メリーの契約
同刻。
レギュームの港湾部はいつもの如く賑わっている。路地はまるで人の頭で埋め尽くされ、上から眺めれば複雑な流れが見えた。
人の活気も相まって、屋外は光り輝いているかのようにすら見えた。
宿の一室から窓の外を覗く小さな顔は、それとは対象的で陰鬱な表情を浮かべる。
窓辺に張り付いて。
少女はただ雑踏を茫洋と見つめていた。
「なに?」
「アルタが殺られた?」
少女と同室の二人組が話している。
内容は、隣室を取ったもう一人が死亡したことを示唆している。
だが、少女は気にも留めなかった。
「消滅時に強い魔力を感じたな」
「エノクか」
ただ一点。
エノクという名に少女は反応する。
振り向けば黒装束たちが床に腰を下ろして話し合っていた。
その声は、やや悦びの色を含んでいる。
「『耳無し』どもを一掃する為に、『声』を使ったらしい。 あの魔力、さすがは『帰還者』というだけはある」
「あの」
「お、やっと喋った」
少女の声に黒装束二人が振り返る。
床を膝で滑るように一瞬で傍へと移動した。
びくりと驚く彼女の心情など露知らず、至近距離まで顔を詰める。
「何?」
「エノクが…………兄さんが、どうしたんですか」
「どうやらお兄さんを気に入らないリューデンベルクの貴族様が、化け物を仕向けたらしくてね」
「ッ…………ぶ、無事なのですか?」
「何とかね。
でも、肝心のベルソートは守らない上に周りも彼を利用することしか頭に無くて命の安全は顧みていない」
「昨日なんて血塗れだったそうだよ」
二人の説明に、少女――メリーが息を呑む。
「守るなんて嘘ウソ」
「結局は面白いから拾っただけ」
「あの爺はいつもそうだ」
「四千年も生きてて人の人生を弄ぶことしか愉しみが無い」
「残念だね、エノクが今回のおもちゃに選ばれてしまった」
メリーは耳を塞ぐ。
あの日、魔法使いの老人は約束した。
村と引き離されるなら、せめて自分が隣にいれないのかと進言した。
だが、却ってエノクの弱点を増やし、邪な魔手の入りやすい隙を生むとにべもなく断られたのである。
その代わり、全力で守る。
それが老人の言だった。
なのに。
肝心の老人はそばにいて守っていない。
ただの口だけの情報と一蹴できるが、村を離れたこの半年間で『彼ら』が嘘をついたことは一度も無かった。
エノクを誘拐すべくレギュームへ来た彼らは、思いの外厳しい警備に一人だけを潜入させて事に当たったのである。
メリーも、別にそれで良かった。
エノクの力は強力で、仮にいつか全世界の技術となるのだとしても、それまでに無事である保証は皆無だ。
だから――奪ってしまえばいい。
人目につかない暗い世界でも、エノクは生きていける。
ただ自分が傍にいれば、彼は家族の温もりに餓えずに済む。
「ベルソートは敵」
「レギュームは穴だらけ」
「エノク君に頼れる味方なんていない」
「君しかいないんだ――メリー」
黒装束たちが囁く。
鬱陶しい――いつもなら振り払いたい声も、今は甘美な響きがある。
今は自分しかいない。
エノクを理解し、その本性を見ても受け止められるのは己以外に無いと自負している。
優しい兄のエノク。
人を殺す獰猛なエノク。
寂しがりのエノク。
メリーにしか、救えない。
「あの」
「うん?」
「以前のお話ですが」
メリーは震えながら、胸の上で拳を握る。
「お引き受けしたいと思います」
悪魔に魂を売るかのように。
眦を決して黒装束たちへメリーは告げた。
「本当にいいの?」
「ええ――兄さんは、私が守りますから」
誰にも譲らない。
誰にも譲れない。
確固たる意思を顕に、メリーは黒装束たちと共にエノクを救う未来を見据えた。
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三章終了。
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