表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

campus life 12

「……う」


 気持ち悪い。


「……あ……」


 頭痛い。

 目も、喉も、全身が痛い。

 カーテンの向こうが明るくなって、聞こえてくる車の音が、人々の一日の生活が始まった時間であることを教えてくれる。

 昨日、あんなふうに雨の中を走り回って、確か伊吹が病院に連れて行ってくれて……だけど、点滴だけじゃ、風邪は治らないらしい。

 むしろ、悪化してる。

 吐きそうで身体を起こそうと向きを変えると、頭を殴られるような痛みに襲われる。


「伊吹……」


 思いがけずすぐそばにある寝顔に、私は驚いて声を上げた。

 ここは私の部屋で、私のベッドで。

 小さなシングルベッドにパジャマ姿の私と、シャツにジーンズのままの伊吹がいた。

 いっぺんに眠気など吹っ飛んだものの、ガンガンと痛む頭は上手く働かず、どうしてこんな状況になっているのかわからない。

 そう、夜中に目が覚めたら川島くんがいて、河合さんから電話がきたのだ。

 伊吹が、遥さんと一緒にいる、と。

 でも、今はここに、私の隣にいる。

 いつの間に帰ってきたのだろう。そして、どうして私のベッドで一緒に眠ってるんだろう。

 どうして。

 どうして私は、こんなにも、切ないんだろう。

 私の昨夜の気持ちを知らないでいるような、安らかな寝顔が悔しくて伊吹に背を向ける。


「しお、り……起きたのか?」


 背後の身体が動くとベッドの軋む音がした。

 顔を覗きこまれるのだと思って、私は身体を硬くして毛布を被る。

 その隙間を縫って侵入してきた指先が、温かい指の腹とその裏で、熱を確かめるように首に触れた。


「具合、どう?」

「……サイアク」


 黙っていようとしたのに、抑えきれずに感情をそのまま言葉にした。

 いや、感情だけじゃなく、実際吐き気もするし、昨日よりずっと頭が痛い。


「じゃあ、今日はふたりでずっとこうしてよう」


 私はいいけど、伊吹は授業どうするのよ。今でも変わらず成績優秀な優等生のくせに。

 どんなに甘えたい朝だって、今まで一度もそんなこと言ってくれたことなかったのに。

 後ろめたい、から?

 マイナス思考の自分が、そんな言葉を思いついてしまう。

 私の気持ちを知ってか知らずか、伊吹の腕が私の腰に伸びて抱きしめた。

 背中にぴったりとくっつくいて、そこから彼の体温が伝わってくるのに、頑なになってしまった私の感情は溶けそうにない。

 何も理由を話さずに、こんなことするなんて、ずるい。

 許したくないのに、許してしまいそうで、悔しくて涙が出た。


「しおり」


 伊吹に悟られないように涙を拭いたつもりだったのに、顔を隠した毛布を引っ張られ、それを握る手に力を込める。


「泣いたら、もっと頭痛くなるぞ」


 そんなふうに全てを見透かすようなことを言うなら、どうして泣いてるかもわかってるんでしょう?


「しおり、顔、見せて」


 イヤだ。

 ……なんて。

 甘えてずるいのは、私のほうかもしれない。

 でも、今更簡単に顔を見せることができなくて。


「日本酒は、カロリーが高いって知ってるか?」


 突然そんなことを聞かれ、思わず力が緩んだところで、伊吹が毛布を引き剥がした。

 咄嗟に毛布を掴んだものの、間に合わなくて顔を曝け出された私は、伊吹とばっちり目が合ってから、慌ててシーツに顔を埋めた。


「浮腫んで酷い顔だな。熱も下がってるし、気分が悪いのは、夜中の酒のせいだろう」


 のろのろ回転の脳内が、その台詞で一気にフル稼働し、血の気が引いていく。

 鐘が鳴り響くように痛みが治まらない頭も、こみ上げるような気分の悪さも、もしかして。


「どうせ覚えてないだろうから」

「あ、私、また……何か、しちゃったの?」


 伊吹の言葉を遮る形で聞くと、自分の声すら反響して頭が痛い。

 背けていたはずの、浮腫んで酷いという顔を、気にせず伊吹のほうへ向ける。

 いつもの非常なまでの冷酷さはどこかに消え失せ、疲れて眠そうな瞳が私を捉えた。


「どれだけ飲んだか知らないし、何かしたのかどうかも川島から聞いてないけど、俺が帰ってきたときには、川島の膝枕で眠ってたよ」

「えっ!?」

「川島に怒られた。こんな状況でしおりの面倒見させるなって」


 思わず伊吹から視線を逸らして自分の失態を想像してみたものの、伊吹の台詞にさっきまでの感情が引き戻される。

 頬にへばりついた髪を静かに払い、代わりに伊吹の手のひらが触れた。


「今、少し話しても平気?」


 私は黙ったまま、戸惑いながら伊吹を見た。


「昨日は、澤田さんとちゃんと話をしてきたよ。そのあと、河合さんとも」


 そこから先を聞くのが怖い気がした。

 伊吹が私の隣にいることは事実で、おそらくそれが結論なのだとわかっているのに。

 弱気な私が昨日の研究室でのことを思い出させて、不安を煽った。


「河合さんの地元、仙台だって聞いたことあるだろ。こっちで就職しようか、それとも帰ろうか悩んだそうだ。結局親の希望もあって、帰ることを決めた。当然あと三年学生でいる澤田さんとは遠距離になるし、お互いの将来を考えて別れることを河合さんひとりで、澤田さんの気持ちも聞かずに、一方的に告げたらしい」

「そんな……」

「もちろん、理由はそれだけじゃなくて」


 ……しおりちゃんのことを、好きになった。

 そう言って真っ直ぐ私を見つめる伊吹の唇が、ぴくりと動く。

 私は目を伏せて、気を失う前に河合さんに抱きしめられたことを思い出した。

 あのあとに聞こえたのは、間違いなく伊吹の声で。

 私の本意ではなかったにしろ、伊吹も同じような衝撃を受けたのかもしれない。


「俺の他にも、しおりのことを好きになるなんて、奇特な男もいるんだな」

「なっ……」


 どーして、そういう発想になるわけ!?

 強く言い返そうとしたところで、二日酔いの頭がズキンと大きく痛んで歯止めをかける。


「ましてや、あの澤田さんを越えるとは、ね」


 その言い方に、抑えていた不安と共に、伊吹を責めたい感情が一気に溢れた。


「伊吹だって、あの時、遥さんと……抱き合ってたじゃない」


 正確には、遥さんが伊吹に抱きついたのだけど。

 勢いあまって事実を歪めて、大袈裟に言ってしまった。

 それに、河合さんは本当に心から私のことを好きなわけじゃない。

 すぐそばにある顔を睨みつけると、伊吹は少し嬉しそうに笑った。


「残念ながら、しおりが考えてるような話じゃない。やっぱり、勘違いして出て行ったんだな」

「か、勘違い?」

「そう。勘違い」

「な……何よ、それ」

「知りたい?」

「……っ、別にっ!」

「あ、そう」

「『あ、そう』って……!?」

「だって、別に知りたくないんだろ」


 いつものペースでからかってるつもりなんだろう。

 私だって、そんなのわかってる。

 わかってるけど。

 唇を噛んでぎゅっと目を閉じると、こらえきれず涙が瞼を濡らした。


「もう、いい」


 今は、あんなことがあった後は、そんなふうにふざけてほしくない。

 私、そんなに強くないし、本当は自信だってない。

 いつも隣にいてくれるのに、それでもふと全てが不確かなのだと不安になる時がある。

 こんな時だから、ちゃんと、話してほしいのに。


「ごめん。けど、これは鈍感すぎるしおりへの、ささやかな復讐だよ」


 その意味を尋ねようとしたのに、強く抱きしめられて言葉を飲み込んだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ