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悪魔の勧誘



 濃密だった一日を終えた。

 生きた心地はしないが、生きていることを確かめられたおかげかエノクは熟睡する。

 故郷の夢を見て、メリーの笑顔を見て夜をそれこそ『鼻』には作り出せない幸福な夢に浸って過ごした。


 そして夜が明ける。

 朝になるとエノクの病室を一人が訪ねた。

 面会時間の開始時刻とともに現れたのは、脇に教科書を挟んだホタルである。

 重厚なそれを机にそっと置いて、寝台のそばにある椅子へ優雅に腰掛けた。

 どんな所作も息を忘れるほど美しく、エノクは挨拶も忘れて始終その姿を見つめていた。


「…………?」

「いや、別に」

「あまり人のことを不躾に眺め回すのは良くないわ」

「ご、ごもっとも」


 つくづく諭され、指摘され、注意される。

 少女との会話は緊張感が無くても落ち込まされること頻りである。

 ただ余計な重圧は感じない。

 独特な雰囲気に中てられたせいもあって、エノクはこの時間が不快ではなかった。


「現実での体の具合は?」

「膝が少し痛むくらいかな」

「……………医師は何をしていたの」

「一夜越せば自力で回復できるって。 他にもやることがあって魔力?の無駄遣いができないとか」

「診せて」


 エノクは躊躇いがちに膝を見せた。

 患部へと手を伸ばし、ホタルが眉根を寄せた。


「治癒の魔法では駄目」

「え、そうなの?」

「それは夢の名残よ。 夢の中でのあなたの体は、魔力そのもので形成された物…………といった感じかしら。 直に治るから安心して」

「…………」

「そうね。 魔法に無知なら、そも魔力について も」


 ホタルが呆れて一瞬だけ沈黙する。

 膝から手を離すと背筋を正してエノクを見た。


「なら、今後にも関わってくるから魔力についても説明しましょう」

「ど、どうせ習うさ」

「残念だけれど、進魔法学科の講習は、魔素や魔力といった魔法学の前提についてはあまり深く触れないから」

「げっ!?」

「一応、予習はしている?」

「き、教科書を読んで準備したけれど…………うん、よく考えてみたらマソや魔力については説明無かったかな」

「変な意地を張らないで聞きなさい」

「う、はい…………」


 エノクはがっくりと肩を落とす。

 不幸中の幸いは九日間の休校であり、その間に知識を詰めようと怠惰に考えていたので、よもや病室で授業を受けるとは思いもよらなかった。

 避けようとしたが、自分が考えるよりも深刻らしく諦める他なかった。


「魔素とは万物に宿る、物質のような物」

「物質?」

「そう。 如何に物が違っても、それらの組成や動作にも魔素が関わる」

「人の体もそうなの」


 すべからく万物には魔素がある。

 魔素が無い物は、そもこの世に存在しない。

 魔素とは、この世の存在定義なのだ。そこに物質があれば魔素は有る。

 魔素は物の運動にも重要な役割を担う。

 前進、後退、崩壊、回転など。

 自然現象でいえば雷や竜巻の発生もまた、魔素の運動や変化が繋がっていることが研究で判明した。

 なお、物体一つには必要魔素量があり、この下限を損なうと『停止』、すなわち死という状態に陥る。


「魔素が無いと死ぬ、か」

「魔素は血とともに体を巡ってもいるわ。 それと水や空気にすら含有されるの」

「へえ」

「さて、ここで魔力だけれど」

「魔素の力」

「浅い」

「うっ」

「魔素は常に動いているの。 その魔素の動きで発生する力のことを『魔力』というわ」


 エノクは小首を傾げた。


「じゃあ、魔法って?」

「魔法は体外に魔素を放出して現象を発生させるの。 放出時に魔素の流れ――魔力の形を操作することで、効果もまた多様に変化させる」

「じゃあ、昨日の治癒は?」

「私の魔素とあなたの魔素を同調させ、循環させることで体の自然治癒の機能の力を高めた」

「す、凄すぎて理解が」

「さらに魔法に長けた者なら、魔素そのもので失われた肉体や器官を創造し、修復するわ」

「本当に凄いな」

「それも、魔力の強さゆえよ」


 魔法の効果は魔力の強さに直結する。

 ベルソートが用いた『レイナルの時間を停止させる』という異次元の力も、大魔法使いが用いる規格外の魔力が起こした産物であり奇跡なのだ。


 魔法使いの技術はエノクにとっても、天上の神の御業にすら思える。


「ベル爺って凄い人だったのか」

「彼は名実共に世界最高の魔法使い」

「そうなの?」

「『時の翁』、『魔法王』、『魔法文明の貴族』と呼ばれているけど、聞き馴染みあるのは『大魔法使い』ね」

「へえ」

「あなたは、そんなクロノスタシア公と名が一緒だけれど」

「あー、うん」


 エノクが苦笑する。

 自己紹介時にアレイトとの遣り取りを思い出して話すか躊躇した。

 世間からは荒唐無稽だと思われる。

 この名を背負った時点で今さらではあるが、ホタルに自ら呆れられることも予想がついていた。


「話しづらいなら良いわ」

「いや、そんなことはない。 ただ、聞いても信じてくれるかなって」

「冗談のつもりなら、採点は昨日より厳しくするわ」

「それ、微かでも俺の勝率ってあるの?」

「ええ、きっと」


 すでに勝ち目がない。

 エノクは絶望しながらも伝え方を考える。


「俺の魔獣を操れる力があるだろう?」

「ええ」

「それが近くの村の怪事件と結び付けられて国に捕縛されてさ、処刑されそうになったのをベル爺に救けてもらったんだ」

「…………」

「執行猶予五年、学園に通う間にこの力を解明しないと死刑なんだ」

「ふむ」


 ホタルが書の上に手を置いて目を閉じる。

 夢の中で理解したが、彼女が思考する際には己の内面の情報へと直向きになるためか目を瞑る癖がある。


「学園在籍中に力の究明」

「うん」

「それ、あまり意味が無いわ」

「ど、どうして」


 思わぬ一言にエノクが驚いて声が上擦る。


「仮に固有能力だとしたら、あなたはどのみち危険分子として処される。 究明の結果、他人でも再現可能な技術だったとして、普及そのものができるまで最低で何年もかかるわ。 その間にあなたを巡って争いが起きるか、それを厄介視した何者かに暗殺される」

「……………!」

「そんなところね」

「君は、最初にそんな仄暗い未来が想像できたのか」

「何事においても、まず危険度から着眼すべき」

「お、お手上げです」


 ホタルが人差し指を立てた。

 す、と自然とエノクの意識が吸い寄せられる。


「あなたがすべきことは一つ」

「うん」

「あなたは、長い物に巻かれることだわ」

「…………ええと、何かの派閥に入れってこと?」

「そう。 組織に属し、自分の身代わりになる物を最低でも拵えておくの」

「可能なのかな?」

「相手が絶対的強者でも逃げる時間稼ぎになる」

「なるほど」


 長い物に巻かれる。

 もしそうなら、三大公爵家とされるアレイトの子分に早々から転身しておくのは愚策ではないのかもしれない。

 そんなことを考えていると、ホタルが嘆息する。


「その問題なら既に解決しているわ」

「ええ!?」

「クロノスタシアという名がある以上、あなたはベル翁の庇護下にある。 彼が国と交渉した上で死刑が確定された以上、それは契約でもあるから刑罰の執行は免れないけれど、逆に執行猶予間は安全だわ」

「お、おお」

「ただし、雇い主を吐かない優秀な殺し屋が遣わされてしまえば、それも鍍金同然だけれど」

「くふっ」

「ただ、あなたの敵は世界よりも身近にあるわ」

「身近?」


 す、とホタルが瞼を開ける。


「ここにも敵はいるわ」

「な、に」

「校風は平等を謳うけれど、世界有数の貴族や権威者の親縁がここに集結しているわ。

 各々が互いを牽制するための派閥を組織して、常に水面下で覇権争いが起きているわ。 このレギュームは世界情勢の縮図よ」

「こ、殺される」

「あなたの能力は人目を惹くし、いずれは来るでしょう」


 エノクは頭を抱えて天を仰ぐ。

 たしかに、考えれば思い至るはずだった。

 三大公爵家を始めとして貴族、エルフと世界から集められている以上、学園内にも多くの顔触れがいる。

 アレイトのように自尊心が高く、貴族としての誇りがある者が独自の勢力を布いているのもまた自明の理だ。


 もしかしたら――法定にいた『怖い裁判官』の親戚がいるかもしれない。

 エノクのことを聞き及んで、不穏な講堂に出ないと断言できるほど現実が甘くはないと、昨日の出来事で痛感している。


「敵は世界ですか…………はは」

「そう悲観するものでもないわ」

「えっ」

「言ったでしょう、長い物には巻かれろ、と」

「…………どこかに所属しろ、と」


 エノクは改めて考える。

 はっきり言えば、何処かの派閥に与すること自体に躊躇いは無い。保身と命の安全を兼ねる行動としては妥当だった。

 だが、現状では到底不可能だ。

 常に狙われる厄介の種、そのうえ魔獣を操るという理解に苦しい人間に信頼は置かれない。

 残酷なことに、エノクを受け容れる懐の深さがある者が何処にいるだろうか。


「終わった」

「……………」


 悄然とするエノクの横で、ホタルは微かに目を細める。


「そこで提案があるのだけれど」

「提案」

「そう、これが本題よ」


 エノクはあっ、とする。

 夢の中でも話すべきことがあると告げていた。

 他人に聞かせるには憚ると、夢から醒めた後で日を改めたほどの内容だ。


「ど、どんな内容?」


 不穏な予感がしつつ、耳を傾ける。

 その問に、ホタルは一呼吸置いて口を開いた。


「あなた、私の犬になりなさい」


 平然とした、精緻な人形のような美貌でエノクにとんでもないことを言い放った。






次。

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