肩書き『学術院第一期卒業生』
俺ね、ほんっと汚い浮浪児だったんすよ。まじで。
たぶん親に捨てられて、いつの間にかゴミ漁ったり店先のリンゴかっぱらったり財布スッたり、わりとなんでもやったの。
だってお腹すくじゃん。食べたいじゃん。
まぁカビ生えたパンとかその辺の草とか食べて腹壊してのたうち回ったりもしたけど。
で、なんか噂で聞いたんだっけかな、学校の事。
座ってるだけでパンとスープくれるんだって。最高じゃん。
俺みたいな汚いガキが入れてもらえるかわかんなかったけど、とりあえず行ったの。食い物もらえたらラッキーくらいのつもりで。
そしたらさぁ、それ、ほんとだったんだよ。
机と椅子がたくさん並んでて、俺よりちっちゃいのから年嵩の奴までいろいろ座ってんの。
まぁ近所じゃ素行の悪いガキで知れ渡ってる俺が行っても追い出されるかと思って、せめてばれないように一番後ろの端っこに座った。
近くに座ってたやつは俺の顔見て移動してたね。ムカつく。
でも追い出されはしなかった。
大人が一人入ってきて見渡して、俺のこと見た時はちょっと緊張した。
初めてか?って聞かれたから黙って肯いたらそうかって。
え、そんだけ?って唖然としてたら、これ使えって小さい黒板とチョークを渡された。
使い方は知ってるけど、何するかは知らなかったから、最初はただぼーっと見てた。
最初にその大人がなんかいろいろしゃべったり、前にある大きめの黒板に何か書いたり。その後は、座ってる子供たちが同じように自分の黒板に書いたり大人に質問したり、わーわー喋ったり騒いだり叱られたりまたなんか書いたり。
何が何だかわかんなかったけど、ただただ座ってた。
で、そしたら本当にさ、パンとスープが食えたんだよ。
しかもパンはカビたり腐ったりしてない上に雑穀とドライフルーツがちょっと入ってて大人の拳よりもっとでかい茶色い丸いやつで、スープはいろんな野菜がゴロゴロ煮てあってでっかいソーセージをぶつ切りにしたやつまで入ってんの、あったかいの。
そろそろ秋も終わりに近づいてきて凍るような冬をどう乗り切ろうか頭を抱えてた俺は、もうここに住むしかないと思った。
食べたやつらはみんな帰っていったんだけど、また違うやつらが入ってきたからしれっとまた端っこの席に居座った。
先生と呼ばれていた大人は俺を見て一瞬止まったが、また何事もなかったかのように他のやつらとわーわーやっていた。
なんだかそれも終わって、今度は先生の前に子供たちが列を作る。
当然俺も最後尾に並んだ。
そしたら今度は昼に食ったパンを三つももらった。びっくりした。
ここに住もう、そう決意した。
けどそんな決意はすぐにぽっきりおられた。
帰れ。
先生が有無を言わせずに言う。無表情でちょーこえぇの。
でも飯くれた人だし、逆らえなくて仕方なく出ていった。
帰る場所なんて俺にはない。
街外れの宿屋の馬小屋の裏の軒下。それが俺の寝る場所。
見つかったら追い出されるから、うろうろ当ても無く彷徨って、暗くなってからそっと滑り込む。
当ても無くただうろついてられるのなんて久しぶりだった。
だって今まではずっと落ちてる残飯や小銭を探し回りながら腹が満たされるまでずーっと徘徊してた。
満たされたことなんてないけど。
それなのにその日は違ったんだ。
ぼろのシャツの下、腹に隠したでっかいパンが三つもある。それだけで幸せだった。
ねぐらに着いたら一つ食べて、朝が来たらまた一つ食べた。残りの一つは、ねぐらの藁の下に隠しておく。
陽が昇ってから、再度学校とやらに行ってみた。
昨日と同じ席に座り、パンとスープを待つ。
衝撃的な事に、また同じパンとスープが出た。午後も座って過ごし、パンをもらって出ていく。
そんな生活を二週間続けた。
隠してたパンはどうなったかって?
たまに野良犬に食べられたり虫に食べられてたりしてショックだったけど、概ね俺が食ってたよ。なんせ成長期だったしね。
でも一番衝撃だったのは、腹が満たされて食べきれないパンが手元にあるってことと、それによってパンがカビたことだった。
この俺が、まだ柔らかさのあるパンを固くした上に、カビさせたんだ。
しかもちょっと青カビが生えた程度で、食べたくないと思ってしまった。
もったいなくて仕方ないのに、食べたくないと感じる自分。
カビたパン食べて腹下して、懲りずに腐った残飯食ってまた腹壊してた俺がだぞ?
あまりの衝撃に、その日は一晩寝れなかった。
さえない視界と、飯はまだかと鳴く腹、痛む頭を抱えてもういっそルーティンのように学校への道を進む。
初めてスープを残した。
三つのパンを持たされたら、もう駄目だった。
顔も頭の中もぐしゃぐしゃだった。泣きそうだし叫び出したいし、でも何を言えばいいのかわからない。
パンは一つで十分です。だから、ここに置いてください。
やっとの思いでその一言を紡いだ、と思う。呂律回ってなかったし。
相変わらず無表情の先生は、やっぱり無表情のまま言った。
パンは好きなだけやる。風呂にも入れてやる。その代わりこことうちの掃除をしろ。昼間はしっかり勉強もするように。
俺は先生と一緒に初めて公衆浴場に入り、先生の家のソファで眠った。
次の日から学校では一番前に座って、先生の話をちゃんと聞いた。
初めて使った黒板とチョークは、力を入れすぎてチョークが真ん中でぼきりと折れた。
昼は子供たちにスープをよそう先生の横でパンを配った。夕方は、先生がパンを配る後ろで掃除と片づけをした。
初めはほかの子供たちに胡乱げに見られたりいろいろ言われたりしたものの、いつしかみんな慣れたのか何も言わなくなった。
学校で勉強と掃除をし、三日にいっぺん先生と公衆浴場に行く。
先生の家はゴミはないもののとにかく本が多くて足の踏み場がなかったから、それを片付けるのも俺の仕事になって、空いた時間は本を読む。
いつの間にか字が読めるようになっていた。
本で分からないところを先生に聞けば、ちゃんと答えが返ってきた。
そんな生活が一年程続いたある日。
先生って、教えるの下手っすよね。
初めて先生の顔がゆがんだ。俺は爆弾を投下してしまったらしい。
明日から、お前が子供たちに教鞭をとるように。
え、やだ。…と、見開かれた瞳を前に言えるはずもなく。
見よう見まねで授業をした次の日。
一番幼い子供がスープを口に含みながら言った。
先生の授業よりわかりやすかった!
初めて先生がスープで咽た。
その一か月後の夜。またも先生が言った。
来月、学院の入学試験がある。行って来い。
は?学院て何…と聞くまでもなく、先生が数枚の紙を渡してきた。
そこには『王立リーヒシュタット学術院 第一期生入学試験要項』と書かれていて、読み進めるうちにどんどん俺の眉間にしわが寄っていく。
貴賤身分を問わない。学びたい者を歓迎する。
絶対嘘に決まってる。
貴族なんて平民を見下して搾取するだけのただの豚だ。
今思えば、俺が浮浪児だったのも、領主であるお貴族様の圧政の諸々がまわりまわって俺にたどり着いたものだ。
俺は学びたいわけじゃない。
ただその日に食えるものがあって、柔らかいソファで寝れたらそれでいい。
あのソファじゃお前はもう窮屈だろう。
相変わらず無表情の先生。
…なぁ先生、俺がいらなくなった?
うっかり泣きそうになって慌てて背を向けて走り出すが、右手を掴まれ進めない。振りほどけない。
お前は、どこに出しても恥ずかしくない、立派な息子だ。
振り返れば無表情の先生の目元がうっすら赤い。
ねぇ、その言葉信じていい?
俺のこと、ほんとに息子だと思ってくれる?
それからの俺はなんだかんだ学院に入学し、知っての通り学院に併設の寮に入って生活した。
俺みたいに王都の外から来た奴もいれば、金がなかったり家に居場所がなくて入る奴もいた。
驚いたことに、寮での生活は文具や服なんかの消耗品は自前で用意しなければならなかったが、部屋と食事は無償で用意されてたんだよ。
俺はソファー生活から脱却して、ついに柔らかいベッドを手に入れたんだ!
そういえば、貴族なのに通いやすいからってだけで寮に入った変わり者もいたな。
でも学院といったらまぁ第二王子殿下だろ。今はもう公爵閣下か。呼びやすいし、今は殿下でいっか。
学院の第一期生っていやぁ、今じゃもう伝説みたいな…ちょっとした箔がついたっていうかさ。
それもこれも殿下のせいなんだけど。
そもそも個人に教師がついて勉強してきたお貴族様と、ちょっと学校で成績がいいだけの平民とじゃ差があって当然なんだよ。
それを見下されて。なにくそって思ったよ。必死で勉強した。
中にはなんだこの講座っていうのもあったけど。
貴族のマナーとか言い回しとか慣習とか?なんでいちいちそんなことするんだとか、意味不明な言い回しとか、遠回りな道順とか。
まぁあの講座が今じゃ役に立たないこともない。
あとはあれだ、先生んちで読んでた本がだいぶ役に立った。全然役に立たない知識もあったけど。
そんなこんなで必死こいて勉強して半年も経つ頃には、成績の差はほとんど埋まってた。むしろ平民連中の方が押し始めてた。お貴族様は余裕ぶっこいてサボってたんだ、当然だろ。
それに焦ったのが教師達でさ。教師の大半が貴族だからな。
貴族の子女達向けに特別講座が組まれたり、目に見えて優遇され始めた。
明らかな贔屓がまかり通った。
これだからお貴族様はクソなんだよ。
学院は荒れた。荒れに荒れた。
貴族と平民、教師と生徒。至るところに火種が燻り、いつ爆発してもおかしくなかった。
そして迎えた二年目。
始業の挨拶をしたのは、理事として赴任したこの国の第二王子殿下だった。
あ、もうダメだ。辞めよう。
本気でそう思ったね。
ところが殿下の第一声はこうだ。
生徒全員が居心地よく学べる場を提供する事を約束しよう。
金髪碧眼の整った顔が、そりゃもうキラッキラの笑顔でさ。いっそ胡散臭かったよね。
それが一ヶ月後には本当になったんだから、また驚いた。
平民の有識者を多く教師に起用して、あまりにも貴族優位を叫んでどうしようもない奴は辞めさせられた。
けど対立はそのまま闘わせるし、確執もあえて放置。
教鞭を執るときは完璧と言わざるを得ない優雅な仕草で貴族連中を唸らせ、休憩中は平民と全力で笑い合う。
そうしていつの間にか対立は切磋琢磨に、確執は対話への踏み台になった。
いやー、こう語ると殿下すごいね。笑っちゃう。
その殿下の口利きのおかげで、今俺王宮で働いてるんだけどさ。
ご存知かもしれないけど、俺は今宰相閣下の元で上級補佐官として働いています。きっかけは殿下の口利きですが、現在の地位は俺の働きの結果だと思ってます。
学校や学院は俺にとってすごく大事で感謝しかありません。
貴族連中は今もあんまり好きじゃないけど、悪い奴ばかりじゃないことも学院で知りました。
政策の一環と言われてしまえばそれまでですが、王家主導のこの政策で救われた奴は、たぶん俺だけじゃない。国のためってより、王家のために働いてるつもりです。
お二人が学校や学院のために寄付をしたり、慰問を頻繁に行っている事も彼女から聞きました。
学校の連中はまだまだ悪ガキばっかりで言えないと思いますので、俺が代わり伝えます。
子供達のために親身になってくださり、本当にありがとうございます。
そしてこんな俺ですが、お願いがございます。
彼女のご両親だから、嘘偽りなく生い立ちから全て話そうと決めました。
こんな下賎な生まれの俺ですが、今ではそれなりに生計を立てております。
贅沢はさせてやれないかもしれませんが、優しく温かい家庭を築くと誓います。
伯爵。伯爵夫人。
どうか。
どうか、娘さんを俺にください。
そう言ってがばりと下げられたキレイな旋毛を見ながら、伯爵は感慨に耽った。
取り立てて秀でたものはないが、可愛い娘だ。
いつかこういう日が来るんじゃないかとは思っていたが、まさかこんな大物を釣り上げてくるとは思っていなかった。
十年程前に創設された学術院は、先代陛下が構想を練り、現陛下が立ち上げ、元第二王子殿下が運営を任される王家肝いりの政策のひとつだ。
学院の卒業生といえば、貴族平民問わず優秀と評判で、今もっとも勢いのある若手連中である。
中でも伝説じみた逸話を多く輩出しているのが、元第二王子殿下もとい現公爵閣下の最初の手が入った第一期卒業生達である。
息子が学院出身のとある商会は隣国での大きな事業を成功させたし、やはり学院出身の令嬢を擁するとある伯爵領は今をときめく観光地となっている。
他にも様々な分野でいろんな逸話がごろごろ出てくるのが、学院出身者達だ。
しかも目の前にいる青年は、宰相の上級補佐官。
貴族でだっておいそれとなれる立場ではない。
絶対まだまだ出世する。
学校に通うまでの出自は確かに誉められたものではないが、平民の特に貧困層ではままある事であろうし、学院出身しかも第一期生であるという肩書きがそれらを補っても大量のお釣りが来る程だ。
創設当初は募集した平民に加え、箔付けやら平等の理念を掲げる都合上、適当な貴族の子女をそれぞれ王家からの見返りを得た上で仕方なく学院に通わせた経緯がある。
しかし今の学院は、貴族がどれだけ金を積もうとも入れる場所ではない。
純粋に学ぶ姿勢やそれまで蓄えた知識と知恵が見定められて、やっと入学を許される。
ぬるま湯にひたった貴族の子女では、門前払いも待ったなしだ。
「あなたはどう思ってるの?」
妻が娘に問いかける。
よく聞いてくれた。それ大事。
いくら肩書きがあろうと、娘の気持ちが第一だ。
「もちろん、私も同じ気持ちです」
頬を染めて口を開く娘。
見るんじゃなかった…。こんな可愛い娘、嫁に出したくない。
けれど。
嫌だけど。
ものすっごく癪だけど。
「誓いを破ったら、その身に明日はないと思え」
「…っ、はい!ありがとうございます!!」
せめてもの悪あがきだ。
だって諾しか返事出来ないやつじゃん。
あーもー…今夜は酒飲みながら妻に慰めてもらおう。
チラリと横を伺えば、クスリと笑う妻がいた。