外伝 それでも私は、ここに残った
最初にそれを知らされたとき、私は静かに頷いた。
「――子を成すことは、できなくなります」
医師は感情を挟まず、事実だけを述べた。
当然だ。
これは診断ではなく、“条件”なのだから。
「王位継承に関わる可能性を、完全に排除するためです」
私は、指先にほんの少しだけ力を込めた。
震えないように。
そして、問い返す。
「それが……私がここに残るための、唯一の条件ですか」
「はい」
短い肯定。
余地はない。
私は、目を閉じた。
思い浮かぶのは、あの夜の光景。
舞踏会。
婚約破棄の宣言。
そして、連れ出される殿下。
その後のことは、直接は見ていない。
けれど、十分すぎるほど“伝わって”きた。
毒杯。
王妃と、エリシア様。
そして――崩れた、あの人。
(ああ、そういうことだったのね)
あの時、ようやく理解した。
自分が立っていた場所の高さを。
そして。
そこに、立ってはいけなかったことも。
「……受け入れます」
目を開けて、そう言った。
医師は一瞬だけ驚いたように見えたが、すぐに表情を戻す。
「よろしいのですね」
「はい」
迷いは、なかった。
正確には。
(迷う資格が、もうない)
私は、最初から分かっていたのだ。
あの人――王太子殿下の隣に立つべきが、誰であるのか。
エリシア様。
あの方は、完成されていた。
知識も、判断も、覚悟も。
すべてが揃っている。
私が隣に並んだとき。
はっきりと、分かった。
(勝てない)
比べるまでもなかった。
それでも。
あの人は、私を選ぼうとした。
理由は、分かっている。
簡単なことだ。
私は――
(軽かったから)
何も背負っていない。
何も求めない。
ただ、笑って隣にいるだけ。
それは、あの人にとって、あまりにも“楽”だった。
けれど。
それでは、駄目だった。
あの夜。
あの人は、初めて“重さ”を見た。
命という形で。
責任という現実で。
そして。
壊れた。
今のあの人は、王でありながら、王ではない。
すべては決められ、すべては導かれる。
自分で選ぶことは、ほとんど許されていない。
けれど。
それでも。
時折、こちらを見る目だけは。
あの頃のままだった。
「……陛下」
静かな夜。
私がそう呼ぶと、あの人は少しだけ顔を上げる。
「ミレイユ……」
その声には、安堵が混じっている。
ああ。
私は、ここにいていいのだと。
そう思わせるためだけに、存在している。
「今日は、お疲れのようですね」
「……ああ」
短い返事。
そのまま、言葉は続かない。
何を話せばいいのか、分からないのだろう。
当然だ。
彼は、会話すら“自由”ではないのだから。
私は、そっと隣に座る。
何も言わない。
何も求めない。
ただ、そこにいる。
それだけでいい。
それだけが、許された役割。
(これで、いい)
そう、自分に言い聞かせる。
あの時、私は選んだ。
ここに残ることを。
すべてを知った上で。
すべてを失うと分かった上で。
子を持つことはできない。
未来は繋がらない。
名前も、立場も、曖昧なまま。
ただ、王の隣にいるだけの存在。
それでも。
(それでも、いい)
あの人が壊れきってしまうのを、防げるのなら。
少しでも、安らぐ時間を持てるのなら。
私は、知っている。
エリシア様が、何を背負っているのかを。
王妃が、どれほどの覚悟であの場に立っていたのかを。
そして。
自分には、それができないことも。
だから。
これは、役割分担だ。
あの方は、国を支える。
私は。
ただ一人の人間を、支える。
どちらが軽いかなど、考えるまでもない。
けれど。
必要なのは、どちらも同じだ。
「……ミレイユ」
呼ばれる。
私は、顔を上げる。
「ここに、いてくれ」
その言葉に。
ほんの少しだけ、胸が痛む。
「はい、陛下」
微笑んで、答える。
それが、私の役目だから。
彼は、私を愛しているのだろう。
きっと。
けれど、それはもう。
かつての意味ではない。
逃げ場としての愛。
救いとしての存在。
壊れないための、支え。
それでも。
それでもいいと、私は思った。
だって私は。
最初から。
“その程度の場所”にしか、立てない人間だったのだから。
だから。
これは罰ではない。
報いでもない。
ただの。
当然の帰結。
それでも私は。
今日もここにいる。
静かに。
何も望まず。
ただ。
あの人の隣に。




