少女は箱の中
灰と雪に塗れた包装紙を破り捨て、箱を開けると、そこには十歳ほどの黒いワンピースの少女が梱包されていた。
穏やかな寝息を立てる少女の両手首と両足首は赤いリボンで丁寧に縛られており、少女の周囲には柔らかな藁で覆われている。
「凄い! サンタさん、本当に妹を用意してくれたんだ!」
箱の中身を見た白いワンピースの少女がその場で飛び跳ね、歓喜の声を上げる。
甲高い声に目が覚めたのか、箱の中の少女は身動ぎをした後、ゆっくりと目を開ける。
「ここは……どこ?」
「えーっと、ここはね……私の家!」
少女は手を広げ、自身の家を紹介する。赤いレンガ造りのこじんまりとした室内には煤だらけの暖炉と古ぼけた木製の机と椅子が仄暗い蝋燭の明かりで照らされていた。
「何で? 何で私はこんなところにいるのっ!」
箱の中で身動きが取れずにいることに気が付いた少女は、困惑の声を上げ、目元からはうっすらと涙を滲ませる。
「あっ、ごめん、ごめん! 早くリボンを解いてあげないとね」
リボンが解け、自由になった少女はその場で立ち上がると、怯えた表情で自分より少し背の高い黒いワンピースの少女を見つめる。
「あなたの……名前は?」
「私? エリっていうの!」
「エリ!?」
少女は名前を聞いた途端、顔から血の気が引いていく。
「どうしたの? 何か具合でも悪いのかしら……」
エリは自分のこめかみを突いて考えてみるが、いくら考えても理由がわからず、諦めたようにため息を吐く。
「まあ、いいわ。とりあえずあなたの名前を教えてくれない?」
「私は……」
箱の少女はこれ以上言葉を続けず、困ったような表情でエリを見つめる。
「思い出せないの? だったら私が決めてあげる。そうねえ」
エリは目の前の少女をひとしきり観察した後、急に思い立ったように指を差す。
「シス! 妹だからシスにしましょ!」
シスと名付けられた少女が曖昧に頷くと、エリはシスの手を引いて椅子に座るように促す。
「シスはここに座ってて。今日はクリスマスなんだから、料理も特別なものにしてみたの!」
エリの目の前には長細い古びた木の机が鎮座しており、その上には銀色のナイフと赤い液体の入ったワイングラスがちょこんと乗っかっていた。お祝いのつもりなのか、机の中心には三十分ぐらいで燃え尽きてしまいそうなか細い蝋燭が燭台の上に置かれており、頼りない炎で机の周りを照らしている。
机の周りには両脇に三つづつ椅子が用意されていて、それぞれにテディベアや西洋人形が座っている。その光景は人形たちと一緒に食事を取っているようにも見えた。
「さあ、飲んでみて。きっと気に入るわ!」
笑顔で勧めるエリにシスは恐る恐るといった様子でワイングラスに口をつける。シスは一口液体を口に含んだところで、険しい顔をして、すぐにワイングラスから口を離した。
「あら、口には合わなかったかしら。まあいいわ。さて、次は――」
「あのっ!」
シスは椅子から立ち上がり、真っ直ぐエリに向き直る。
「私……これからどうなるの?」
「どうって……私と一緒に暮らすのよ。私の妹なんだから当たり前でしょ」
「私、あなたに会ったことなんてないのに……」
「奇遇ね。私もあなたに初めて会ったわ。でもいいの」
エリは鼻歌交じりに指を振る。
「だって今日はクリスマスじゃない! 突然妹ができたっていいの! サンタさんも気が利くわね。今年一年、いい子で過ごしてきた甲斐があったというものよ」
エリはよっぽど嬉しいのか、上機嫌になって口笛を吹き始める。
「あの……エリ……様……」
「なに、改まっちゃって? エリ姉さんでいいのよ。シス」
「お腹が……空いて……」
「ああ、何、そういうこと? 全然遠慮しなくていいのよ。だって私たち、姉妹なんだから!」
そう言ってエリが別の部屋へ向かおうとしたところに、シスは机の上のナイフを素早く手に取り、エリの背中へと思い切りナイフを突き立てた。
「くたばれっ! 化け物っ!」
床に倒れ込んだエリに向かって、シスは馬乗りになり手に持ったナイフを何度もエリの背中に刺し込む。
「私は、お前の生贄なんかじゃ、ない! 生きて、ここから出るんだ!」
激情に身を任せ、シスは数えきれないほどナイフを突き立てる。エリの白いワンピースは鮮血に染まり、床には血だまりができていた。
エリが動かなくなるのを確認すると、シスは息を切らしながら、ナイフを投げ捨て、火の消えた煤だらけの暖炉へと歩いて行く。
「吸血鬼は殺したわ! だから、早くここから出して!」
暖炉に向かってシスは大きな声で叫ぶ。すると、暖炉に一枚の紙切れが落ちてくる。
『村の掟を忘れるな』
シスは紙切れを引き裂き、叫び声をあげる。
シスは村の掟を知っていた。年に一度、シスの村はクリスマスの日に吸血鬼に生贄を出す。そして、村人はその生贄を決して助けてはいけない。そういう掟だ。
シスは生贄に選ばれたと知った時、失意に満ちていた。自分はもう助からない、死ぬしかないのだとそう思ったからだ。
しかし、吸血鬼がいなくなればどうだろう。自分は死ぬ必要はない。それどころか、毎年生贄を出す必要がなくなるのだ。
シスはエリの油断を誘うために、臆病な少女を演じた。エリの存在を恐れ、怯える少女になりきったのだ。
その演技が功を奏したのだろう。シスは見事エリと呼ばれる吸血鬼を殺してのけた。これで、自分は助かるはずだった。
だが、結果は無駄だった。村人は誰一人としてシスを助けようとはしない。皆、掟に縛られている。
シスの父親も母親もシスを助けることはできないだろう。掟を破ったものはこの村では決して生きていけない。
ここから自力で脱出するのは無理だ。扉の向こうは雪で閉ざされていて、雪解けまで開けることはできない。そんな時期まで待っていたら、飢えて死んでしまう。
シスは叫び疲れると、その場にへたり込み、ため息を吐いた。
「お父さん……お母さん……」
シスは両親ともっと一緒に暮らしたかった。シスにとっては決して居心地のいい村ではなかったけれど、両親だけはシスに優しかった。でも、その願いは叶うことはない。生贄に選ばれた時点でシスの運命は既に決まっていたのだ。
「全く、酷いことをするのね。お気に入りの服だったのに」
突然の声に驚いて顔を上げると、血まみれのエリが不機嫌な表情でシスを見下ろしていた。
「……どうして……生きて」
「このくらいで死ぬわけないじゃない。私は誇り高き吸血鬼なのよ」
エリがシスの元へと歩き出すと、シスは尻もちをついて後ずさりしようとする。
「全く、困った妹ね。これはお仕置きが必要みたい」
「……私を殺すのか」
シスの言葉に、エリが笑い声をあげる。
「まさか。姉が妹を殺すわけないでしょう。私は優しいお姉さんだからね。村への未練を断ち切らせてあげる」
「村への未練? 一体何を……」
「それは、見てのお楽しみよ」
エリの背中から突如、黒い翼が生え、勢いよく暖炉の中へ飛び込むと、そのまま外へと出て行ってしまった。
エリの変容にあっけに取られたシスはそのまま動けずにいた。そうして、じっとしているうちに急に喉の渇きを覚え始める。喉がカラカラに乾いて、水を飲むことしか考えられなくなってくる。耐えがたいほどの渇きに、思わずエリを刺したナイフに目が向く。ナイフについたエリの血が艶めかしい光沢を放っている。
「――ッッ!!」
シスはナイフに伸ばしかけた手を必死で抑える。吸血鬼の血を飲んでしまったら、彼女と同族となってしまう。つまりは、シス自身がエリと同じ化け物になってしまうのだ。吸血鬼になってしまうぐらいなら、飢えて死んだほうがましだ。
シスが喉の渇きに抗っている最中、暖炉から大きな物音が聞こえてくる。何か大きなものが落ちてきたような、生々しい音だった。
「おまたせ」
シスが暖炉へと目を向けると、そこにはエリの姿があった。血で染まったワンピースを着た彼女は、ずだ袋を引きずりながらシスに向かってにっこりと笑顔を見せる。
「何なの……それ……」
シスが指差したずだ袋からは、何やらくぐもったような声が聞こえてくる。
「これ? シスへのプレゼントなの! ほら、シスは良い子じゃなかったから、サンタさんからプレゼントは貰えなかったでしょ。でも、それじゃかわいそうだから、私が特別に用意してあげたの!」
そう言って、エリはずだ袋を引き裂くと、中からは大人の男女二人が現れる。二人は縄で手足を縛られており、口には猿ぐつわ、目には白い布で目隠しをされていた。乱暴に引きずられたのか、衣服は雪と泥で汚れ、ボロボロになっている。
「お父さんっ! お母さんっ!」
シスの叫び声にエリはうっとりとした表情を浮かべる。
「ほら、会いたかったでしょう。でもね、これで終わりじゃないの。ほら、これを見て」
エリがシスの父親の喉にそっと爪を立てると、ぷつ、と血が溢れてくる。
シスはその血を見た瞬間、激しい動機に襲われる。今までに経験したことのないような喉の渇きが彼女を支配していく。
「……うっ、ううぅ……一体、何が……」
「シス、あなたグラスワインを飲んだでしょう。あれね、私の血が入っていたの」
「――そんなっ! それじゃあ、私は」
「そう、私と同じ吸血鬼なの! ほら、喉が渇いてきたでしょう。親の血はね、とーっても美味しいの! 妹になった記念にぴったりね!」
「……や……だ……」
「遠慮しなくてもいいの。だってほら、もう手が伸びちゃってるよ」
エリの言う通り、シスは自らの意思に反して親のほうへと徐々に近づいてしまっている。このまま両親に触れれば、もう理性を抑えることは難しい。本能のまま喉の渇きを潤そうとしてしまうだろう。
「飲まないの? こんなに美味しいのに」
エリはシスの父親の首元から出た血を指で拭い、そのまま口に入れると、恍惚な表情を浮かべる。ああ、その血は一体どれほど美味しいのだろう……シスは自身の理性が徐々に崩れていくのを感じていた。目の前にいる大切な人が、次第に豪勢なご馳走へと変わっていくのがわかる。
「しょうがないなあ」
エリはもう一度、血を拭い取り、そして、シスの元へと近づいていく。
「私が飲ませてあげる!」
「……やだっ! やめて! やめてよぉ!」
シスは近づいてくるエリから逃げることができない。シスはその場で固まったまま動けなくなっていた。
エリはシスに逃げられないように左手でシスの首元を掴み、そして血の付いた右手をゆっくりとシスの口元に近づけていく。
「召し上がれ」
「――いやっ! いやああああああ!!」
エリの指に付いた血がシスの舌に触れた瞬間、シスの理性が弾け飛んだ。
気が付けば、シスは父親の首元に齧りついていた。目を血走らせ、口元を血で汚し、夢中になって血を啜る。
「――エリ! あなたを許さないっ!
シスは口汚くエリを罵りながら、それでも血を啜ることは止めなかった。父親が呻こうが、母親が涙を流そうが、構わず血を飲み続ける。
「――絶対に! 絶対に殺してやるっ!!」
シスは泣いていた。飢餓と罪悪感と多幸感で滅茶苦茶になりながら、自身の体に両親の血を取り入れていく。その様子はエリは椅子に座り、頬杖をついてニコニコしながら眺めていた。
机の中心で部屋を照らす蝋燭の火が頼りなく揺れ始める。シスを迎え入れた時には新品だったか細い蝋燭ももうすぐ蝋が尽きようとしていた。
部屋の片隅ではシスが床に座り込んでいた。変わり果てた両親の姿から目を背け、啜り泣いている。
「お腹いっぱいになった?」
エリが無邪気にシスに話しかけるが、シスは何も答えない。ただ、黙ってエリのほうを睨みつけている。
「あ、血で汚れちゃったからお洋服が必要よね。何が似合うかなあ。白いお洋服だとやっぱり血が目立っちゃうから、もっとシックな服がいいよね。でもでも、私は明るい色のほうが好きなんだけどなあ」
「殺す」
シスが小さな声で呟いた後、勢いよくエリに近づき、掴みかかろうとするが、シスの手は軽々とエリにはねのけられてしまう。
「駄目駄目。エリはまだ吸血鬼になったばっかりでしょう。そんな貧弱な体じゃ、私に傷ひとつつけることなんてできないわ。もっと、人の血を飲んで、力を蓄えなきゃ」
「いつか、必ず殺してやる」
「うんうん。元気になってよかったよ。このまま落ち込んでいたら、お姉ちゃんも悲しいからね。これからは姉妹仲良く、楽しく暮らしましょ」
それから、二十年経った後、一人の少女が村の広場で十字架に貼りつけられた状態で死んでいるのが発見された。彼女は村人が恐れていた吸血鬼だった。彼女の表情は実に穏やかで知らない人から見たら、とても何年にもわたり村人を殺していた吸血鬼とは思われないだろう。
それでもなお、この村ではクリスマスの日に生贄を送る風習が途絶えることはなかった。今日もまた、村の離れにあるレンガ造りの古家の煙突から生贄の入った箱が送り込まれる。
部屋の中の少女が灰と雪に塗れた包装紙を破り捨て、箱を開けると、そこには十歳ほどの黒いワンピースの少女が梱包されていた。
「凄い! いい子にしてたから、本当に妹が届いたんだ!」
箱の中を見た白いワンピースの少女はその場で跳ね上がり、全身で喜びを表現する。その様子を見て箱の中で怯える少女に、白いワンピースの少女が嬉しそうに話しかける。
「私、シスって言うの! ねえ、君の名前は?」




