな途切れ途切れの記憶を、順番に辿りながら繋いでいくと、最後に泣きそうな河合さんの顔が浮かんだ。


「しおり」


 不意に呼ばれて顔を上げると、なんだか不満そうに唇を突き出した川島くんがいた。

 その唇が、何か言おうとして開いたものの、気まずそうに再び閉じる。

 そしてイライラしたように、川島くんは頭をかいた。


「その、ごめんな。悪かったよ」

「え?」

「しおりが、いろいろと無理してるなんて思わなかったからさ。つーか、んな身体壊すまで無理してるなんて、俺、わかんねーよ」


 何の事を言ってるんだかわからなくて、私はただ川島くんを見つめた。


「あ、だから、その……ごめん。伊吹に、怒られたんだよ。俺が当番サボりまくってしおりに無理させてるって。だからこんなふうに倒れるんだってさ」


 私の様子をちらちら伺いながら、川島くんはもう一度ごめんと私に頭を下げた。

 風邪や能力のせいで倒れてしまうのは、決して川島くんのせいじゃないのだと、伊吹だって気付いているだろう。

 それでも、良いきっかけになると思って、ちょっと大げさに川島くんに忠告したのかもしれない。

 そう思うと、つい笑ってしまいそうになった。


「しおりがまぐれで大学合格したの、すっかり忘れてたよ」

「なっ……」


 哀れんだ瞳がこっちを向いて、そして深々と溜息を吐く。


「やっぱさ、無理すると、入学した後が大変なんだよなぁ。俺もレベル下げて入学して良かったよ」


 そーゆーことですか。

 まぐれはマグレでも、私は合格したし、ちゃんと進級もしたのも事実ですっ。

 確かに勉強は思っていたよりも大変だけど、だからって。


「ま、これからは、ちゃんとするから。とりあえず、ハラ減ってないか?」

「う、ん……少し」

「伊吹がおかゆ買ってきてたけど、食うか」

「うん」


 よしと、それなりに気合を入れて立ち上がると、少しだけ照れくさそうに微笑んで、川島くんは部屋を出て行った。

 川島くんの解釈は癪に障るけど、これでちょっとでも変わってくれるなら、それでもいいかと思ってしまう。

 私がいくら言っても聞いてくれなかったのに、伊吹が言うとこうも違うものなのかな。

 やっぱりあの表情が、目が怖いよね。

 でも、たぶんそれだけじゃなくて、タイミングとか言葉が理路整然としてるのだ。

 私はベッドの横に投げ出されたままのバッグから、ケータイを取り出した。

 闇の中で眩しいくらいのディスプレイに表示される時刻は、1:36。

 同じゼミの友達からのメールはあったけど、伊吹からはメールも着信もない。

 どこに、行ったんだろう……?

 嫌な胸騒ぎがするのは、気のせい、だと思いたい。


「しおり、こっちで食べる?」

「あ、うん。今行く」


 リビングから覗き込む川島くんに返事をして、不自然に軽い身体で立ち上がろうとした時だった。

 手の中のケータイが震えて鳴った。

 小さな画面に映し出される名前に、私は出るべきか否か、迷ってしまう。


「伊吹?」


 着信を確認するように、川島くんの声だけが聞こえる。


「あ、違うの」


 表情を変えた川島くんが部屋を覗くのと、私が電話に出たのはほとんど同時だった。


「はい……」

『ごめん。もう、寝てたよね』


 優しい声は、沈んだ気持ちを無理に押さえ込もうとしているように聞こえた。


『昨日は、ごめんね。体、大丈夫?』

「なんとか、大丈夫です」

『そっか。良かった。本当に、俺、どうかしてるんだ。だから……都合よすぎるってわかってるんだけど、昨日のことは、全部忘れて』


 河合さんは、私の耳元で情けないねと自嘲する。

 どう答えていいか、わからなかった。

 河合さんの行動も、口から発せられた言葉も信じたくなかったけれど、聞こえてしまったココロの声は、それを裏付けるのに十分で。

 でも、その声を思い出せば、研究室で見たふたりの姿と、あの人の言葉も脳裏に浮かぶ。


『しおりちゃん』


 不安になる気持ちを揺さぶるような声に、ケータイを持ち直した。


『北原、いる?』

「あ、いえ……今、出掛けてます」


 どうして、そんなことを聞くの。

 息を飲んだ緊張が、電話の向こうの河合さんに伝わってしまうような気がした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ