偽りの天使と呼ばれた伯爵令嬢、婚約破棄されて聖地で第二の人生を歩む
「エリシア・フォン・ルヴァリエ、貴様の偽善にはもううんざりだ!」
そう叫んだのは、私の婚約者であるリオネル王太子だった。美しく凛々しい顔に、今まで見たことのないほどの軽蔑が浮かんでいる。
「私が……偽善者?」
信じられなかった。私はただ、人々のために祈り、治癒魔法を使い、少しでもこの国の民が幸福であるよう願っていただけなのに。
「義妹のエミリアがすべて暴いたのだ。お前は民衆に良い顔をし、裏では貴族たちを見下していたそうだな」
「そ、そんなこと……!」
「証拠もある!」
そう言って突きつけられたのは、私の筆跡にそっくりな手紙だった。そこには、まるで私が貧民を軽蔑し、表向きだけの善行をしているかのような内容が書かれていた。
「この国にお前の居場所はない。婚約は破棄し、貴族の身分も剥奪する。そして――国外追放だ」
絶望の淵に立たされる私を、エミリアが勝ち誇ったように見つめていた。
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行くあてもなく、馬車に乗せられ辿り着いたのは、遠く離れた聖地だった。王国の庇護を受けずに生きていくしかない私は、この地で身を寄せる場所を探すしかなかった。
「お嬢さん、そんなにやつれて……」
声をかけてくれたのは、小さな教会を営む老神父だった。
聖地は貧しく、治癒魔法を扱える者も少ない。私はここで生きるために、自分の力を役立てることに決めた。
「ありがとう、エリシア様!」
治癒魔法で病を癒すたび、人々は私を本物の「天使」と呼ぶようになった。
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聖地を護る聖騎士団の一人、ジークフリート・ヴァレンツ。
彼は無口で冷たいが、誰よりも正義を貫く騎士だった。
「お前が“偽りの天使”か」
「……ええ、そう呼ばれていました」
「くだらん。見ればわかる。お前は“本物の天使”だ」
彼は寡黙ながらも、私を静かに見守り、護ってくれた。最初は怖かったけれど、彼の優しさに触れるうちに、私は彼の傍にいることが心地よくなっていった。
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ある日、聖地が賊に襲われた。
私は人々を守るために、力を使った。そのせいで、かつてのトラウマが蘇り、震えが止まらなくなった。
「……私の力は、また誰かを不幸にするのでは……」
そんな私を、ジークフリートは黙って抱きしめた。
「お前の力は、誰かを救うためにある。俺が証明してやる」
彼はそう誓い、私を守ると宣言した。
私はもう、“偽りの天使”ではない。
この聖地で、私の新しい人生が始まる。
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聖地での平穏な日々は長くは続かなかった。
ある日、聖地の近くにある村が疫病に見舞われた。高熱にうなされ、命を落とす者もいる。村人たちは恐れ、神に祈るしかできなかった。
「私が治療します!」
迷いはなかった。私はすぐに村へ向かい、一人ひとりに治癒魔法を施していく。
「エリシア様……!」
涙を流して感謝する村人たち。しかし、疲労が蓄積し、私は意識を失ってしまった。
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目を覚ますと、目の前には険しい顔のジークフリートがいた。
「お前は、なぜ自分の身を顧みない」
「だって、私が助けなければ……」
「お前が倒れたら、誰が助ける?」
彼の声は低く、怒りが滲んでいた。しかし、その奥にあるのは深い心配だった。
「……ごめんなさい」
私は、彼がこんなにも私のことを案じてくれていることに気づき、胸が熱くなった。
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聖地での評判が広まるにつれ、私の存在は王都にも届いた。
「エリシア様が生きている?」
ある日、王都から使者がやってきた。王太子リオネルと義妹エミリアが、私を連れ戻そうとしているという。
「戻ってくるがいい。お前の潔白を証明し、再び婚約者として迎えてやる」
届いた手紙には、そんな高慢な言葉が書かれていた。
「……冗談じゃない」
私がどんなに傷ついたか、彼らは知りもしない。
しかし、聖地を守るためにも、私は王都へ向かう決意をした。
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王都に戻ると、かつての知人たちは驚き、ざわめいた。
リオネルとエミリアは余裕の表情で私を迎えた。
「エリシア、戻ってきたか。お前が本物の天使なら、証明してみろ」
「そうよ、お姉様。私たちの前で、もう一度善人ぶってみせて?」
私は静かに目を閉じ、深呼吸した。
「証明する必要はありません」
そして、王宮の大広間に集まった人々の前で、聖地の人々が語った。
「エリシア様は私たちの命を救ってくださいました!」
「彼女こそが、本物の聖女です!」
証拠など必要ない。私を信じてくれる人がいる。それだけで十分だった。
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リオネルは愕然とし、エミリアは真っ青になって震えていた。
「そんな……! どうして……!」
「あなたたちがどう思おうと、私はもう昔の私ではありません」
そう言い放ち、私は王宮を去った。
迎えに来てくれたのは、ジークフリートだった。
「……行くのか」
「ええ。私は聖地で生きます」
「なら、俺も行こう」
彼は私の手を取り、誓うように言った。
「お前を一生、守り続ける」
それは、婚約の言葉ではなかった。ただ、心からの誓いだった。
私はもう、“偽りの天使”ではない。
聖地で、彼とともに生きていく。
――これは、私の第二の人生の物語。
《完》