記した跡
学園は混乱の最中にあった。
それと時を同じくして、大陸北端の漁村をベルソートが訪ねていた。
人通りが無いにも等しい奥地に営まれたこの村には、以前も来たことがある。
大魔獣を従えたエノク。
あの少年を見出した運命の場所だった。
穏やかで優しい村人たちが住むここは、来訪者だったベルソートを歓迎してくれた。
それが――今や見る影もない。
「…………いつ見ても酷いわぃ」
ベルソートを迎えたのは廃村。
倒壊した物見櫓が村の入口を塞いでいる。
隙間から入った後も、屋根が焼け落ちた家屋の残骸や、燃えた家畜たちの骨など村の名残が景色の中に散らばっていた。
何もかもが破壊されている。
この村の状態は、およそ三月ほど前からだ。
エノクの裁判から、直ぐだった。
最近連続して起きている近辺の村が壊滅する事件の毒牙が、この村にも伸びていた。
用心して村に施していた魔法の防壁――結界に反応があり、ベルソートはすぐ調べようとした。
結界は、おそらく破壊された。
村は無事ではない。
ベルソートが到着する頃にはすべてが手遅れだろう。
裁判後のエノクを独り屋敷に残すわけにもいかず、漁村への再訪問を後回しにした。
今はエノクの身の回りを固めなくてはならない。
クロノスタシアの姓。
レギュームという安全地帯。
他にも対策を打ち、ようやく入学後に漁村を確認する余裕が生まれた。
今まで後回しにしていた。
そして今日。
ベルソートはその結果を目にしている。
「何ちゅうことじゃ」
村の霊園にそれはあった。
積み重ねられた、人の遺骨。
食い荒らされた肉が腐臭を放って、半ば泥状態で他の物と混ざり合っている。紛れもなく、これら全ては村人だった死体だ。
最初は目を疑った。
だが、変えようのない厳然たる事実として目の前に積み重なっている。
ふと、死体の山の中に見覚えのある顔があった。
幾らか形が崩れているが、間違いない。
「――デルテール」
エノクの父――デルテール。
彼が死体の山の中にいた。
エノクが村を発つ前夜、王都で裁かれることになった息子を心配し、ベルソートへ怒鳴っていた男である。
おそらく、死体の中には彼の隣で泣いていた妻もいる。
きっと、兄の不遇を憐れみ、離れ離れになることを嫌がって泣きじゃくっていた、あのメリーも。
無惨なまま放置されている死体をすべて葬ろうと長杖を掲げて――ふと、ベルソートはその死体の山から少し離れた位置に立つ標識を見た。
粗末な木組みの造り。
打ち付けられた板には文字が刻まれていた。
『エノクは手に入れる』
「…………やはりか」
ベルソートは眉を顰める。
これまで被害に遭った村はいずれも村人が全滅していた。
ベルソートの後に現れた討伐隊が村を訪ねる前に立ち寄った街で、一人だけで必死に逃げて街へと移動し、どうにか難を逃れた子供から偶然にも事情を聞いていた。
街は複数名の黒装束に襲撃された。
魔獣被害ではない。
何より、彼らの目的は漂流した子供を狙って動いている。
漂流した子供――がそもそも想像がつかない。
北海とは最も危険な海である。
陸に着くまでに魔獣たちが嗅ぎ付けないはずもない。あの海域は漁村周辺に限り、『守護神』なる物の加護があるらしく、被害に遭ってはいないが、海は川とは異なってあっという間に沖に投げ出されたきり戻らないこともある。
だが、その条件に該当する人物はいた。
「エノク、じゃな」
村長の話によれば、エノクは数年前に北の波に乗って流れ着いた孤児だった。
数百年前に村の活気を嗅ぎ付けた魔獣が襲いかかるとき、すべて撃退した子供がおり、それ以降も海に面した地域、それも村の周りで魔獣被害が途絶えたことで『守護神』と崇められるようになった伝説がある。
当時のエノクは、その子供と同一視されていたことがあった。
だが、漂流前の記憶が無く、特別な力が無い。
強いて挙げるなら、常人離れした筋力のみ。
気味悪がった者たちの押し付け合いとなり、最終的に村長が引き取って醜い争いに終止符を打った。
「エノクの周囲をもっと固めんとのぅ」
標識まで歩み寄ると、下に箱が置かれていた。
蓋を開ければ、中には綴り合せて作られた紙束――日記らしき物があった。
その上には、切られた水色の髪が乗っている。
髪を退けて日記を手に取った。
ベルソートは一枚ずつ捲る。
『うみにひとがながれついた。
なまえはわからないから、えがおっていみでえのくというなまえになった。
あのひとはいろんないえにあずけられたけど、ぶきみがってみんながおしつけあっている。
だから、わたしのおにいちゃんにした』
それから拙い字で描かれた日々の記録が続く。
しばらくすると、読み書きが上達しており文字の形が綺麗に整っていた。
『字を秘密で勉強した。
お兄ちゃんは忙しくて勉強する暇が無いので、今度わたしが教えてあげよう。
今日はお兄ちゃんの狩りについていった。
その日、わたしは獣ではなく旅人さんに出会った。でも、どうやら悪い人だったみたいで連れて行かれそうになった。
そのとき、お兄ちゃんが助けてくれた。
最初は殴られたり、崖から突き落とされていたけれど、血がいっぱい出ているのに悪い人たちを動かなくなるまで叩いたり蹴ったりした』
『わたしはお兄ちゃんが怖くなった。
お兄ちゃんは、憶えていないようだった。尋ねると分からないというのに、状況を説明するように言うと思い出したのか胃の中をぜんぶ吐き出す。
でも、吐いたり叫んだりした後は何も憶えていないという。
多分、きっと海から流れ着くまでに何かがあったのだろう。そのせいでお兄ちゃんはあんな風になってしまったんだ。
わたしがしっかりしないと。
お兄ちゃんがちゃんとした人間に戻るまで』
『兄さんが漁の稼ぎで首飾りを買ってくれた。
贈り物は初めてらしいので、とても嬉しい』
『兄さんは頑張って村の子どもの憧れになった。三つ子のファルネと最近仲が良い、兄さんはわたし以外の女の子にちょっとデレデレしている。
許すまじ』
『兄さんがよく分からない生き物を拾ってきた。
あれは本当に何なのだろう。
ただ一つ、兄さんにしか心底から懐いていないのは分かる。いずれは兄さんを争う強敵になるかもしれない。
何だか、だんだん兄さんには見せられない内容になってきた』
それからも日記は続いていく。
そして。
最後のページには。
『ごめわなさい。
兄さん、ごめんなさい。
どうせ最後に死ぬなら、兄さんの顔を見たかった。これから襲撃者に誘拐される、村の皆を殺した人たちに連れて行かれる。
兄さんを誘き出すために日記を置いていくらしく、そのためにこのページに文字を記している。
どうか兄さん、私には構わないで。
お願い。
わたしは駄目だけれど、どうかわたしを忘れて幸せになって。
大好き。』
ベルソートはそっと日記を閉じる。
そっと箱にしまって、両手に持って死体の山を見る。
「…………これは、油断ならんのぅ」
この後、弟子が早速襲撃を受けていると知ってしばらくエノクに邪険にされるということを、ベルソートはまだ知らない。




