Episode.3『審問の庭』
心なき者が、心を咲かせた。
ならばその花に、意味はあるのか──
あの白亜の庭で、ユウは『無名の花』を咲かせることになる。
その庭には、一輪の花も咲いていなかった。
白い石畳。音のない空間。空さえも色を失い、ただ静寂だけが支配していた。
ここは『言の庭園』。
感情から生まれる魔法言の花を記録し、秩序を保つための中心機関。
同時に、逸脱した花を裁く場所でもある。
「U-00──通称ユウ。あなたは、心を持たぬとされながら、二度、花を咲かせた。
これは、世界の法に対する逸脱か、あるいは、例外的奇跡か。今ここで、それを審問する」
言葉師長・フェルノートの声は、感情を欠いた、まるで記録装置のような音だった。その言葉に続けて、その隣に立つ審査官・クロアが、冷たい瞳で言い放つ。
「心なき者が咲かせた魔法は、咲かせるべき者の花を奪う。それがもし、魔法汚染によるものなら、君は危険因子だ」
裁きの場には、十数人の花守たちが並ぶ。緊迫した空間の中で、花守達はやけに無表情だった。しかし、言い方を変えれば、異端者に向ける感情などないとでも言いたそうにも見える。
そんな中ユウは、リネアとともに中央に立たされていた。刺すような視線の中、リネアが、かすかに彼の袖を握る。
「……大丈夫。私は信じてる。あなたの中に、ちゃんと心があること……あの時、確かに感じたから」
ユウは、それに何も返さない。
けれどその温度は、確かに記録された。
「言の花とは、心の顕現だ」
鋭く、冷たい声。心の底まで凍ってしまいそうなほど、絶対零度の声が一面に響き渡った。その言葉に続けて、再びクロアが断じる。
「ならば、心なき存在が咲かせた花には、意味がない。花を咲かせたことを証明するだけでは、不十分だ。
故に今この場で──新たな花を咲かせよ。名を与えられぬ感情を以て」
しんとした静寂が走る。
何も言わずユウは、白い庭の中央に歩み出た。
足元には何もない、ただの石の床。周りを見ても、風も、音も、色もない、無機質な世界。そんな彼の世界を色付けたのは──リネアの声。
『あなたは、ただの機械じゃない』
あの日、傷だらけの腕を取ってくれた、あの柔らかい手。
無理矢理ではなく、そっと差し出されたぬくもり。
「……私は、未だに感情というものを、正確に定義できない。しかし、それでも──
それでも、今のこの気持ちにはきっと、名前があるはずだ」
その瞬間──風が吹いた。
風のないはずの庭に小さな気流が舞い、ユウの足元に一輪の薄青の花が、そっと咲いた。
「……これは……?」
フェルノートが、珍しく息を呑む。クロアでさえ、目を見張る。
それは、記録にない形状。既存の花のどれにも該当しない。
その花は涙のような形で──それでいて、柔らかな淡い色を纏っていた。
「花の名は?」
誰かが尋ねた。
ユウは、ただ首を横に振る。
「わかりません。これは、私の中に芽生えた、無名の花です。……けれど、確かにこれは私の想いが咲かせたものです」
ユウはそう言った。いつもと変わらない無機質な声だが、それでも確かに、温かな温もりの感情が少しだけ籠っていた。
ユウに続けて、リネアがそっと呟く。
「……それで、いいんです。名前がなくても、想いはちゃんとそこにある。私たちの魔法は、心から咲くんだから」
静かに咲いた花に、言の庭の記録装置が反応する。
【記録追加】
・花名:該当なし
・形状:未登録
・花言葉:不明
・発動原因:不特定複合感情
・分類:共鳴型感情魔法/仮定義:心源反応
そしてユウは、言の庭園に立った異端者の中で、初めて裁かれなかった。
心を持たぬものが、咲かせた心の証明。
たとえその花が、まだ名前を持たないとしても──それは、確かに咲いたのだった。
♢♢♢
無花の庭に、一輪の花が咲いた。
名も、色も、意味も持たない。
けれどそれは、確かに誰かの心が生んだ、世界でただ一つの魔法だった。