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とんぼ返り



 進魔法学科の講義室。

 教壇に立ったティアーノの表情は険しい。

 授業に集まったのは五名だけだった。

 復帰したキュゼとリードとアレイト、アナとカスミがぽつりと二つの島のごとく分かれて着席している。早くも教室内の大雑把な交友関係の形が見えていた。

 たが、そんな感傷よりも。


「どうして」


 ティアーノは思わず呟かずにはいられない。

 魔法基礎論学。

 魔法について無知な初心者にすら解るよう努めて組んだ講義内容を用意し、勇んで足を運んだ結果がこれだった。

 エノクはまだ登校していない。

 研究に没頭するホタルや、事情があって出席していないもう一人はともかく、一身上の都合で授業を怠ることそのものが命取りであるエノクの出席の有無こそ重要だ。


 また道の途上で厄介に絡まれたのか。

 そんな予想が脳裏をよぎる。


 この数日間、ホタルの従僕めいた彼の姿を見かけていた。

 事前にホタルからも、彼が荷物持ちで研究棟に行ってから投稿する旨の連絡も受けている。だから定時刻となっても授業は開始していない。

 なのに。

 明らかに想定した時間を超過している。

 そろそろ他の生徒も怪しむ間隔になっていた。


 あの七日前の騒動。

 レギューム内で暗躍していたリューデンベルクの刺客は大きな損害を被って撤退している。実際に関係者全員を吐かせたり、魔法で潜伏している仲間の人相などの情報を抽出したりと、徹底して排除の挙に出た。

 それが功を奏して残らず一掃する結果となった。

 あとは、あの『襲撃者』の仲間。

 彼女が口にした仲間という徒党を組んだ集団だけは所在が分からない。

 そも、ホタルが一撃の下に斃してしまった。

 あの『襲撃者』の狂気から、きっと尋問しても無駄だったのは察せられる。

 斃す以外に方法が無かった。

 だとしても惜しい。


 これでは、エノクや学校を襲う危機を未然に防ぐことができない。

 もし、今にもエノクがまた同じ脅威に晒されているのなら。


「苦労が絶えませんね」


 ティアーノは自分を労るように小さく、悲嘆を含む声でまた呟いた。





 同時刻。

 ホタルは研究の手を止めていた。

 その理由は一つしかない。

 先刻いってきますと決意の宣言のような挨拶すらして出ていったエノクが、早くも実験室へと舞い戻って来たことだった。

 気恥ずかしそうに笑う彼を、鋭く睨む。

 深刻さが全くない。

 その後ろ。

 レイナルが『おすわり』状態で待機し、その口には腕を後ろ手に縛られた法衣の少女の襟を咥えている。

 それでホタルは事情を大体察していた。


 対して――。


 エノクは笑うしかなかった。

 折角ホタルが荷物持ちから解放し、さらに遅刻の免罪符まで用意してくれた手前、早々に戻って来てしまった己が失態は、なるほど叱責を受けても仕方がない。

 実際に予想通り――いや、それ以上にホタルから発せられる迫力には呼吸が苦しくなるような錯覚を覚える。


「エノク君」

「はい、ごめんなさ――」

「怪我は無いのね?」

「…………え?」


 ホタルの一言は予想外に尽きた。

 完全に意表を突かれてエノクは暫し沈黙する。

 厳しい説教と罵倒に堪える心構えを作ったつもりが、飛んできたのは心配する一声。

 一体、誰が予想できるだろうか。


「怒って、ないのか」

「怒ってるわ」

「顔はそんな感じしないけど」

「つまらない冗談は嫌い」

「ごめんなさい」


 ホタルの声は冷たい。

 エノクの身を心配しているが、それを茶化すような台詞を許さないほどには憤怒している。

 いつもの品のある佇まいは崩さず、ただ底から静かに地を揺るがすような怒気が両立する様は神秘的ですらあった。

 ――と。

 こんなことを口にしたら、今度こそ叱られると思ってエノクは口を閉める。


「じゃあ、何に怒ってるんだ?」

「私」

「え、自分に?」

「そう。 あなたを傘下に加えた時点で、こうなることを予想していたのに…………失念していたわ」

「え、そうなのか」

「これは私の落ち度。だからあなたに非は無い」


 エノクはもう何がなんだか分からない。

 茫然自失とする彼の横で、エスメラが顔を上げた。


「ホタル様」

「様はやめて」

「いえ、我々はあなたの祖を讃えています。その血統たるあなたに敬意を払うのは当然」

「すでに家を出た身よ。 家名を名告るのは、そのとき課せられた最低条件であって、私はもうあの家系ではないの」


 ホタルの顔が初めて表情らしい表情を見せる。

 不快げに下げられた柳眉の下、瑠璃色の瞳が炯々と光っていた。

 そこには殺意すら滲んでいる。

 エノクには状況が全く読めない。

 ただ、エスメラがホタルの触れてはならない部分に踏み込んだことだけは分かった。


「しかし」

「無駄口を叩かないで。 それより、エノク君を襲ったのは、『聖バリノー教』の意向ね」

「はい」


 エスメラが首を縦に振る。

 ぐわ、と襟を噛むレイナルの咬合力が強まった。

 人間の言葉は分からないはずだが、ベルソートの件といい、エノクの身辺を脅かす人物には敏感で、敵意を剥き出しにする。

 エノクはその鼻を撫でて静かに宥めた。


「あの、聖バリノー教って?」


 切り出しづらい時機だが。

 エノクは二人の間に入って疑問を口にした。

 すると、わずかに目を見開いたホタルから空気を圧し潰していた怒気が霧散する。


「あなた、入学初日に説明を受けたでしょう」

「え、校舎の案内と進魔法学科の時間割と、寮の利用法だよ」

「校舎案内で『三神聖堂』の話を聞いた?」

「あー、うん」


 エノクは頷いて、視線を逸らす。

 たしかに、説明は受けていた。

 だが、フレイシアから聞いた『潮騒』といい他にも色々なことがあって、その説明をぼんやりとしか聞いていなかった。

 名前にも、辛うじて聞き覚えがある程度。


 その様子に。

 今度こそホタルが小さな嘆息を漏らす。

 そこには途轍もない落胆があった。


「ここまで危機感が無い、なんて」

「そんな重要な話だったのか…………」

「ともかく、この聖バリノー教はあなたを味方にする時点で私も遠からず襲って来ると認識していたわ」

「そうなの!?」

「ええ」


 ホタルが椅子を二つ用意した。

 一つをエノクに、もう一つにエスメラを着席させる。


「じゃあ、エノク君への説明も兼ねて話しましょう」






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