運命の人は私です
「アリーシャ、どうか私との婚約は白紙に戻して欲しい!」
初夏に入り、少しばかり強くなった日差しの下。
後宮の美しい庭園で、婚約者であるアイザック王太子殿下が私に深々と頭を下げた。両手を両脇のズボンの筋にピッタリと添え、しっかりと九十度に腰を曲げて。
私は驚いて、慌てて周りを見渡した。
確か殿下は人払いをしていたはず。
良かった・・・。誰も見ていない。
王太子ともあろうお方が、こんなにも深々と頭を下げている状況など、下々の者には見せられない。
私は、ホッと一息つくと、まだ頭を下げているアイザック様に声を掛けた。
「どういうことでしょう、殿下?」
アイザック様は顔を上げ、バツの悪そうな顔で私を見つめた。
私は広げた扇で口元を隠し、可愛らしく首を傾げて見せる。
彼は小さな吐息と共にゆっくりと姿勢を戻し、苦しそうに胸元に手を当てた。
「本当に貴女には申し訳ないと思っている。だが・・・、出会ってしまったのだ・・・」
「出会ってしまった? どなたと?」
目を伏せ、切なそうに呟くアイザック様の態度に少しばかりイラッとするが、私は努めて優しく尋ねた。
「それは・・・」
今度は目を潤ませ、遠くの方―――明後日の方向・・・、いいや、更にもっと遠く(一体どこ?)を見ながら言い淀む。いいから、そこは溜めないで欲しい。
「それは?」
私は促すように問う。彼はウルウルと潤んだ瞳で私に振り向いた。そしてやっと思い切ったように言った。
「運命の人に・・・!」
「運命の人?」
☆彡
「運命の人に出会ったのだよ! アリーシャ! 彼女こそが私の運命の人だ!」
一度口に出したら吹っ切れたのか。今度は悲しげな瞳ではなく、キラキラと希望が宿った瞳を私に向けてきた。
「まあ、さようでございますか。ちなみにどなた? お伺いしてもよろしくて?」
私は引きつった口元を扇で隠し、目元のみにっこりと微笑んだ状態で尋ねた。
「リディ! リディだ!」
婚約者の前だというのに、何という弾んだ声。しかも、愛称呼び。
私は呆れて溜息を付いた。扇で隠しているから気付かれてはいまい。
「リディア・アーロン男爵令嬢でよろしくて?」
「そうだ! アリーシャも知っているのだな? あの天使のような女性を!」
嬉しそうに同意を求める婚約者に、軽く殺意が沸く。
「『天使のような』と思うほど深く存じません。ただ、最近、殿下ととても懇意になさっていらっしゃることは存じておりますわ。だって、学院中で噂されておりますもの。しがない男爵令嬢が、高位貴族令息・・・あろうことか、恐れ多くも王太子殿下の後を付け回しているって」
「なっ! なんだって・・・?」
アイザック様は、嬉しそうな表情から一転、険しい顔になった。
「誰だ、一体! そんな酷い噂を流すのは!」
「おそらく、誰か一人ということではないでしょう。見ていた方々それぞれが、各々見た通りに話題した結果かと」
そう涼しく答える私を、彼はキッと睨む。
「彼女は生徒会長である私の世話を率先してやってくれる、優しい心の持ち主なのだぞ?」
「でも、彼女は生徒会員ではありませんでしょう?」
「そうだ! それなのに手伝ってくれるのだぞ!」
「ですから、つまるところ、それが生徒会員から見れば『余計なお世話、お節介、お邪魔虫、身の程知らず』なわけです」
「な・・・」
私からの思いもよらぬ言葉に、アイザック様は絶句し、瞬きする。
「生徒会は彼女に自重してもらいたい。でも、彼女はそれを押し退けてまで、殿下殿下と言って、お側に来る。そして不必要なお手伝いをなさる。これでは『殿下に取り入ろうとしている』と解釈する人が出て来ても仕方がございません」
「だ、だが・・・」
「それどころか、現に殿下はアーロン嬢に魅了されてしまったのでしょう?」
「!!」
「『運命の人』と思われてしまったのでしょう?」
「そうだ! 彼女は私の『運命の人』なんだ! 彼女こそが『運命の人』なんだよ!」
アイザック様は、涼しく質問をする私に対して、熱く大声で叫んだ。
☆彡
「まあまあ、アイザック殿下。少し落ち着いてくださいな。そちらに腰掛けてお話いたしましょう」
私は、興奮気味にフーフーと肩で息をしているアイザック様の手を優しく取ると、庭園に設置しているベンチに座らせた。私もその隣にそっと腰掛ける。
「さあ、深呼吸なさって、殿下」
私の指示を素直に聞き、大きく深呼吸するアイザック様。
数回の深呼吸の後、落ち着きを取り戻したようだ。少し恥ずかしそうに私の方に振り向いた。
「すまない・・・、大声を出してしまって」
「大丈夫ですわ」
私はにっこりと微笑だ。そして、膝の上でギュッと握られている彼の拳の上に、自分の両手をそっと重ねた。
「よろしいですか、殿下? 結論から申し上げますわね?」
「結論・・・?」
「はい。結論として、彼女は・・・アーロン嬢は殿下の『運命の人』ではございません」
「はぁ!?」
「殿下の『運命の人』はわたくし、アリーシャでございます」
私はアイザック様の手を包んでいる自分の手に力を込めた。
彼は驚き過ぎて目を見開いている。
何を言っているんだ?と目が物語っている。だが、言葉が喉で詰まって上手く発せないようだ。
「よろしくて、殿下? 『運命』とは、人そして自分の意思ではどうにもならない、それを超越して起こった巡り合わせのことを言いますのよ? 決して抗えず、逃げられないもの。それが『運命』です。お分かり?」
コクンと頷くアイザック様。
「つまり、貴方様が『王太子殿下』としてこの世に生を受けたことも『運命』です。貴方様の意思ではないでしょう?」
「そ、そうだ・・・。私だって望んで王太子になったわけではない・・・」
私の問いにアイザック様は呟くように答えた。
「でも、この宿命からは逃れられません。王族として生を受けた限り、国の為に働き、民を導かねばなりません。自分の自由よりも国、民の為に生きなければならない定めなのです」
私は語気を強めた。それに釣られるようにアイザック様の口元も引き締まる。
「そうした定めに生まれた王族は、自分の婚姻でさえも国の為でなければなりません。国家に益をもたらす婚姻でなければ。つまり高位貴族令嬢との婚姻でなければならない。それが使命で『運命』です!」
ジッとアイザック様の目を見つめる。強い眼差しで。アイザック様の方も私の眼力に引き付けられるようにジッと見つめ返してくる。
「そして、わたくしも自ら望んで『公爵家の令嬢』として生まれたわけではございません。しかし、公爵家の令嬢として王家に嫁ぐことは生まれた時から決まっておりました。これも『運命』です」
「生まれた時から・・・」
「そうです! わたくしたちの婚姻は生まれる前から決められている『運命』なのです!」
私の力強い言葉に、アイザック様は固まった。
「これも・・・『運命』・・・」
「はい。『運命』です。自由な仕事、自由な恋愛、自由な結婚・・・それができない階級に生まれてしまったわたくしたちの『運命』なのです」
「自由がない・・・」
「はい・・・」
「はは・・・、そうか。互いに、な・・・?」
「はい」
「王太子として、そして、公爵令嬢としての『運命』か・・・」
アイザック様は空を見上げた。初夏の空は青い。
暫くすると、ゆっくりと私の方に向き直った。
「すまない、アリーシャ・・・。公爵家に生まれてしまったばかりに、私と結婚する羽目になって・・・」
「アイザック様こそ・・・。王太子殿下でなければ、わたくしなんかと結婚せずに済んだのです」
私はアイザック様の手を力強く握った。
アイザック様も私の手を強く握り返してきた。
「これも『運命』だ。抗えないのなら、上手くやろうじゃないか! そうだ、貴女が私の『運命の人』だ!」
感極まった瞳で私を見つめるアイザック様。
私も潤んだ瞳で彼を見つめた。
彼は先ほどの無礼を詫びると、私の手を取り、甲にそっと口づけした。そして、さらに優しく抱きしめてきた。
私も黙って彼に抱擁される。そっと彼の背に両腕を回した。
―――ということで、とりあえず、婚約破棄は回避できた。
はぁ~~~~~~。
ホント、単純な僕ちゃんでよかった。
まったく、何が『運命の人』なんだか・・・。片腹痛い。
呆れて溜息しか出てこんわ。
ま、後は、アーロン男爵令嬢をどうするか・・・。
恐れ多くも、我が国の王太子殿下を籠絡しようなど、とんでもない女だわ。
ましてや、私という、公爵令嬢の婚約者がいる王太子殿下を。
命知らずと言うのかしら・・・ね?
完
最後まで読んで頂きありがとうございました。




