campus life 11
こいつらが卒業した時、俺は願いが叶う花ってヤツを譲り受けた。
しおりはなんだか意味わかんねぇ願いを言ったけど、俺はそのあとに密かに違う願いをかけた。
また、三人で楽しくバカやれますように。
大学に合格した時点で、願いは叶ったんだと思ってた。
いや、叶ったんだ。
けど……俺は今、それを壊してしまいそうな衝動に駆られてる。
いたずらに崩したくない、だから、頼むから。
早く伊吹帰って来いよ。
泣き止まないしおりをどうしていいかわからずに、俺は溜息をついて天井を見上げた。
「川島くん……」
ソファの上に投げ出した腕をつかまれて、しおりに視線を戻すと、あまりにも切なげな表情に息が詰まりそうになった。
まるで何かを求めるように、しおりは俺に顔を近づけてくる。
いいのか!? 本当にいいのか……!? いや、まずいよ、絶対ヤバイだろ。
小刻みに首を横に振る俺をじっと見つめて、しおりは目を細めた。
ありえねぇ、酔ってるからだ、伊吹がいないから、だからだよ。
焦るな、俺。これで三人の友情にヒビが入ったらなんて、嫌だ。せっかくまたこうして居られるのに。
でも、酔ってるし、きっと覚えてねぇだろうし。
伊吹だってもしかしたら、マジで浮気してんのかもしんねぇし。
だとしたら、しおりは俺が守るしかないんだよな。
いや、けど、伊吹がんなことするわけなくて。
近くで見るしおりの肌は酔ったせいか、それとも風邪のせいなのか、ほんのり薄紅色に染まっている。
……触れたい。
それくらい、許されるよな?
俺は涙に濡れたしおりの頬に手を伸ばして、自分が震えていることに気がついた。
そして、しおりが瞳を閉じる。
ごくりと俺の喉が鳴った。
いーのか、いーのか!? いーんだな!?
覚悟を決めて俺も目を閉じた。
もし今、伊吹が帰ってきたら何て言い訳しようかなんて、もう考えられなかった。
そして俺は、しおりに……。
しようとした瞬間、突然太ももに衝撃を受けて目を開けた。
「マジ、かよ……」
今まで目の前にいたはずのしおりが居ない。
いや、いた。
俺の、膝の上、に。
「しおり?」
呼びかけると身体がぐるりと動いて仰向けになる。
目を閉じたまま、電池の切れた暴走姫の唇からは、規則正しい息の音だけが聞こえてきた。
「寝た、のか?」
無論、返事は無い。
「……テメー、寝てんじゃねぇよ」
俺は腹の底から息を吐き出して、途端に全身の力が抜けた。
なんだか、どっと疲れて俺も急に眠気に襲われる。
「信じらんねー……」
あの伊吹が、あれだけのダメージを受けていたのがよくわかった。
こいつに酒は飲ましちゃなんねぇ。
けど、やっぱ、しなくてよかった。
ちょうどその時、玄関の錆びた鉄のドアが開く音がした。
「何やってんだ、お前ら」
俺と目が合ったあと、伊吹の視線はテーブルの上にある酒瓶で止まる。
すかさず睨まれるとわかった俺は、わざとらしく膝の上で眠るしおりの肩を揺さぶった。
「おーい、お待ちかねの王子さまが浮気先からお戻りだぞ」
「何だって?」
苛立ちを隠さない声は、わずかに枯れていた。
横目でちらりと伊吹を見れば、怪訝な顔をしてジャケットを脱ぎ、ソファの背もたれにそれを投げ置いた。
「あれだけ言ったのに、飲ませたのか」
「飲ませるつもりはなかったんだよ。風邪に効く玉子酒作ってやって、まさかその一杯で豹変するなんて、俺言われてねーし!」
伊吹の顔を見てたら、無性に腹が立った。
もとはといえば、伊吹がコイツのそばに、せめて目が覚めるまでいてやれば良かったんだ。
そうすれば、俺だって酒なんか作んなかったし、しおりだって余計な心配して飲んだくれることもなかっただろう。
あんな気持ちを、ぶり返すなんてこともなかったはずだ。
腕を組んで俺たちを見下ろす伊吹を睨むと、めずらしく伊吹のほうから視線を外し、ふと息を吐いた。
ゆっくりと床に座り込み、何も知らないような顔で眠り続けるしおりの額に触れる。
その仕草を見ながら、今自分の居る場所が、俺のものじゃないと気がついた。
胸の奥につっかえてるわずかな後ろめたさも、今更引けなくて、俺はわざとそこから退こうとしなかった。
「しおり、熱は下がってたのか?」
「あ、あぁ。メシも食ったよ。薬飲む前に酒飲んじまったけどな」
頷くと、伊吹はゆっくりとまばたきをする。
重たそうな瞼は、伊吹らしくない、冴えない瞳を閉じ込めようとしているように見えた。
「で、遥ってヤツと、一緒だったのかよ」
俺が聞く話じゃないのかもしれない。
でも、酔っていたとはいえ、あんなしおりの涙を見せられたら、伊吹を追及しないと気がすまなかった。
「河合って先輩から電話来て、伊吹がその遥とかいうヤツと一緒にいるって言われたって。その前に、遥に昨日、告られたんだって?」
しおりの話じゃ、昨日はドラマみたいに怒涛の一日だったらしい。
傘を届に研究室に向かったら、そこでは遥が伊吹に告白していて、おまけにその女は伊吹に抱きすがっていたという。
それを見て逃げ出したしおりは、これまた偶然に遥の元カレ、河合に会って、今度はしおりがそいつに告られた。
んで、熱でぶっ倒れたしおりが目を覚ましたら伊吹はいなくて、河合から告げ口みたいな電話が来て。
伊吹は眉間に皺を寄せ、心底疲れたというふうに溜息をついた。
「俺は、駄目だと思った時点で、結果は見えてるもんだと思ってる」
「……あ?」
「人は感情の豊かな生き物だ。だから、揺れ動くことはあっても、一度決意したことを覆すのは、そう簡単じゃない。何度も迷って、自信がないなら尚更、マイナスの結果にたどり着くことが多い」
「何の、ことだよ」
さっぱり意味わかんねぇ。
で、俺の質問を無視して、伊吹は膝の上にいたしおりを抱き上げる。
「おい、伊吹」
「遥さん……澤田さんと、一緒にいたよ」
「マジ……」
憤るより先に、俺までも裏切られたような気分になって言葉を失くした。
「けど、あの人は、俺に告白なんてしてないよ。澤田さんが好きな人は、河合さんだ」
しおりの長い髪が、肩から流れるようにすべり、俺の目の前で揺れている。
温もりを失った膝の上が、妙に涼しい。
「河合さんに別れを告げられて、澤田さんがちゃんとした理由を聞いても、どうしても教えてもらえなくて。それでもあきらめきれなかった彼女に、河合さんは『しおりちゃんのことを好きになった』って言ったらしい」
「え?」
「その気持ちが、本当かどうかわからないし、もしそうだとしても、まだ河合さんのことが好きだって、そう、研究室で相談された」
「それ、本当なんだろうな」
「オマエに嘘ついて、俺に何の得がある?」
「じ、じゃあ、今までその女と何してたんだよ」
「とにかく話を聞いてきた。ただそれだけだ」
「こんなに遅くまで?」
「何なんだ? 俺は明日の朝、しおりの目が覚めたら、また同じことを最初っから説明しなきゃならないんだ。その時に聞き耳でも立ててろ」
静かに、でも吐き捨てるような伊吹の台詞は、俺を黙らせるのに十分だった。
やっぱりそこまで口を挟むべきじゃなかったと後悔しながら、理由くらい、俺だって知りたいとも思う。
「伊吹」
俺に背を向けて、しおりの部屋へ向かう伊吹を呼び止めた。
「しおり、泣いてた。すげー、超大泣きでマジ、ウザかった。酒のせいもあるとは思うけど、けど、んな状況でコイツの面倒見させんなよなっ!」
「悪かった」
立ち止まった伊吹が、肩ごしに振り返る。
「ありがとな」
そんなふうに疲れたふりして微笑んだって、今回の伊吹のやり方には、俺は賛成できない。
誰かのために動き回るのはいいけど、大切なひとを置き去りにしてたら。
もしかしたら。
信用してたヤツが裏切ったかもしれないのに。
俺はもう、そんなことしようと思わない、いや、そんなふうな状況に追い込まないで欲しいと切実に願った。
※お酒はハタチを過ぎてから! 未成年の飲酒は禁止されています。