campus life 5
頭が、重い。
いっそ取り外して自分自身で隅々まで掃除できたらどんなに良いかと思う。
掃除したところで、この嫌な感覚が治まるかどうかは、わからないけれど。
本日最後の講義は終わったものの、大量の課題を出されて、私は図書館へ向かっていた。
「しおりーっ!」
元気のいい声に振り返ると、川島くんがぴょんぴょん跳ねながら手を振ってこっちに向かって来る。
「今日、伊吹バイトだったよな? わりっけど、俺も出かけるから、夕食当番、また今度でよろしく」
「えっ!? それなら、仕方ないけど……出かけるって、どこに?」
にやり、まさにそんな音が似合うような表情に、私は微妙に引いた。
北原は親から人間のお医者様になることを望まれていながら獣医の道を選び、家からの仕送りは寮費のみ。
今回川島くんと一緒に暮すことになって、その寮費は浮くわけだけど、それでもバイトなしではやっていけなくて、週に何度かは近くのコンビニで深夜までバイトをしてる。
一方川島くんは、家賃タダ、水道光熱費を含む生活費全般を補うのに十分すぎる仕送りをしてもらっていて、私と北原は完全にそれに甘えさせてもらってる。
バイトをする必要もないし、川島くんのことだから、大学生活もがっつり勉強、そして院生になってゆくゆくは教授とか…? なんて勝手な想像をしていたのだけど。
「俺、今日、合コンデビュー」
「は!?」
「先輩に誘われてさ。最初は断ったんだけど、俺みたいなヤツが必要だっていうから」
「そう、なんだー……」
言葉では否定的なことを言いながらも、明らかに嬉しそうな川島くんに、私はそれ以上何も言えない。
誘った先輩がどんな人かは知らないけど。
合コンといえど、緻密な作戦を基にメンバーが選出されるのだと聞いたことがある。
実際、私も北原も参加したことはないのだけど、「お誘い」がなかったわけでもない。
イレギュラーメンバーが配置される要因として、以下が挙げられる。
① 単純な盛り上げメンバーの補充
② 相手を考えてハイレベルなイケメンの当て馬的補充
③ 他メンバーをより良く見せるための完全脇役的補充
川島くんは、大学生になってからちょっと垢抜けたと思うし、北原を習ってか、それなりに洋服のセンスも悪くない。
でも、目つきの悪い三白眼の童顔には変わりないわけで。
背丈も160センチに満たない私とほとんど同じだし、相変わらず口も悪い、生活態度もなってない……! (っていうのは、私の私情が入りまくりだけど)
まぁ、どんな要因で川島くんが選出されたのだとしても、楽しんできてくれればそれでいい。
「川島くん」
「なんだよ?」
「健闘を祈ってるよ」
「それ、どーゆー意味だよ」
なんとなく、私が考えていることに気付いたのか川島くんが睨むから、私はひらひら手を振って、そそくさとその場を後にした。
川島くんの大学生活に一抹の不安を感じるけど、彼も彼で、高校時代に縛られてきた様々なモノから解放されて、すっかり羽を伸ばしているともいえる。
私たちがいなくなったあと、園芸部に女子がひとり、川島くんの好みだったかどうかはわからないけど、入部したと聞いている。
そして倉田先生から、この春生まれた女の子の写真と一緒に、今年新たに男子部員がふたり入ったのだと手紙が届いた。
「懐かしいな……」
あの時は、早く学校から逃げ出したかったのに、今では大切な思い出の場所だ。
女の子ひとりに、男子がふたり。
いつかと同じような組み合わせで、温室は賑やかにやっているのだろうか。
思わず微笑んで顔を上げると、久しぶりに見る姿に、私は足を止めた。
やがて、その人も私に気付いて、いつもどおりに笑った。
「しおりちゃん、俺のこと、避けてるっしょ?」
仕方ないなぁと甘やかしている妹を叱るみたいに、河合さんが言う。
私が嘘をつくのが苦手だと知っていて、わざとらしく瞳を覗きこんで。
動揺しながらも、私は真意を悟られないよう、目を細くして笑ってごまかした。
「北原とふたりで、こそこそ俺たちがどうなったのか観察してる」
目の前に来ると、腕を組んで私を見下ろした。
「そ、そんなこと、してませんよ」
「俺は、しおりちゃんをそんな嘘つきな妹に育てた覚えはないな」
「えーと、その……」
避けていたわけじゃない。
でも、数日前、あのことがあってから、河合さんと遥さんの様子をこっそり窺っていたのは本当だ。
困って何も言えずにいると、河合さんが大きく溜息をついた。
「どっちかっていうと、わかってると思うけどデリケートな話だからさ、俺たちから言うより、そっちから聞いてくれたほうが、話しやすいんだよね」
「え……」
「でも、聞きにくいよな、別れたかなんて」
河合さんはあっさりと、でもどこか寂しそうな表情でそう言った。
呆然とした私は、口が半開きになっていることに気がついて、慌てて唇を閉じる。
「バレちゃったらしょうがないよなぁ。遥が、しおりちゃんが俺たちに憧れてるみたいだから、別れたことは、しばらくは気付かれないようにしてようなんて言うからさ。下手な芝居してたんだけど、ね」
「そんな」
もしかしたらの嫌な予感が、こんなにも簡単に河合さんの口から語られるなんて思ってもみなかった。
それも、私のために、黙っていたなんて。
今まで知らなかった複雑な感情がこみ上げて、私はただ俯いた。
すると、優しく暖かい河合さんの手が私の頭を撫でる。
「黙ってて、ごめんね。なんかほら、いつも四人で遊んでたじゃん? 本当なら一番先に報告するべきだったんだと思ってるんだけど。俺たちのこんなところは真似しないで、しおりちゃんと北原は幸せになってよ」
北原が言っていたように、私たちがどうこう口を出す問題ではないのだ。
わかっているのに、私は駄々っ子のように、ただ首を横に振った。
「あと、さすがに四人一緒では会えないけど、できれば俺とも遥とも、今までどおりに付き合ってもらえたら嬉しいかな」
「どうして……」
「ん?」
「あんなに……仲良かったのに。何があったんですか?」
大喧嘩したとか、雰囲気が悪くなってるとか、倦怠で全然会ってないとか。
例えばそんな場面を見たり聞いたりしていれば、別れてしまったことが事実だと飲み込めるかもしれない。
でも、そんなもの、ちっともわからなかった。
もし、結論付ける前に私たちに話してくれていたら、何かが変わっていたんじゃないかと思ってしまう。
河合さんは少し困って、人差し指を私に向けると口を開いた。
「オトナの事情です」
いつものようにおどける河合さんに、今日ばかりは真剣に腹が立った。
「ふざけないでくださいっ」
「あぁ、妹に怒られるなんて、ダメな兄だね」
「河合さんっ、本当に私、河合さんのことも、遥さんのことも大好きだから……だから、そんなの、嫌です」
隣で北原が聞いていたら、きっとあとから馬鹿だと怒られるだろう。
私はただの自分勝手なワガママをぶつけているだけだ。
ふたりにはふたりの事情があって、わざわざ私や北原に報告するほどでもないことで、結果、こうなってしまったのは、紛れもない事実で。
「じゃあ、俺のこと、嫌いにならないでね」
河合さんは右手で私の両頬をうにゅと掴むと、変な顔だと言って笑う。
必死でその手を払うと、河合さんの屈託のない笑顔に、なんだか反論する気も失せてしまった。
「また今度、ランチデートしようね」
軽く手を上げて、河合さんは私の横を通り過ぎていく。
その後姿は、やっぱり以前と何も変わらず、このまま真っ直ぐ獣医学部に遥さんを迎えに行くような気がして。
正面から冷たい風が吹いて、私はなびく髪を抑えて瞼を伏せた。