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空の鳥影

エノク無双まで……2



 飛沫を散らしていた噴水。

 その水が少しずつ落ち着いていった。

 女性の形は最初よりも整い、そこに水の体を得た一つの生命体が完成していた。

 その優美さに、誰もが見惚れている。


『試験は三つ。

 先ず基礎算術の筆記、次に体力測定、最後は魔力の検査です。皆さん、既に予習をなされていると思うので、準備は良いですね?』


 噴水の乙女が一応と訊ねる。

 エノクだけが全力で首を横に振った。

 さも受験者は対策を講じていると考えられている。

 それはきっと、例年の傾向から生まれた常識。

 誰もが最初に立っていて(しか)るべき始点(スタート)に、エノクだけが辿り着けていない。

 マリョクとは何か?――そんなことも知らない。

 試験内容を織り込み済みの受験者たちは、なるほど覚悟を決めて、中には余裕すら垣間見せる笑顔すらあった。


「筆記は算術だけか」

「算術とは、まさか計算するやつか?」


 懸念の一つが解消された胸を撫で下ろす。

 しかし、算術にすら疎そうな黒髪の少女。

 自身も危ういが、それ以上にエノクには彼女の前途が暗く閉ざされたものに思われた。

 少女の方を見て、ベルソート直伝の安心させる笑顔を作った。


「頑張ろうな」

「おうとも!……何をだ?」

『ふふ、それでは第一の試験を発表します』


 噴水の乙女が優雅に立つ。

 希望に爛々と目を輝かせる少女は、幻想的な姿に顔を紅潮させている。

 不安一色のエノクは、窮地の真っ只中(まっただなか)とあって、隣の顔色が信じられないといった表情だった。

 そも試験と知らない彼女に事実を告げれば、果たして感情は反転するのか。

 エノクと、いや周囲と同じ緊張に身を竦ませているのだろうか。


「凄いな、あれは何だ!?」

「魔法だよ、多分」

「マホウ……呪術の類いだな!」

「ジュジュ……何?」

「ん?」

「はい?」


 エノクと少女は顔を見合わせる。

 噴水の乙女が二人の会話を見守っており、その視線に気付いて互いに口を閉じた。

 周りから競争相手としての敵意にエノクは全身が粟立つ。

 目下、危険なのは魔法学。

 試験の順序がどうなのか、仮に魔法学が二つ目、あるいは最後なら、それまでに情報を得て付け焼き刃でも対処法を考えられる。

 半年も猶予があって準備を怠った不覚を、どうにか取り戻さないといけない。


 決然と身を引き締めるエノク。

 噴水の女性はその心中を察して微笑むと、再び広間に集合する全員を柔らかい眼差しで包む。


『では最初の試験――』


 エノクは必死に胸中で念じた。

 ――頼む、筆記か体力測定!

 第一関門の筆記に危険性が無いと分かった今、最も恐れるのは魔法学。

 それさえ後になれば、短い間とはいえ情報収集もあたう余裕が生まれる。


 エノクの念に応えるように。

 噴水の乙女の唇が第一試験について明かす。

 女神のような彼女の笑みは――。


『第一試験は、魔法学です』


 エノクに寸暇の油断すら許さない。

 嘆くしかなかった。




 半ば死刑宣告のような発表から数分。

 受験者たちは整列し、広間の隅に立っていた僧衣の男性に案内されて移動中だった。

 暗然とした先行きに顔色の悪いエノクを、黒髪の少女は心配そうに見ていた。

 噴水の乙女からの説明を個別に受け、ようやく今回の趣旨を心得たのである。

 そうして、遂に隣の少年の屈託に共感した。


「そなた、大丈夫か?」

「大丈夫そうに見える?」

「俯いては駄目だ、まだ希望を捨ててはいけない」


 エノクは失笑した。

 先刻まで無知だった少女の言葉に、いったい誰が勇気付けられるというのか。

 前向きでいられる姿勢も、いつまで()つのやら。


「そういえば、まだ名告っていないな」

「今?」

「私はカスミ・キリサキという。そなたは?」

「……エノク。家名は無い」

「そうか、エノクだな。うん、良い名だ。私はカスミと呼んでくれ!」


 手を差し出す黒髪の少女――カスミ。

 エノクは、その白い手に応じて握手する。

 見上げた先にある笑顔が改めるまでもなく美しいの一語に尽きた。

 腰に届くまである濡羽色(ぬれはねいろ)の長髪は、まるで彼女という花を添えるように綺麗だった。


「しかし、マリョク検査?とは何だろうか」

「多分、魔法が使えるかどうか、じゃない?」

「私は剣以外に心得がないぞ?」

「俺だって、ただの船乗りだし」


 雑談をしていると、前方から含み笑いが聞こえた。

 耳敏く聞き咎めたカスミがそちらを睨んだ。

 前列の三人が肩越しに二人を嗤っていた。


「聞いたか?」

「平民の分際で参加するのも罪深いのに」

「まさか試験そのものを知らんとは」


 嘲る声は大きかった。

 憚る積もりがなく、挑発を意図している声色。人の悪意がありありと窺える言葉だった。

 三人の蔑視を受けて、カスミが険相になって前へと足を加速させる。

 その肩をエノクが摑んで止めた。彼女から向けられる批難の眼差しも受け止め、首を横に振った。


「安い挑発だ」

「しかし、私たちを侮辱した!」

「事実だ。俺たちは(おく)れを取ってる」


 カスミは悔やみで顔を歪ませた。

 重ねて無知だった数分前を恥じている。白い肌が蒼褪めるほど強く拳を握っていた。

 エノクはどう慰めていいかと悩み、彼女の肩から手を離した。

 いま何を反論しても、戯れ言としか受け取られない。彼らの悪意に対抗する術を、カスミは全く所持していないのだ。

 そして更に。

 揉め事を起こせば、試験は即座に中止され、関与していたとなればエノクすらも同等の処遇を受ける。

 失格と同時に死刑。

 こうなれば、阻止手段の是非は問わない!


「彼らを気にする必要はない」

「エノクは侮られたままで良いのか?」

「……カスミはどうしたい?」

「勿論、見返したいさ!」


 エノクの質問にカスミは即答した。

 予想通りの回答にエノクは口許を綻ばせる。

 まだ半時すら経たない交流でも、彼女の性格が大体わかってきた。

 純然たる直情家のカスミは、些細な過小評価も断固として許さない。嘲弄(ちょうろう)など以ての他だ。

 だからこそ。

 その感情を逆手に取れば試験を阻害する衝突は避けられる。


「今は試験、つまり実力試し」

「うん」

「ここに参加する以上、身分の貴賤なんざ実力の如何には影響しないだろ?」

「うんうん」

「つまり、試験で彼らより良い成績を叩き出せば良いんだよ」

「な、なるほど!」


 カスミが束ねた黒髪を揺らして同意する。

 その様子がレイナルに似ていて、エノクは思わず涙腺が緩んだ。

 ――はやく会いたい……!

 すっかり意気込んだカスミは気合いを入れ直す。

 それを傍目(はため)に、エノクは物憂げに空を見上げた。

 マリョク検査の全容が知れない今、対策の打ちようがない。何もない状態から捻り出す物があるのだろうか。


 エノクの頭上を、鳥影が飛んでいる。

 広間からずっと()いて来ていた。未だに影の正体はわからない。

 ベルソートの言葉が脳内で蘇った。


「俺の才能って、何だろう……?」


 エノクは独り()ちて。

 列の前進が止まったのに気づいた。

 また別の広間だが、今度は噴水ではなく中心に火を(とも)した燭台が立っている。

 火の熱に照らされ、受験者たちの影が足下で黒いうねりとなって揺れていた。

 そして。

 先導を務めていた僧衣の男性が、両手を挙げて全員の注目を集める。


「ここで試験を始める!準備は良いな!?」


 受験者が「はい」と言葉を返す。

 いよいよか。――また暗くなるエノクの胸前に、白い拳固が突き出される。

 腕を辿って見ると、カスミが笑顔で構えていた。


「互いに武運を祈ろう!」

「……そうだな」


 エノクも頷いた。

 拳が合わさり、互いの体温に不思議と胸懐を占めていた不安の影が吹き払われる。

 幾度になるかわからない再決意をし、エノクは先導者を見据えた。

 最初の試練を乗り越える為に。


「よし、やってやる!」




次。

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