こたつのハル
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うひー、さぶいさぶい……今年もいよいよ冬かって空気が漂ってきたなあ。
つぶらやくんちは、また暖房控えめで過ごしてくのかい? よくやるねえ、まったく。君のところで暖を取れるものなんか、風呂、コンロ、布団くらいだもんね。
僕の実家は、ぼちぼちこたつを解禁しようかって話が出てる。この点、実家暮らしはグッドだね。誰かが用意してくれたものの、おこぼれにあずかれるんだから。
一人でいると準備から片付けまで、身体ひとつでやらなきゃいけないから、面倒なんだよねえ。手順を考えただけで、やる気がデストラクションしちゃう。誰かにやってもらうって、こんなに楽で、ありがたいことなんだって、ひとりで暮らし出すと改めて感じ出すんだよね。
ただねえ。僕はあらゆる暖房器具の中で、唯一、こたつにはあまりいい思い出がない。昔に不思議な体験をしたことがあってさ、悪いことじゃなかったんだけど、印象が残っちゃって。
――そのときの話を聞いてみたい?
ん、まあ子供のころの小さな思い出なんだけどね。興味があるなら話そうか。
冬場のコタツというと、僕の家ではその上にザルに入ったミカン。その脇に卓上のコンロを置いて、もちを焼いているというのが、なじみの風景だった。
我が家は年末になると親戚やご近所さんから、もちをたくさんもらう。そのままだと傷んでしまうから、年明けにお雑煮を食べ終えた後なんかは、家族でせっせとおもちを消費することが望まれた。
僕たちも冬休みが明けたあとの学校帰り、こたつに足を入れながらコンロのスイッチを入れて、もちを焼くのが常だったさ。
当時の僕の家では、猫を飼っていた。ハルって名前の黒猫でさ――なんでも、買ってきた時期が春だったから、ハルなのだとか――あったかいところが好きだった。
冬場になると、よく誰もいないコタツの中へ潜り込んで、ゴロリンと転がっている。歌ではコタツで丸くなるらしいけど、ハルの場合は無防備なことが多いなあ。あおむけになって、お腹を大胆にさらしながら伸びていることが多いんだ。
おかげさんで、足を入れる時もスイッチをつける時も、ハルに危害が加わらないように気をつかっていた。足も過ぎた高温も、ハルにとっては大敵になるからね。
このハルなんだけど、両親いわく勘なり霊感なりが、とても強い猫との話だった。
壁に取り付けた家具が外れたり、倒れたりする直前に、決まってハルは鳴きながらしっぽをぴんと逆立てるとのこと。
まだその現場に立ち会っていない僕と兄にとっては、まゆつばもんの話。たいてい目にするのが、家のあちらこちらでくつろいでいる年老いた猫の姿だったっていうのも大きい。
その日は学校から帰ってくるのと入れ違いに、親が買い物へ出かけていってしまう。
珍しく兄の方が先に帰宅していて、すでに居間のコタツの上で、もちを焼く準備をしていた。
「ハルは?」と尋ねると、黙って自分の入るコタツ布団を二、三度指さす。めくってみると、すでに足を伸ばす兄の膝小僧の近く。かすかに赤くなった中央部からわずかに外れ、収納ボックスの真下あたりで仰向けに眠る、ハルの姿があったんだ。
――あいかわらずのんきな奴。
僕は居間の入り口わき、ゴミ箱の口をふさぐ形で置かれた、ひとかかえもある紙箱のフタを取る。
中身はおもち。ひとつひとつが手のひらに乗っかるほどのサイズに切り分けられているけど、まだ箱の半分ほどは残っていて、上から軽くラップをかけられている。
すでにコンロの網の上には、兄が焼いているおもちが3つ。僕も箱の中から3つ取り出して、空いたスペースへ乗せた。ちょうど縦横に3×3で置いた形になる。
兄は元から持っていた菜ばしで、もちを次々にひっくり返していく。その間に僕はのりと醤油、きな粉と小皿を持ってきてコタツの上へ。それが済むと掃き出し窓を背に、兄の足と90度交差する形で足を差し入れたんだ。
ハルに配慮して、コタツの温度はせいぜい重ね掛けした掛け布団の中程度の高さを保っている。眠くなるには少し物足りず、僕はぼんやり兄が世話しているもちへ目を落としていた。
やがて返されるもちの腹に焦げ目が、そして内臓がぷっくり膨らみ始める。兄はささっと自分の取り分を皿へうつすと、菜ばしを僕へパス。「あとは自分でやっとけ」とばかりに、しょうゆも別の皿へ出し始めた。
僕のもちもキツネ色がしみ出し、もういくらもしないうちに食べごろを迎えるだろう。
そのときだった。コタツのふとんの中から、不意に猫の声があがったんだ。
「ははあ、ハルのヤツ起きたな」と、僕も兄もゆったり構えていた。僕は中をのぞかず、そのままもちの世話を続けていたんだ。
ハルはというと、布団の中へ出ないまま何度か鳴いたかと思うと、今度は靴下越しに、僕の足をくすぐり始める。兄の足の位置からして、手を出せるのはハルだけだった。
これも今まで何度かあったこと。ハルはコタツの中へ先に潜っていると、後から入ってきたものをなでたり、なめたり、顔をすり寄せたりしてくる。
ハルなりの信愛表現なのだろうと、僕たちは思うようにしていたんだ。
でも、今回は違う。くすぐり方が妙に細かくて、こそばゆいんだ。
もちをひっくり返しながら、つい「ふふ」っと顔を緩めてしまう。兄も「ん?」と僕の顔を見ながらも、かじったもちを手放さない。びろーんと、唇ともちをつなぐアーチが垂れ下がる。
ほどなく、僕の置いたおもちも膨らんでくるけど、ハルのくすぐりもなおその責め方を増してきた。くすぐったさも増すが、足の裏の熱もまた一緒に高まってくる。ついに我慢しきれず、僕は笑い出してしまった。
「ハル〜、さすがにおとなしくしなよ〜」
兄はもうもちを食べ終えて、席を立とうとしていた。僕はもちを小皿へうつしつつ、ハルをたしなめようと、くいっと布団を持ち上げたんだ。
ハルは僕の足のすぐ横。片方の前脚を僕の足の裏へ回しつつ、弱めの赤い光を浴びながら、こちらを真っすぐ見つめていた。じっとさ。
思わず身体を引きそうになったとき、ハルの前脚が軽く動いて、僕の足の裏を「とん」と叩いてくる。
強い力じゃなかった。むしろ、ハルの動作を見ていなければ、触れたかどうかも分からない、蚊がとまったかのような触れ方だった。
直後。僕はこたつの中へ足を伸ばした姿勢のまま、一気に後ろへ跳ぶ。
足の裏から、一気に熱いものがほとばしった感触。わずかに遅れて背中を「があん」と、大きい音を立ててガラスへぶつけた。
兄はこちらを向くし、ハルは前へ出ながら、こたつ布団をかぶるようにしながらも、視線をそらさない。ようやく気付いたよ、ハルの視線が僕じゃなくて、その脇の背後へ注がれているのにさ。
ガラス越しに、逃げ去っていく足音が聞こえる。それと一緒に、僕の背中へ落ち、そのまま畳へ転がったものがあった。
丸く削り取られたガラスだ。見上げると、ガラスのカギをかける部分のやや右上の部分に、同じ形の穴が開いている。
誰かが音もなくガラスを切っていたのさ。恐らくはここを開けるために。
近所で留守番中の子供が重傷を負わされたってニュースを聞いたのは、それから数日後の話だったよ。
それからというもの、僕はこたつへ足を入れると、しばしばむずがゆさを覚えるようになる。たとえハルがそこにいなくってもさ。
あのときハルに救われたのは確かだろうけど、僕は気味悪さの方が勝ったよ。
このかゆさを覚えるとき、自分の近くに何かがいる……そんな不安に駆られそうになるからさ。こたつに入るのが、いまでも少し怖いんだ。