救う者
身体を縛る蔦もどきの縄。
強い魔力で編まれており、解除に時間を要する。強引に振り払うならば、それ以上の魔力が必要だった。
身体が締まる感覚にホタルは顔を歪める。
練り込まれた魔力は尋常ではない。
今それを肌身で感じており、尚更に解除は困難を極めていた。
いや、時間をかければ解除はできる。
ただ、今はその『時間』が無いのだ。
何故なら。
「さ、まずはお眠り」
襲撃者がエノクを絞め上げる。
どれだけ体を損傷しても止まらない、人の形をした怪物が勝利しようとしていた。
ホタルは、間に合わない。
ただ、それを目にしたとき不意に思った。
別に救ける必要は無い。
魔獣は退治したし、こちらが被る損害はエノク一人となる。
エノクを使って皆を救ったという事実だけでも、後に発足するホタル派の支持には特に障り無い。
けれど――それを看過できない己もまた心の中のどこかにいた。
「…………」
どうしてか。
その理由を、呑気に頭の中で探す。
一目見たときから感じていた。
エノクという少年は、誰かに囲まれていることが多い。
たった一日ながら、ティアーノに目を掛けられ、治療棟まで運び込まれている。平時の彼女は平等を謳うからこそ、身分など問わず誰かを贔屓したり、阿るようなことは一切しない。
そんな彼女が、如何に昼に襲撃に遭ったばかりといえど連続する意識不明者と同様の症状を見せる彼を急いで送る判断には至らないはずなのだ。
まだ犠牲者がいるかもしれない。
その可能性を考えて、他の者を呼びつけて移送を任せて巡回を優先する。
たとえ、担当教室の子であろうと。
以前からティアーノを知るホタルには細やかな驚きだった。
他にも、まだ会って日が浅いにも関わらずアレイトやアナ、何よりカスミに少なからず信頼され、また彼らが病室へと駆け込むほどに案じていた。
どうしてか、人に慕われる。
なのに、エノクのまとう空気はどこか危うく、そして常に孤独感を見る者に感じさせた。
孤高と称するほどに傲然としていない。
哀愁とも程遠い。
ただ、エノクを見たとき、エノクを思い浮かべたとき、その背景に人の姿が無かった。
あれだけ慕われているのに、彼は独りだった。
ホタルには理解不能である。
味方はいるのに、常に独りで戦っているような姿が痛々しい。
学園に入学するまでの経緯ゆえなのか、他人に迷惑をかけず、常に生きる為に切迫しているから周囲とは異色の空気を宿す。
なぜ、彼は独りなのか。
何気ないその疑問を、決戦前の昼時にホタルは訊ねていた。
「ねえ」
「な、なに?」
ホタルがちらと視線を投げる。
だが、当の本人は気づいていない。
初めて挑戦する紅茶の淹れ方に苦心し、過剰に慎重な手元は震えてかたかたと茶器を鳴らす。
教えたばかりなので、ホタルも寛容に受け止めて急かすことはしない。
「少し良いかしら」
「ちょっと後にしてくれないか? 中々に難しい」
「紅茶を淹れる経験が無いのは珍しいわ」
「俺の漁村は人が滅多に来ないから客を歓迎する心得も無いし、ベル爺の屋敷にいたときは専ら裏の井戸の水だったし」
「そう」
「作業中に聞いといて、その興味薄いのはどうかと、思う…………よし!」
エノクは紅茶を淹れ終えて安堵に微笑む。
それほどの重労働ではない。
ホタルは何をそこまで気疲れすることがあったのか不思議に思いつつ、コップを受け取って紅茶を啜った。
「――まずいわね」
「そんな…………」
「初回ということで許してあげる。 次までの課題としておくかしら」
「厳しすぎる」
ホタルは不味い紅茶の香りを嗅ぐ。
「エノク君は、どうして」
「ん?」
「何故いつも寂しそうなのかしら」
「…………」
その問にエノクの表情が凍りつく。
異変を感じたのか、肩の上の毛玉もぴくりと反応した。
しばらく、動揺を誤魔化しきれないほど長い沈黙が続いた。
エノクは全く動かない。
「エノク君?」
「え、あ、ああ…………俺が、寂しい、か」
「図星だった?」
「あ、はは…………やっぱ君は厳しいというか、鋭いというか」
エノクは苦笑する。
貼り付けた笑顔が中途半端に中身を隠すように装えていない。
「うん、寂しいかも」
「どうして」
「俺ってさ、捨て子らしいんだ」
「…………」
「村以前の記憶は無いんだけど、父さん…………俺を引き取ってくれた村長が言うには、北の海から流れ着いたんだって」
「北から?」
「うん。 本来は魔獣しかいない領域から」
エノクの述懐にホタルは耳を傾ける。
「だからなのかな」
「…………」
「最初は誰が預かるかって話で盥回しだったんだけど、あるときメリー…………村長の娘さんが言ってくれたんだ」
「何て?」
「ようこそ、お兄ちゃんって」
そのときエノクが相好を崩す。
先刻までの見苦しいだけの笑顔ではない。
その温かみのある表情に、ホタルもやや目を見開いて見入る。
「だから頑張った」
「…………」
「拾ってくれた村長の為に、家族でもない俺を家族として認めてくれたメリーの為に、村に早く馴染みたくて、頑張って、とにかく俺を受け止めてくれた皆に恩返しがしたかった」
「…………」
「でもさ、常に思うんだ。
無いんだよ、幾ら村の皆と一緒にいても、俺がこの人たちと一緒にいていいんだって思える自信が」
このとき、ホタルは理解した。
エノクの優しい人柄は誰かに受け容れられる。
この毒のない少年の人柄を知ったとき、苛立つことや呆れることはあっても、本気で殺意を覚えたり、排除しようと思うことは無い。
人の心に波風を立てまいとする少年だった。
だから人に慕われる。
だが、その反面でエノクは違った。
その心には誰かを受け容れる余裕が無い。
誰かに受け入れられたいと切に願う、切迫した感情で占められている。
そして、目的が達成されたようで村にとっての異物に等しいと自己を認識するエノクは、親しくなった誰に対しても本当に縁が結ばれたか懐疑的になってしまう。
その人の性根を疑うのではない。
己自身が彼らに相応しいかを審査している。
だから、彼一人を見たときにその背景に人の顔が浮かばない。
だから、孤独なのだ。
「辛くは無いの?」
「…………辛いさ」
「…………」
「でも、俺を初めて受け入れてくれたメリーに恩返しするためにも生きたいし…………それに、俺みたいに海から流れ着いた異物を、みすみす見殺しになんてしたくない」
「…………そう」
「うん。――って、あ!?」
自らで垂れ流した神妙な空気を、エノクが払拭するように素っ頓狂な声を上げる。
「何?」
「昼食の時間、もう終わってしまう。 君の紅茶と格闘しすぎた、早く食べよう!」
エノクが慌てて自らの料理に匙を伸ばす。
急いで掻き込む姿は品がなく、ホタルは周囲の目から見て傍にいる自分の心象も悪くなると思って睨んだ。
それでも彼は気づかない。
その慌てる様子が、どこか人間味があって、辛い立場であることをつい忘れさせる。
そう、まだ彼もただの子供なのだ。
ホタルは改めて、目の前の光景を見つめる。
絶体絶命のエノク。
見捨てるか否かの瀬戸際、もう判断の猶予は残っていない。
「エノク君」
「たす、け」
エノクが苦しそうに、手を伸ばした。
それを見てホタルの心臓が凍りつく。
傍にレイナルもいるのに。
どうして、誰もいないそこへ手を伸ばしているのか。
彼の瞳は、誰も映していないように見える。
きっと、その虚空にも誰の面影も浮かんでいないのだろう。
だって――彼は、独りだから。
「大丈夫」
ホタルは拳を握った。
目を閉じて、己の体内へと意識を注ぐ。
体の奥でどくどくと脈が昂っている。
その全身を奔る魔力を強く練り上げて放出し、指先に至るまで体全体に羽織るように伝達させる。
体が燃えるように熱い。
血が沸騰する感覚とともに、体を縛る力の存在感が薄れていく。
さらに体内から膨れ上がって溢れた銀色の魔力が、己を満たしていく。
自由になった――なら、どうする?
自身に問うて、ホタルはしかし答えも聞かず一歩前へと踏み出していた。
「君は独りじゃない――私が助けるから」
ホタルは、開いた銀の瞳でエノクを見据えた。




