辿る夢路
寝静まった寮内を二人の教員が巡回する。
手元のランプで見落としがないように辺りを照らしながら、ティアーノは同時に朝の事件について思索していた。
エノクを狙う襲撃者と、同時に起きた意識喪失者の続出に関連性があるか否か。
当事者としてのエノクの意見が重要になる。
幾つか簡単な質問をした際に、どこか含みのある表情を見取れた。
何かを隠す風がある。
おそらく主犯ではない。
彼もまた狙われた身であり、ベルソートの半年に及ぶ監視期間も外界と通じる機会は無く、また襲撃者の撃退時に庭園を破壊して真っ青になる状態がすべて演技だとすれば相当の曲者である。
ただ、情報はある。
「ベルソートの弟子、ですか」
大魔法使いの弟子。
新入生エノクについた不名誉な箔である。
ただでさえ困難な身空に、さらなる試練を課すように世界でも知らない者がいないほどの『クロノスタシア』まで名告らせる。
つくづく、あの老人は考えが足らない。
「む…………あれは」
ティアーノは闇に目を凝らす。
通路の先で、七色に明滅する光の粉が舞っている。
断続的に通路を照明するそれのそばに、ケティルノースの幼体が立っていた。そして、その傍に誰かが倒れている。
ケティルノースとともにいるとなれば、この場合は一人しかいない。
「ッ、エノク!」
通路に突っ伏したエノクを発見して、ティアーノは駆け寄る。
すると、ケティルノースが歯茎を剥き出しに唸った。
ティアーノは数歩の距離感を空けて足を止め、エノクの状態を観察する。
静かな寝息を立てる彼は、ただ通路で眠ってしまっただけにも思える。
しかし、今日は状況が状況だった。
ティアーノには嫌な予感しかしない。
「エノク、起きなさい。――――エノク!」
ティアーノの声に、しかしエノクは目を覚まさない。
体を包む疲労感で、どこまでも沈んでいく感覚がした。
天地すら曖昧になって、前後不覚に陥る。
抵抗する術も気力も無く、身を委ねて無限に落ちる夢にすら感じた。
だが、やがて乱れていたエノクの体感は床に伏せている感触に落ち着いた。
「えっ、ここ、は…………?」
そこは暗い通路だった。
本来は直線の普請だったかもしれないが、空間じたいが歪んでいるように道も右へ左へと揺れている。
壁は肖像画や装飾などに彩られていた。
エノクは頭痛がしてその場にうずくまる。
「たしか、寮部屋を出て…………レイナル?」
ふとエノクは肩が軽いことに気づいた。
周囲を見ても、相棒レイナルはいない。
部屋を出た後も共に行動していたのに、どこに行ってしまったのか。――否、この場合は自分こそ何処に来てしまったのか、か。
赤い絨毯の床を見下ろす。
踏みしめると足の裏の感覚がある。
まるで現実のようだ。
だが、決定的に異なるのは歩いても足音がしないことだった。自身の声は聞こえても、他の物音がまったくしない。
壁を叩いても、蹴っても。
跳ね返る音は何一つとして無かった。
あれだけ体を苛んでいた疲労感も消えている。
「マジかよ、こんなところに独り?」
エノクはゆっくりと歩き出す。
薄明かりも無いのに、一歩先は照らされたように見える異質な空間だった。
人の気配はせず、音のない世界は進んでいるかどうかも前に踏み出した足の裏の手応えでしか感じ取れない。
まるで、入学初日に体験したあの感覚を狂わせる隧道のようだった。
「俺がこの状態なら、人がいたとしても声は届かないだろうな」
歩いていく内に、四差路にたどり着いた。
いずれも、同じような通路でそれぞれに特徴性は無い。
選ぶとしても、進行方向を決めるには判断材料が乏しいにもほどがある。レイナルがいれば鼻が利くのだろうが――と考えて、今は足の裏以外の五感がほとんど無いことに気づく。
「勘弁してよ、次から次……………に?」
ぺちゃり、ぺちゃり。
闇の中を水に浸した布を叩くような音がした。
反響してはいるが、音源の方向は判然とする。エノクから見て背後、自身が歩いてきた方向から近づくように水音は鳴っていた。
恐るおそる、後ろを振り返る。
薄闇で何かは見えない、だが何かはいる!
エノクはぐっ、と踏ん張って身構える。
闇の先を睨んで――。
「こういうの、まだ全ッ然慣れてないんだけどーーー!?」
その場から、力の限りを尽くして走り出した。




