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新たな敵性



 椅子に座って一息。

 そんな余裕はあまり無かった。

 隣のエスメラは、未だにエノクへと敵意の眼差しを注いでいる。外での戦闘から一時も損なわれない気勢には感服する他ない。

 鎮圧にも手間取った苦労から知っていた。


 ともかく。

 改めてエノクは己の学生生活の始動がまた頓挫した屈辱を噛みしめることになる。

 正直、ホタルの話を聞くよりも先に思いきり泣きたいくらいだが、そうなれば彼女から本当に失望されるのは免れない。

 仕方なく、屈託を面に出さないよう努めた。


「さて、エノク君」

「はい」

「三神聖堂が何かはどこまで分かる?」

「何だか祈りを捧げる場所、みたいだったな。俺の村にも似たような物があったよ」

「因みに、宗教って知ってる?」

「何でも、神様を信仰する…………考え方?だとか」


 ホタルは目を閉じる。

 この絶望的なまでの教養の無さ。

 これまで言葉による対話の能う基礎的な部分を除けば、それ以外は全くと言っていいほど未開拓だとエノクを認識していた。

 だが、その基礎部分すら今は危うい。


 エスメラが失笑をこぼした。


「ホタル様、こんなヤツ見捨てた方が」

「あなたに発言は許してないわ」


 エスメラの嘲りをホタルが鋭く制する。


「今のあなたは捕縛された身、許可があるまで口を閉じなさい」

「ホタル様…………!」

「…………なに?」

「ッ…………い、いえ」


 ホタルの怒りが静かに再燃する。

 その気配にエスメラも萎縮し、口を噤んだ。

 ようやく話し合いの場が整ったのを認めて、ホタルの視線がエノクへと戻る。


「三神聖堂は、かつて魔神を討ち斃した三人の英雄…………ベルソート、バスグレイ、ヘルベナを神として祀った場所よ」

「ベル爺も?」

「魔神は、知ってるわよね……………さすがに」

「ええっと。

 たしか、魔獣の祖先となった怪物でしょ…………四千年前に倒れて分解されて、それが魔獣を生み出す胎窟になったとか」

「そう」


 ホタルの短い返事は、心做しか安堵が感じられる声色だった。

 魔神は魔獣を知る上で最低でも触れる。

 魔獣を使役することで死刑判決を受けたエノクが、さすがにそこまで知らないはずもない。…………ただ例外もあることを考えて確認を取った。

 エヴェリンダを見て、魔獣ではなく未知の獣として対応したほどである。


 杞憂だったことに、ホタルは安心した。


「聖バリノー教は、その内の一人…………『聖女ヘルベナ』を神として信じる教えのこと」

「神様を信じる、教え」

「それが宗教。 聖バリノー教は世界最大宗教の一つで規模も大きい、ヘルベナの敵たる魔神、延いてはその分身である魔獣を嫌っているわ」

「は、はあ」

「拠点だった場所がケティルノースによって破壊されて以降、九世紀前からレギュームに本拠地が構えられた」


 ケティルノース。

 その単語にエノクは後ろを見遣る。

 レイナルの『先代』が働いた所業に少なからず驚く。


「魔獣を嫌う、か」

「エヴェリンダ同様、基本は人の敵なの」

「…………そうか」

「聖バリノー教は特に魔獣関連は悪と見做し、必ず撲滅しようとする」

「撲滅」

「基本、宗教が組織化することはないけれど。信仰者が増えて、その発言力が大きくなると武力を担当する部門が出てくる」

「武力て」

「特に聖バリノー教は、異端審問機関が存在している…………バリノー教を恣意的に誤った内容で教える邪教や、魔獣関連の問題を武力解決する」


 そこまで説明されて。

 エノクはようやく腑に落ちた。

 エスメラが自身を襲った動機は、つまり魔獣という悪を駆るエノク自身を悪として捉え、正義の名の下に成敗すること。


「そうか」


 一人納得してエノクは苦笑する。

 たしかに唐突なことで理不尽に思えた。

 常識の無いエノクに対して、エスメラの敵意は至極真っ当な物なのだ。

 そこに宗教的な価値観が混じっているかというだけで、基本的に魔獣は人の敵。

 

 彼女には、彼女なりの正義があったのだ。


 なら――。


「じゃあ、エスメラは悪くないんだな」

「―――は?」


 その一言にホタルが固まる。

 隣のエスメラさえもが驚愕して、その敵意を一瞬だけ忘れた。

 襲撃された者の言える言葉ではない。

 命を狙われた者の表情ではなかった。


 それを、ホタルはお人好しだと呆れる。

 それを、エスメラは一種の侮辱だと捉えた。


「舐めてるんですかッ!」

「いや、そんなこと無いけど」

「たしかに私は悪くない。ただ、何ですかその笑顔…………まるで敵としてすら見てない。魔獣を従えてるなら、もっと…………!」

「いや、うん、言いたいことはわかる」


 身を乗り出すエスメラをエノクは笑顔で見る。


「単に俺が無知だった。俺はレイナルで鈍ってしまってるけど、基本は魔獣はみんなの敵で、それを操るって俺の危険性は誰からしても敵に見られて仕方ない」

「はあ?」

「俺はてっきり、ただ俺が気に入らないから殺しに来たリューデンベルクの連中みたいなのかと思ったら、自分が信じてる物の為に戦ったんだろ」

「それは――」

「なら、仕方ない」


 今度こそ、エスメラは絶句する。

 仕方ない。

 そんな一言で片付けられた。


 エスメラが言いたいのは、魔獣を操る者ならばもっと悪意のある部分があると信じており、その部分を表出しろ――ということ。

 ただのエノクの的はずれな結論を聞いて呆れるしかなかった。


 正直に言って――気持ち悪い。

 筆舌に尽くしがたい、不快感を招く何かがエノクの中から垣間見えた。


 最初からこの少年はそうだった。

 殺されることに抗い、エスメラと戦うときにもレイナルへの指示は一貫して不殺に重きを置いていた。

 無論、一歩間違えば死んでいた。

 レイナルは命を獲る気満々なのだ。

 それを抑制したのは、少年の声だけだろう。


 まるで悪意がない。

 庭園を魔獣の力で破壊した挙げ句、その力で人々を巻き込んだ災いと聞き及んでおる。

 なのに。

 この少年は、エスメラの殺意も何もかも許容した。


「はあ――もう、いいです」


 エスメラは椅子に座り直す。

 肩の力を抜いて長嘆した。

 エノクの甘い勘違いを正すのも億劫になった。

 馬鹿らしい、こんなのを相手にするのは疲れる。

 投げやりになって大人しくなった。


「エノク君、本当にいいの?」

「ああ、俺が非常識だっただけだ。私怨とかじゃなくて、しっかりした正義があるなら仕方ない」

「…………あなたも大概ね」


 ホタルは密かに戦慄すらしていた。

 一般人なら、たとえ宗教だろうと自分とは違う考え方の者に、ただ一方的に殺される状況下において、これを紛糾しないはずかない。

 事情を知ろうと、自分は聖バリノー教の信者でもないのだから、罰せられる謂れは無いと非難することもできる。


 エノクの価値観は、どこかズレている。


 明確に指摘することはできない。

 ただ、根本的な、決定的な部分が人とは異なる。


「それで、あなたの名は?」

「エスメラです」

「あれ、知り合いじゃなかったの?」


 改まって名を尋ねるホタルに、エノクが小首をかしげた。


「ええ、知己ではないわ」

「でも、エスメラさんは知ってる口振りだ」

「聖バリノー教が一方的に私を認知しているだけ」

「…………」


 エノクは口を閉ざす。

 先刻のホタルの怒り様といい、そこから先は触れてはならないと感じて止めた。


「エスメラ」

「はい」

「これは、あなたの独断ではなく聖バリノー教全体の判断?」

「はい」


 質問に、エスメラはただ応える。


「先日から情報があった魔獣使いの少年の存在を看過してはならない、それが我々の意向です」


 エスメラの一言に、エノクは深呼吸する。


 つまり――これからまた、新しい敵が現れたということ。

 やはり、穏やかな学生生活がいよいよ遠ざかったことを痛感させられて、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。








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