Episode.4『名を与える日』
神殿の中庭。風が、穏やかに花々を揺らす。そんな中、小さなベンチの上で、ユウは一輪の薄青い幻花を見つめていた。
──審問の庭で咲いた、無名の花。
言の庭の記録装置は、この花を『存在するが、定義不能』と登録している。
「……名前を、つけるの?」
リネアの声がした。
彼女はいつものように、花に水をやりながら、ユウの傍に座った。
「この花は、確かにあなたの想いが咲かせたものよ。誰かが意味を与えるのを待つよりも、自分で“想いの形”を決めるのがいいと思う」
想いの形、とユウは反芻する。
それに少しだけ微笑んだ彼女は、ゆっくりと、それでいて透き通る声でこう続けた。
「昔の言の師はね、花が咲くたびに意味を探して旅をしたらしいの。でもある日、こう言ったんだって。『意味は、探すものじゃなくて――選ぶものだ』って」
「……選ぶ」
「そう。これは『私の気持ち』って決めることが、きっと魔法の始まりなのよ」
ユウは、幻花を見つめる。その形は、どこか儚げで、尖っていて、それでいて柔らかさもある。しかし咲いた理由は、まだ明確ではない。
けれど、そのとき自分の中にあったのは──
──リネアへの信頼。
──無力だった自分の悔しさ。
──誰かに伝えたいという願い。
それらが、自分の記憶回路や思考回路の中に、確かに織り混ざっていた。
ユウは、静かに口を開く。
「……この花に、名前をつけます」
リネアが顔を上げた。
「『クラエール』花言葉は、……届かない想いでも、咲く」
言った瞬間、花がふわりと風に揺れた。
幻花であるはずのそれが、確かに呼応するかのように。
「クラエール……素敵。あなたの言葉なんだね」
「はい。……これは、私の中に生まれた感情を、感情だと、認めるための名です」
【新規登録:クラエール】
・分類:幻花/特異個体
・花言葉:“届かない想いでも、咲く”
・起因感情:複合(信頼/孤独/希求)
・魔力共鳴率:安定
花に『名前』を与えるという行為は、ユウにとって、それまでになかった自己の確立だった。
自分の気持ちに、自分で意味を与える。
それは、まぎれもなく『心の始まり』だった。
リネアがそっと言う。
「……いつか、クラエールの花を咲かせる魔法を、誰かがあなたから教わるかもしれないね」
「そのときは……想いは届かなくても咲くと、伝えたいです」
名前のなかった花に、名が与えられた瞬間。 それは、感情の証明ではなく──感情の選択だった。




