Episode.5『咲かない者たち』
数日後。ユウは、神殿の外へと向かっていた。 言の花が咲く仕組み、その奥にある想いの真実を知るために。
花が咲くことがすべてなのか。
咲かせることで、何が奪われるのか。
そして、咲かせられなかった者は、本当に『心がない』のか──
そんな問いに導かれるように、ユウの足は、リネアから教えられた地図にない集落へと向かっていた。
♢♢♢
神殿から歩いて数時間の森の中。濃い霧が、ユウの体に纏わりつくように舞った。
それに感覚器官の煩わしさを少しだけ感じながら、リネアの手書き地図と睨めっこをする。お世辞にも上手いとは言えないそれに、ユウの思考回路は既に混乱気味で。
そうして、ようやく集落に一歩踏み入ったその瞬間、突然背後から声を掛けられた。
「君、少し変わってるね」
そう言ったのは、薄闇の中で火を灯す青年。
灰色の髪、隠すように目深に被ったフード。ユウが少し観察して見えたのは、背中に負った、焼け爛れたような傷跡。
改めて言葉を返そうとして──どうやって呼べば良いか、分からないことに気付く。
「……貴方の、名前は?」
「ノクト。咲かない奴らの集落で、案内役してる」
集落『静花の村』。ノクトはこの場所をそう表現した。その村には、花を咲かせなかった者たちが暮らしていた。
否、住まざるを得ない、と言うべきだろうか。
花を咲かせられないものは『心無き者』、つまり異端者だと言い、この村に追いやられているのだった。
「言の花ってさ、心が咲かせるんだろ?だったら俺たちは、心がないってことになる。……そう思われてる」
ノクトは中央に置かれた焚き火を見ながら、かすかに笑った。
「でも実際は違う。咲かせないだけなんだよ」
自嘲にも近いその言葉。果てしない闇を含んだその言葉に、ユウは思わず息を呑んだ。
焚き火の爆ぜる音が、より一層の静けさを強調する。思わずユウは、ノクトに問いかけた。
「…何故、咲かせないのですか?」
「……咲かせると、消えるんだ」
ノクトの声は、静かだった。
それは静かすぎて、すぐさま空気に溶けそうなぐらいだった。
「俺の弟はさ、小さかった頃、たった一度だけ花を咲かせたんだ。母親に、『ありがとう』って気持ちを込めて。
でも、その直後に燃え尽きるように弟は倒れて──それっきり、戻らなかった」
ポツポツとノクトが語った昔話。その内容に、ユウは驚いて口を開く。
「魔力の暴走……でも、そんなこと、神殿では──」
「教えないよ。咲かせることしか美徳とされてないから。咲いた後の代償も、咲けなかった者の選択も、誰も教えちゃくれない」
ユウの言葉を遮るように、彼はそう言った。その声に後悔と恐怖が滲んでいる事に、ユウは気付かない。
それは、弟を救えなかった事への後悔か──
──それとも、自身もそうなってしまう事への恐怖か。
途端、俯いていたノクトは顔を上げる。そうしてユウに、こう告げた。
「ユウ。君は、心を持たないと言っていたのに、花を咲かせた。……なら、咲かない俺たちを、どう思う?」
ユウは一瞬、言葉を選んだ。
その感覚すら、もはや感情の名残だった。
「私は、咲かないことが罪だとは思いません。ただ……あなた方の想いが、存在していると記録したいと思いました」
ノクトが、かすかに笑った。
「へぇ。じゃあ、その記録──君が責任持って、花にしてみせろよ」
それでも──そう言って、挑発的な視線をユウに向けるノクトは、どこか寂しげで。そうして、一本の指がユウを指す。口調や態度には似合わない、白くて細い指。
もしかしたら本当は、強がっているだけなのかもしれない──
そう、ユウは思った。
♢♢♢
その後、ノクトはユウを、村の外れに立つ古びた建物の前まで連れていった。窓からは、静かに眠る小さな少年の姿が見える。彼はその建物に入り、ユウに一冊のノートを手渡した。
「咲かない者の言葉を、誰かに見せるのは初めてだ。でも君になら、任せてみたくなった」
ユウはページを開き、文字を読みながら、静かに立ち上がった。ノートに残されていたのは、少年の短い言葉。目を伏せて、静かに想いを馳せる。
……ノクトが言うには、弟が倒れてしまってから数日後、一瞬だけ目を覚ました彼が綴った言葉なのだそうだ。
『ありがとうって気持ち、胸が苦しくなるくらいだった。だけど、それでも誰かに伝えたかった。もしそれが、咲くってことなら──僕は、咲かせてよかったと思う』
脳裏に、あどけない少年の声が聞こえる。その想いを発現するように、ユウはそっと、閉じていた目を開いた。
──すると、その瞬間。
ユウの足元に、淡い灰色の花が咲いた。
見たことのない形状。けれど、どこか温かい花。
「……これは……?」
ノクトは不思議そうに、そう呟いた。その言葉に続けるように、『セレスティア』と、ユウは言う。
「咲かない者たちの想いが、空に還る花です。見えなくても、そこにある──それが、花言葉です」
その花を見たノクトは、目を伏せた。けれど、誰にも気づかれぬほどに、小さく笑っていた。ゆっくりと溢れた涙は、ユウはそっと見ないふりをした。
咲かなくても、想いはある。咲かせなくても、咲かせたいと思ったことはある。
……それはきっと、心と呼べるものだ。
ユウは、そう記録した。
【新規登録:セレスティア】
・分類:幻花/特異個体
・花言葉:“見えなくても、そこにある”
・起因感情:複合(感謝/願い)
・魔力共鳴率:安定
♢♢♢
その夜。無事に神殿へと戻ったユウは、リネアに今日の報告を手短にした。
ら、とある人物の名前でリネアが唐突に反応して、思わずユウは少しだけ後ずさった。
「えっ、ノクトに会ったの!?」
「っはい。それが何か…?」
「ノクトはね、あの村の案内役……とは言っているけど、正確には出入りするものを指定できるの」
「……それは、つまり」
「そう。ユウくんはノクトに選ばれたのね」
良いな……私も一緒に行けば良かった、とリネアは言った。
聞くところによると、リネアはノクトの幼馴染で、昔はよく一緒に過ごしていたのだとか。けれど『咲かない者』として定義された彼は、あの村に永遠に、閉じ込められてしまった、と言う。
「……いつか一緒に行きましょうね、ユウくん」
「はい、勿論ですリネア」
ユウは、咲かない者の言葉を聞いた。咲かない者の想いを知った。
感情とはなんなのか──それはまだ、分からない。
それでもユウの中には確かに、『それ』を感じたのだった。




