再始動
襲撃から七日が経過した。
常春の気候を謳うように花たちが路肩で戦ぐ。
葉擦れの音を聞きながら、エノクは寮から本棟へと向かって歩いている。
エノクは春が好きだった。
冬が去った後に緑が息づく気配がする。
食べ物が増え、穫れる魚も変わる時期だ。
ただ、大陸北端の漁村の春はレギュームほど温かくは無い。魔法学園のある中心部は、不思議にも春で固定されているので冬が恋しくもなった。
春風が過ぎていく。
いずれ、自分もこれに慣れていくのだろう。
そんな感慨に浸って――。
「エノク君、一時限目は?」
「魔法基礎論学、担任はティアーノ先生」
「急がなくて良いの?」
「ああ、急ぎたいよ。 でも、荷物持ちという任務が終わってからでないと、解放してくれないご主人さまに飼われていてね」
「そう、ご苦労さま」
一歩先を行く少女が興味無さげに答える。
その反応にエノクは歯噛みする。
――くそ、皮肉が通じなかった。
エノクはじとーっと、前で揺れる灰色の髪を靡かせた後ろ姿を睨んだ。
文字通り眼中に無い彼女――もといエノクの主人ホタルは、優雅に道を歩いている。瑠璃色の瞳は余所見などせず、真っ直ぐ進行方向の遠景にある研究棟を見据えている。
それは本来、エノクの目的地ではない。
ただ、既に研究者として活動しているホタルの荷物持ちを任され、やむを得ず同行している。
ホタルは七日前の激闘の傷がまだ癒えていない。
特別な力ゆえに、尋常な魔法の治癒でも回復は遅いという。
結果、責任感も感じて――というより、それを利用したホタルの思惑通り、彼女の朝の荷物持ちを請け負うことになった。
授業開始まで、あと十分。
届けた後に全力で走れば間に合うか。
いっそレイナルの手を借りれば、或いは――。
「エノク君」
「はい」
「反則は駄目、レイナルの散歩なら違う時間になさい」
「…………」
『くぅぅん』
研究棟から講義室までの距離と、狡猾な移動手段から所要時間を算出していたエノクを咎めるようにホタルが告げる。
意中を言い当てられた気分で、エノクは返答できずに固まった。
レイナルは学園で数少ない己の出番かと息巻いていたが、エノクの気持ちを察して悲しげに鼻を鳴らした。
「ひ、人に迷惑はかけないから」
「落第点の言い訳ね」
「周囲に配慮した判断は評価されないのか」
「あなたには出来ない、という前提があるから」
「悲しい前提だな」
「軽挙は謹んで、大人しく徒歩になさい」
エノクはため息を一つして肩を落とす。
抱えていた巨大な革のカバンの中身がごとりと音を鳴らす。
ホタルが振り返りざまに鋭い眼差しを送る。
ぎくり、とエノクの心臓が跳ねた。
「丁重に扱って」
「な、中に何が入ってるんだ」
「少なくとも中身が少しでも破損していたら、血を見ることになるわね」
「か、勘弁してよ」
エノクはよりいっそう手元に注意した。
「研究棟は初めて見るや」
「初日で案内…………そう、その初日にあなたは事件に見舞われたものね」
「いつかは俺もここで自分を研究するのかな」
「数年後に生きていたら」
「意地悪を言わないでくれ、心臓に悪い」
エノクの冗談は面白くない。
ホタルはすべて低評価で一蹴するが、彼女自身が口にした冗談の殆どに、エノクもまた笑えたことはなかった。
どれも一歩踏み外せば実現しそうな暗い未来を示唆する内容なので、エノクとしては悲鳴を上げたい思いを押し殺すので精一杯だった。
「さ、入りましょう」
「うん」
カバンを抱えて研究棟へと入る。
ホタル曰く、屋内は常に騒々しく各々が独自の研究に没頭している。
魔法学園の創始者の一人が造り上げた異空間の魔法によって、本来なら外観の大きさからも有り得ないほどの数の部屋を擁している。
ただその反面で使い方に規則がある。
一度使い方を誤れば二度と帰らない者が出ることもしばしばあるという。
入ってすぐある古びた赤い扉をホタルが叩く。
『名は?』
「五〇四六番研究室担当のホタル」
『利用時間』
「いつも通りよ」
がちゃり、と扉が勝手に開く。
その先には夥しい資料と実験器具らしき物品の数々を容する棚、手術台めいた物々しい空気を醸し出す大きな実験台が一つある。
エノクとしても初めての入室だった。
実験台の上へ静かにカバンを安置する。
ホタルが壁にかけてあった白衣を取り、さっと袖に腕を通す。
平時から凛としたホタルの印象は、白衣を着るとまた別の大人びた空気を見せ、エノクは瞬きを忘れて見入る。
しばらく凝視して。
ホタルの瑠璃色の瞳と視線が合って我に返る。
「なに?」
「あ、いや、別に」
「荷物の運搬、ご苦労さま。 先生にこれを渡しておきなさい」
ホタルが一枚の筒状にされた紙を手渡す。
「何これ」
「遅刻の免罪符」
「ほ、本当!?」
「ティアーノ先生には、先日からエノクを私の研究室に仮配属ということで申請してあるわ」
「仮配属?」
「まだ卒業過程を修了していないあなたは、独自の研究室が持てない。 けれど、そんな悠長なことをしていたら殺されるでしょう?」
エノクはその言葉に顔を苦くする。
能力の正体を解明しても、技術として普及させることが叶ったとして、普及より先にそれを厄介視した勢力に暗殺されるか誘拐か、権力争いの中に巻き込まれて無事では済まない。
特に、卒業してからは厄介となる。
レギュームの後ろ盾も無いのだ。
七日前の襲撃でさえ、クロノスタシアの姓とレギュームの警備があっても襲われた。
今ですら不穏な状況にある。
「だから、早く原因を究明する」
「そっか、だから仮配属」
「放課後、用事が無ければここへ来ること。 あなたが許可するのなら、その能力についても研究するし…………レイナルも協力することを前提にね」
『ぐるるるるっ』
ホタルの言葉にレイナルが喉を鳴らす。
やや目立ちたがりな節があるレイナルは、些細なことであろうと自身に任せられる役目があると躍起になる。
胸を膨らむせて上を向く肩の上の相棒の勇ましい姿にエノクは苦笑した。
「あ、そうだ」
「…………?」
「…………ホタルは何の研究を?」
エノクは一番の疑問を尋ねた。
「魔法生態学、特に魔力と人体の関係についてを研究しているわ」
「あ、もしかして」
「私の力の反動が消えないか、が目的ね」
ホタルが嘆息して自身の手を見る。
目立ちはしないが、指先は微かに震えていた。
先日の力の解放の後遺症である。
あの短時間だけの解放でこの損害、完治はするものの反動が絶大なのは一目瞭然だった。
本来は魔素の流動――魔力は、その人体の生命活動を促進するための範疇でしか強弱を変えない。
強すぎれば体が耐えきれず壊れる。
弱すぎれば生命活動が停止する。
いずれも魔力が人体に大きな影響を及ぼしている証拠だ。
「この力は『肉体の限界を突破する』能力」
「肉体の限界」
「本来なら果実を握りつぶせない私の握力を、この能力は『握り潰せないという限界を突破』させる」
「不可能を可能にする、ってこと?」
「有り体に言えばそう。
他にも本来なら触れられない形而上の物…………霊体だったりも、『触れられない限界』を超えてしまう」
「凄い能力だ。
じゃあ、この前の敵も『殺せない限界』を超えた、とか?」
「エノク君にしては及第点の答えね」
その返答にホタルが首を横に振る。
「家族は皆、この力を制限なく使えたわ」
「そうなのか」
「ただ、それは『血統の肉体』がその魔力に耐性があるほど頑丈なだけ。 私の場合は突然変異で、それを損なった上でさらに『血統以上の魔力』を得てしまったの」
「余計に負荷が辛いね」
「だから研究するの」
ホタルのやや強い声音にエノクは目を見開く。
「君はすごいな」
「…………?」
「自分が得た力はともかく、目を瞑りたくなるような欠点にも真正面から向かっていくなんて」
「そうかしら」
「俺なんて、この力の有効性より悪影響を気にしてしまって日々憂鬱だった」
「…………」
エノクの場合は生死が係わる。
それも、影響は自分だけではない。
だからこそ慎重を期する必要があるし、そのことで悶々とする日々を送る。
気が晴れた例が無い。
今、考えただけでもエノクは言っている内に我知らず顔を俯かせていた。
「エノク君」
「ん?」
ホタルの声に顔を上げる。
「有用性より影響力を気にする方が賢明よ。 あなたは間違ってないし、あなただって正面から向かっていっている」
「そうかな、諦めてるだけだよ」
「諦めて投げ出すより、立派よ」
「……………」
ホタルらしからぬ激励のような言葉に、エノクは一瞬だけ忘我して、すぐに笑う。
「君に言われると心強くなるね」
「そう」
「うん、頑張ろうかな」
「なら、早く行きなさい。 魔法基礎論学は、あなたのような初心者にある程度は寄り添った内容だから、ここで油を売るのは賢明ではないわ」
「あ、本当だ…………随分話してたな」
「ティアーノ先生を心配させないように」
「そうだな、君と話してると時間を忘れてしまうからついね」
「ほら、早く」
ホタルはカバンを展開していく。
その中身を見ることもなく、エノクは扉へと向かった。
出入り口の赤い扉を叩く。
『名は?』
「第五〇四六番研究室仮配属のエノク」
『退出先の希望』
「えーと、研究棟出口」
唱えてから暫くしてエノクは扉を開ける。
すると、外は研究棟前の道だった。
出る前に、一度だけ振り返る。
「じゃあ、いってくるよ」
「そう」
ホタルはこちらを振り向かない。
エノクはそれも彼女らしいと思って笑い、外へと出た。




