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魔女の隣



 研究室での一幕。

 それから二時間後のことだった。


「な、ななななな…………!?」


 アレイトは愕然としていた。

 開いた口が塞がらないといった様子で、講義室へと入って来た二つの人影を凝視する。その反応は隣りにいたキュゼとリードも同様だった。

 一人はエノク。

 なぜかローブを脱いだ制服姿である。

 ついでに頬には薄ら赤い手形がついていた。


 そして、もう一人。

 エノクの一歩先を歩む貴影にこそアレイトは目を離せなかった。

 灰色の髪の少女、いつも張り詰めた空気をまとう同年代とは思えない風格の持ち主が、違和感を伴って講義室へと入る。

 違和感の原因はその白いローブか、はたまた生来の少女から発せられるものか。


 慄くアレイトの隣を過ぎていく。

 やや後方の座席に少女――ホタルは座った。

 その隣の座を占めたエノクは、いそいそと教材を取り出す。二限目にしてようやくの出席となる彼は、心做しか顔色が悪い。

 隣りにいるホタルの端然とした姿とは対照的で、だが同様に目立っていた。


 あの二人を中心に魔境が完成している。

 近づきがたく、侵しがたい。


 エノクはともかく、ホタルの人を寄せ付けない風の佇まいは接近を躊躇させる。

 君子危うきに近寄らず。

 そんな言葉が東方にあるという、今は益体もない情報を思い出しながら、アレイトはしかし二人の様子が気になって仕方がなかった。

 この際、ホタルには話しかけないでいい。

 なぜ、エノクが彼女といるのか?

 その理由を問い質したかった。


 授業前の、十五分程度の準備時間。

 その間でも良いかと、悠長に心構えを作るアレイトの横を、颯爽とカスミが過ぎていった。


「おはよう、エノク!」

「ああ、おはよう」

「一時限目は欠席だったが、どうしたんだ?」

「諸事情があって」

「む、それは私にも話せない内容か」

「実はまだ事をちゃんと把握してないっていうか、後で説明する」


 カスミは自然体だった。

 ただちら、とホタルを見て小さく会釈する。

 あのカスミですら、どことなく緊張している様子が窺えた。

 やはり、近づき難い。

 カスミですらあの調子なら、他はもっと――それが言い訳と途中で気づいて、アレイトは嘆息する。


 まさか、この僕が誰かの後塵を拝すとは。


 アレイトは己の躊躇いを嘲り、さっと席を立った。

 隣の二人が小首を傾げる。


「アレイト様?」

「あの愚民に何か用ですか」

「ああ、少しな」


 そう二人に断ってエノクの所へ向かう。

 接近するアレイトに気づいて、エノクは呑気に片手を挙げた。


「あ、おはよう」

「おい下民、少し顔を貸せ。カスミもだ」

「む、心得た」

「え、ああ、了解…………ごめん、少し席を外すよ」


 エノクは隣のホタルに一声かける。

 彼女はエノクに一瞥もくれず、了承ともとれない無言を返す。

 やや離れづらそうにするエノクを引っ張って、アレイトは廊下まで移動した。

 講義室の扉を閉めて、声を潜める。


「おい、エノク!貴様、なぜヤツと共にいる?」

「アレイト、何で小声なんだ」

「あの魔女のことだ、魔法で盗聴してるかもしれないだろ」

「魔法ってそんなことできるのか!」


 どこか話が噛み合わない。


「あの魔女と朝に何かあったのか」

「いや、それとは別件で…………一身上の都合でホタルの研究室に仮配属になったんだ」

「仮配属ぅ?」

「その、それで」


 話しづらそうだが、エノクは事の顛末を語った。

 ホタルの研究補佐となって働くこと、今朝は研究棟から本棟へ戻る道中で聖バリノー教の異端審問官に襲撃を受けたこと。

 それから――。


「これからの襲撃を危惧して、やむを得ずホタルが授業に同席してくれることになったんだ」

「い、意味がわからん」

「ホタルは俺を擁護してくれる立場、なんだが…………研究ができないのもあって、少し機嫌が悪い」


 エノクの顔色が悪い原因をアレイトは察した。


「あの女、怒ると凄まじいからな」

「ホタルが、怒る?」

「ああ、とんでもないぞ」

「…………何をしたんだ、アレイト」


 エノクは目を瞬かせる。

 たしかに、研究室でホタルが怒るところを見たばかりだが、予見していながら他人を危険に陥れた己に怒るほどの人格者だ。

 それが他人に怒るとなれば、余程の理由である

 エノクが危険を自覚せず、呑気にやっているから叱られることは仕方がない。

 アレイトの場合は…………どうだろう。


「ヤツとはリューデンベルクの高官たちや他国の貴賓が集まる舞踏会で知り合った」

「む」

「そこで世界的な名家の令嬢という立場もあって接触したんだが…………人間自体に興味がないような感じで無礼なヤツでな」

「眠かったのかな」

「そんなわけあるか!………それで、その、色々あって…………ヤツは『敬いのない人は嫌い』とか言って僕を拒絶したヤツだぞ」

「は、はあ?」

「無愛想だが何を考えてるか分からないってのは僕の偏見ではなく、他の連中でもだ。エノクも利用されているだけだぞ」


 エノクはふむ、と頷く。

 それは既に承知している。

 これからレギューム内にホタル派なる組織を水面下にて興し、これからその手を広く伸ばしていく為にエノクの力が必要と最初から伝えられていた。

 大恩もある、断れはしない。


「忠告ありがとう、アレイト」

「それに、貴様は僕の子分だぞ」

「エノクは私の親友だ」

「うん。でも俺、今はホタルの補佐(イヌ)だから」

「…………今、何か不吉な含意が無かったか?」

「気の所為だ」


 エノクは笑ってごまかした。


「忠告はしたが、あの女は利用できる部分まで利用して早々に手を切れ」

「…………」

「私はエノクの交友関係に口を挟みたくはないが、ホタル殿は底が見えん…………用心しろ、もし何かあれば私が」

「二人とも顔が怖いって」


 凄む二人からエノクは半歩だけ身を引く。

 ふと五分前の予鈴が鳴った。

 話を切り上げて、三人は講義室へと戻る。


 引き戸を開けて、中へ入り――。


「おい、名前は何という?」

「我々を何者だと心得ている?リューデンベルク三大公爵に仕えるブレイナル家とクライマン家の跡取りだぞ」

「……………ええ、存じ上げております。ところで予鈴も鳴りましたので、そろそろ着席された方が宜しいかと」

「そう恥ずかしがるな」

「まだ話す時間はあるだろう」


 ホタルに詰め寄るキュゼとリードに、三人は固まった。

 軽薄な笑みを浮かべた二人はホタルの前の席に移動して話しかけている。

 ホタルは――いつものごとく、目を閉じて視線を合わせず、人形めいた無表情で応対していた。


 アレイトは頭痛を覚えて額を押さえる。

 カスミは何事か分からず小首をかしげた。

 エノクは――。


「バカな、命知らずなのか…………?」


 と。

 ホタルが聞いていれば即説教となることを口にした。

 あれは間違いなく悪質な勧誘の類である。

 ホタルが嫌がること、その最たる例の一つだとエノクは知っている。


「二人はホタルを知らないのか」

「実際、ホタルはレギュームを滅多に出ないからリューデンベルクでも顔を知るのは高位な者だけだ。あの小物共にはわからん」

「アレイトの友だちだろう」

「子分だ」

「悲しい区分だな」


 エノクは呆れてため息をつく。

 すると、そんなエノクの気配に気づいてホタルが目を開けた。

 瑠璃色の視線が、三人を見る。


「おい、あれは」

「嫌な予感がする」

「――あら、エノク君。戻ったなら、早く席に着きなさい」


 ぽんぽん、と軽く隣の席を白い手が叩く。

 その瞬間。

 鋭い視線が二つ、エノクを射すくめた。


「どうしたの?」

「はい、座ります」


 どこか芝居めいたホタルの声。

 エノクは大体察して、修羅場を覚悟し座席に着いた。





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