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国家観

外伝  それでも私は、ここに残った

作者: たまみつね
掲載日:2026/04/12

最初にそれを知らされたとき、私は静かに頷いた。


「――子を成すことは、できなくなります」

 医師は感情を挟まず、事実だけを述べた。


 当然だ。

 これは診断ではなく、“条件”なのだから。


「王位継承に関わる可能性を、完全に排除するためです」


 私は、指先にほんの少しだけ力を込めた。

 震えないように。

 そして、問い返す。


「それが……私がここに残るための、唯一の条件ですか」

「はい」


 短い肯定。

 余地はない。


 私は、目を閉じた。

 思い浮かぶのは、あの夜の光景。

 舞踏会。

 婚約破棄の宣言。

 そして、連れ出される殿下。


 その後のことは、直接は見ていない。

 けれど、十分すぎるほど“伝わって”きた。

 毒杯。

 王妃と、エリシア様。

 そして――崩れた、あの人。


(ああ、そういうことだったのね)


 あの時、ようやく理解した。

 自分が立っていた場所の高さを。


 そして。

 そこに、立ってはいけなかったことも。


「……受け入れます」

 目を開けて、そう言った。

 医師は一瞬だけ驚いたように見えたが、すぐに表情を戻す。


「よろしいのですね」

「はい」

 迷いは、なかった。

 正確には。

(迷う資格が、もうない)


 私は、最初から分かっていたのだ。

 あの人――王太子殿下の隣に立つべきが、誰であるのか。


 エリシア様。

 あの方は、完成されていた。

 知識も、判断も、覚悟も。

 すべてが揃っている。

 私が隣に並んだとき。

 はっきりと、分かった。


(勝てない)


 比べるまでもなかった。

 それでも。

 あの人は、私を選ぼうとした。


 理由は、分かっている。

 簡単なことだ。

 私は――

(軽かったから)


 何も背負っていない。

 何も求めない。

 ただ、笑って隣にいるだけ。

 それは、あの人にとって、あまりにも“楽”だった。


 けれど。

 それでは、駄目だった。


 あの夜。

 あの人は、初めて“重さ”を見た。

 命という形で。

 責任という現実で。


 そして。

 壊れた。


 今のあの人は、王でありながら、王ではない。

 すべては決められ、すべては導かれる。

 自分で選ぶことは、ほとんど許されていない。


 けれど。


 それでも。


 時折、こちらを見る目だけは。

 あの頃のままだった。


「……陛下」

 静かな夜。

 私がそう呼ぶと、あの人は少しだけ顔を上げる。


「ミレイユ……」

 その声には、安堵が混じっている。


 ああ。

 私は、ここにいていいのだと。

 そう思わせるためだけに、存在している。


「今日は、お疲れのようですね」

「……ああ」


 短い返事。

 そのまま、言葉は続かない。

 何を話せばいいのか、分からないのだろう。


 当然だ。

 彼は、会話すら“自由”ではないのだから。

 私は、そっと隣に座る。


 何も言わない。

 何も求めない。

 ただ、そこにいる。

 それだけでいい。

 それだけが、許された役割。


(これで、いい)


 そう、自分に言い聞かせる。

 あの時、私は選んだ。

 ここに残ることを。

 すべてを知った上で。

 すべてを失うと分かった上で。

 子を持つことはできない。

 未来は繋がらない。

 名前も、立場も、曖昧なまま。

 ただ、王の隣にいるだけの存在。

 それでも。


(それでも、いい)


 あの人が壊れきってしまうのを、防げるのなら。

 少しでも、安らぐ時間を持てるのなら。


 私は、知っている。

 エリシア様が、何を背負っているのかを。

 王妃が、どれほどの覚悟であの場に立っていたのかを。

 そして。


 自分には、それができないことも。


 だから。

 これは、役割分担だ。


 あの方は、国を支える。


 私は。

 ただ一人の人間を、支える。


 どちらが軽いかなど、考えるまでもない。

 けれど。

 必要なのは、どちらも同じだ。


「……ミレイユ」

 呼ばれる。

 私は、顔を上げる。

「ここに、いてくれ」


 その言葉に。

 ほんの少しだけ、胸が痛む。


「はい、陛下」

 微笑んで、答える。

 それが、私の役目だから。


 彼は、私を愛しているのだろう。


 きっと。

 けれど、それはもう。

 かつての意味ではない。


 逃げ場としての愛。

 救いとしての存在。

 壊れないための、支え。


 それでも。

 それでもいいと、私は思った。


 だって私は。

 最初から。

 “その程度の場所”にしか、立てない人間だったのだから。


 だから。

 これは罰ではない。

 報いでもない。


 ただの。

 当然の帰結。


 それでも私は。

 今日もここにいる。


 静かに。

 何も望まず。

 ただ。

 あの人の隣に。

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