他力本願
少女が払うように腕を振った。
すると、袖の内から現れた白い杭が手中に収まる。
先刻もエノクに向けて放った物だ。
その投擲速度――エノクが『あの状態』でなくては、恐らく躱せなかった。
現在、正常に戻ったエノクでは回避できない。
それでも。
エノクは動きやすいようにローブを脱ぐ。
「私の名はエスメラ」
「え?」
「聖バリノー教異端審問官として、魔獣を家族などと宣い、無闇に振るうような悪徒を逃してはおけません」
「え、え?」
「ここで執行します!」
名と身分を述べた口上。
それを終えるや少女――エスメラが飛び出す。
杭を携えた手が後ろに引き絞られる。
――投擲の予備動作!
エノクは察してローブで壁を作るように前に放り、その影に身を隠す。
屈み込んだ直後、風を切る音とともにローブを貫いて白い杭が現れた。首筋を風で撫でるほど近い頭上を通過する。
初撃は回避できた。
だが、それだけでエスメラは止まらない。
この場において、彼女に対抗できる手段は限られている。
身体的にも、得物としても差がある相手。
ならばと、エノクは己の本分を発揮することにした。
それは――。
「レイナル!」
『ぐるルルルァァァア!!』
エノクの十八番――他力本願だった。
指示を受けて目覚めた獣性が吼える。
「隠れても無駄です!」
エスメラがローブを引き裂いて現れた。
その手に新たな杭を握りしめ、屈んだ体勢のままでいるエノクめがけて振り下ろさんと構える。
一呼吸の間を置けば、背中にその杭が突き立てられるだろう。
だが、エノクに不安は無い。
エスメラはたしかに強い。
それはこのわずか数撃程度のやり取りで実感した。
だが、それ以上にレイナルが強いという自信があった。
『ガァァアッ!』
振りかざされる杭とエノクの背中。
その間に敢然とレイナルが躍り出た。
小さな体が一瞬微光した後、星空模様を宿す尻尾の毛が急激に膨張し、エノクとエスメラごと包むほどの巨大な毛玉へと変貌する。
その豊かな毛と毛量に、エスメラの凶器を駆る手が絡め取られ、さらに膨らんだ毛玉の発揮する弾力に圧されて後ろに飛ばされた。
エスメラは舌打ちする。
宙で回転して華麗に着地を決めると、改めて眼前の巨大な毛玉を睨む。
「また魔獣の力を…………どこまで罪を重ねれば」
「話をしましょう!?」
「話す余地などありません!」
「ああはい、そうですかそうですか!――じゃあ『手加減して制圧』!!」
エノクの一声に毛玉が萎む。
やがて解けるように縮小した尻尾の影から、大虎ほどの体格のレイナルが姿を見せた。
その口には――既に神々しく光る魔力の輝きが蓄えられている。
ぎょっとしてエスメラは横へと飛び退いた。
その隣の空気を焼いて、七色の熱線が奔る。
遠くの野原まで、地面に焼け焦げた長い直線の後が残った。
人体で受け止められる威力ではない。
「ちょ、レイナル、『手加減』は!?」
『がう?』
「いや、したけど?みたいな反応しないで。もう少し、ね?相手に大きな怪我をさせない程度で」
『くぅぅん』
「いや、頼むから本当に」
背後から主人が調整を指示する。
振り返ったレイナルが不承不承といった様子で喉を鳴らし、再びエスメラへと向き直った。
その二人の遣り取りに余裕を感じて、エスメラは顔を引き攣らせる。
「良いでしょう、その畜生もろとも無惨な死を与えてくれますとも!」
「レイナル!」
『グアッ――――!』
「なっ!?」
エスメラが杭を同時に六本連投する。
その瞬間、レイナルの全身が一瞬だけ光った後に忽然と姿を消す。
――何処へ消えた?
エスメラが気配を探って思考した刹那。
投げられた六本の杭が音を立てて宙で跳ね返され、同時に腹部を強烈な衝撃が襲う。
背骨が突き出たかと錯覚するほどの激痛に意識が白熱した。
痛みに呼吸もできず、体も動かせず後方の宙を舞って地面を跳ね転がる。
どこまでも、どこまでも転がっていく――果てしなく続くとさえ予想される慣性に従って移動するエスメラの体を、上から落ちた巨大な何かが抑えた。
めり、と体がその重量に軋む。
仰向けで腹部に乗る物に、エスメラは辛うじて復帰した意識でその正体を確認した。
『ぐるるるるっ』
「ッ……………!」
目と鼻の先に――魔獣の口がある。
熱い吐息が顔面を余すことなく撫で、その湿気で額に玉の汗が滲む。
上下から伸びた牙が頭頂と顎に触れる寸前で静止していた。
一瞬の出来事だった。
未だ臓器が軋むような鈍い痛みと、顔全体に吐き出される熱い息、微かでも動けば皮膚に突き立つ状態で静止した歯牙。
どれもがエスメラの敗北を痛烈に告げる。
もし、エノクが制圧ではなく殺傷を目的とした指示を出していたのなら、勝敗はすでに決していた。
「…………」
「レイナル、よくやった」
倒れたエスメラの隣にエノクが立つ。
「これで少しは話せますか」
「…………勝負を飼い犬に投げたくせに、中々どうして偉そうですね」
「ご、ご尤も」
頭上で苦笑するエノクの気配に、エスメラは嫌悪感を禁じ得なかった。
この剣呑な事態で、すぐ勝利を悟った今は呑気な態度である。
思わず拳を握ったが、その殺意を感じ取ったのかレイナルの舌が牽制するように顔を舐める。
動けば殺すぞ――と、主人とは対照的にまだ命のやり取りを止めるつもりがない。
「とりあえず、お話しませんか」
「……………」
「俺を拘束するなら改めてその後で。どうして俺が罰せられるのか、あなたは一体どんな立場で俺を責めるのか」
「…………」
「それが分からないと納得いかない」
エノクの主張にエスメラが失笑する。
下らない――そう一蹴するのは容易いが、現状レイナルに命を握られてた敗北者に拒否権は無い。
「承知、しました」
渋々と了承したエスメラに、エノクは胸を撫で下ろした。




