campus life 7
寒くてなんだか身体もダルイ。
いつものことだけど、ちょっといつもと違う。
身体の節々が痛い。
きっと夜中、伊吹にアンナコトやコンナコトをさせられたせいだ。
すかさず被っていた毛布を奪われて、私は身を縮め、手探りで人肌を求める。
毛布をひとり占めしてる彼を捕まえると、無造作に毛布を引っ張りその中へ入った。
「しおり」
ん。まだ起こさないで。
もうちょっとこうしてて。
私は彼の体に手を伸ばし、暖かい胸に潜るように顔をうずめた。
「しおり」
優しい声だ。
昨日はあんなに私をいじめたくせに。
頬に触れた手が思っていたより冷たくて、私は重い瞼を開いて声のするほうを見た。
「しおり、それ、俺じゃないから」
「……え?」
その台詞、いつか私も言ったような気がする。
私は眉をひそめて、触れている彼の顔を見上げた。
「か、か、川島くんっ!? なんでっ!?」
猛スピードでぐっすり眠る川島くんから離れると、私は一瞬真っ白になってしまった頭を抱えた。
くつくつと笑いをこらえる声が聞こえて、その身体が川島くんを跨いでこっちにやってくると、目の前にしゃがみこんで私を覗く。
「おはよ」
混乱する私を無視して、伊吹の唇が私のそれに重なった。
首筋に触れる手のひらも、唇も、いつもより妙に温度が低くて肌が粟立つ。
背後にあるベッドにもたれると、汗をかいた背中にシャツがひやりと冷たかった。
「やっぱり、な」
唇が離れて声を出そうとすると、代わりに咳き込んでしまう。
私の背中をさする北原の口から、ふと息が漏れた。
「熱があるから、今日は休めよ」
「……え」
「食後には、これを飲むこと」
伊吹は私の手をとると、市販の風邪薬の入ったビンを握らせた。
「今日は昼過ぎには帰ってこられるから、病院連れてくよ。それまでちゃんとゆっくり眠るように。じゃ、行ってくる」
ぼんやりとする私の額にキスをして、伊吹は部屋を出て行った。
喉が熱いのも、温度がいつもより低く感じるのも、私の身体が平熱を越えているせいだ。
風邪を自覚すると、一気にダルさが倍増して、私は背中のベッドに身体を預ける。
そして、目の前で寝返りをうった川島くんを見て、夜中のことを思い出した。
伊吹の部屋に連れ込まれて、危うく何かをさせられそうになった時、タイミングが良いのか悪いのか、泥酔した川島くんが帰ってきたのだ。
それから。
超ゴキゲンでテンション上々な川島くんにゲームをつき合わされ、コントローラーをぶんぶん振っているうちに、私もつい真剣になってしまって。
川島くんが眠ってしまっても、伊吹とテニスのゲームに明け暮れた。
実際身体を動かしたことが画面に反映されるとなると、ほんのわずかな動作で十分なのに、つい力が入ってオーバーアクションになる。
その結果、身体の節々が痛いのだと思っていたけど、どうやらそれは、風邪のせいでもあるみたいだ。
「私、何やってるんだろ……」
空が明るくなり始めた頃、部屋に戻るのも面倒になり、伊吹を真ん中にして、狭い部屋で川の字になって眠ったのだとやっと、思い出した。
熱のせいで軋むような身体を起こしてキッチンに向かうと、ミルクパンにひとり分のおかゆが用意されていて、胸の奥がじんわり暖かくなる。
ひとり暮らしなら、誰かがこんなふうにしてくれることもなくて、心細いまま、ベッドの中で丸まっていたに違いない。
まだ冷めていないおかゆをよそい、ソファに座ると、すぐ横にシロが並んだ。
シロも伊吹からごはんを貰ったのか、口の周りを舐めながら毛づくろいを始める。
「……おいし」
たまごの入った薄味のおかゆは、今日の私の胃にはちょうど良い。
思わずほっと息が漏れた。
窓の外は灰色の厚い雲が垂れ込めていて、今にも雨が降りそうだ。
私は伊吹に言われたとおり、おかゆを食べ終えると薬を飲むと、自分の部屋に戻りベッドに潜り込んだ。
どれくらい眠っただろうか。
雨音で目を覚ますと、朝よりずっと身体が軽く楽になっていた。
ここ数日続いていた頭痛と身体のダルさは、あの能力のせいじゃなく、風邪のひきはじめだったのかもしれない。
リビングに戻り、伊吹の部屋を覗くと、開けっ放しのドアから川島くんの足が見える。
どうやら二日酔いか、まだ起きられないみたい。
それよりも。
「雨、か……」
さほど雨脚は強くないものの、自転車で15分の距離を濡れて帰ってくれば、あの伊吹でも風邪をひいてしまうかもしれない。
「もしかしたら、もう、うつっちゃってるかもしれないし」
今朝のおかゆの心遣いも嬉しかったし、お礼といってはなんだけど、ちょっと彼女らしく傘なんか届けちゃおうかな。
言いつけどおり、ちゃんとゆっくり眠ったし、少しは熱も下がってるみたいだし。
「たまには、ね」
風邪ひいてるくせにとか、怒られちゃいそうだけど。
それならそれで、帰りにまっすぐ病院に寄ってこよう。
私は着替えると、念のため川島くんに手紙を書いて家を出た。
先週の臨時バイトで少しお財布の中身も余裕があるし、タクシーに乗り込んで大学の獣医学部へと向かってもらう。
そろそろ講義が終わる頃だし、一応、すれ違いにならないためにメールしようとケータイのディスプレイを開いた。
未読メールのサインに、何気なくメールボックスを開くと、思わず指先が止まる。
遥さんからだ。
『慎吾が喋っちゃったみたいだね。
黙ってて、ごめんなさい。
しおりちゃんが望むようなふたりじゃなくて、ごめんね。
でも、しおりちゃんと北原くんのほうが、よっぽど素敵なカップルだよ。
私たちのほうが見習うべきだったんだと思う。
本当に、ごめんね。』
午前二時過ぎ、ちょうど伊吹と川島くんと馬鹿騒ぎしていた頃だ。
私があんなことをしている間にも、遥さんがわざわざメールをくれたのだと思うと、なんだかひどく胸が痛い。
鈍感で気付かなかった私のほうこそ、謝らなきゃいけない気がした。
伊吹にメールを送ったものの、タクシーの中では返事が来なくて、やがて獣医学部の前で車を降り、電話しようとケータイを手に取ったときだった。
「あ、北原の彼女じゃん」
振り返ると、何度か伊吹と一緒にいるのを見たことがある、背の高い男の人が傘を差して立っていた。
「なに、もしかして、アイツのために傘持ってきたとか? うらやましいねー」
「はぁ、まぁ……」
そんなふうに言われると、なんだかとても恥ずかしいことをやってしまったような気がして、今更ながら少し後悔した。
彼は視線を私の手の中にあるもう一本の傘に向けたまま、話を続けた。
「今の講義、急に休講になってさ。北原なら、さっきまで一緒だったんだけど、澤田さんに呼ばれて研究室行ったみたいだよ」
「え? そうなんですか」
「うん。けど、なんか、ちょっと、ヤバイ感じだった」
彼が妙にいやらしく笑うから、私は思わず眉根を寄せた。
「かーなーりー、意味深な感じでさ、もしかしたら、今は行かない方がいいかもよ?」
「なんですか、それ」
「ほら、知ってると思うけど、澤田さん、彼氏と別れたって話じゃん? ああ見えて、けっこう落ち込んでるみたいでさ。北原が相談に乗ってるらしいんだよね。昨日の夜もさんざん話聞かされて、遅くまで付き合ってたみたいだし。って、コレ、彼女に話すようなことじゃないか」
わざとらしくごめんねと付け足すと、まるで可哀相なものでも見るような目で微笑んで私に背を向けた。
彼が話したのは、伊吹と遥さんのことだ。
私が知らない、見ることが出来ないふたりの姿。
でも、昨日の夜、伊吹はバイトだったはずだし、遥さんから話を聞いているふうでもなかった。
だとしても、なんの利害関係もない伊吹の友達であろう彼が、私にそんな嘘をついて何の徳になるだろうか。
彼の口から語られたことを上手く飲み込めずに、私は返事の来ないケータイを握りしめたまま、雨の中でしばらく立ち尽くしていた。