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近づく波



 白いシーツの寝台でアナとアレイトは眠る。

 その隣の椅子でエノクは微睡んでいた。

 横では同じように椅子を持ち込んだカスミが、エノクの肩へと寄りかかって心地よい午睡に浸るのをレイナルが睨んだ。


『がうっ』

「あ、ごめん寝てた」


 エノクは鼻の頭を揉んで姿勢を正す。

 改めて二人の寝顔を見て安堵の息を吐いた。


 校舎たる五芒星形の本棟。

 そこから西側に医療棟と呼ばれる施設がある。

 庭園から一直線に四人はそこへと駆け込んだ。

 仕方無しといえど魔素を吸収されたアナとアレイトにとっても有害である。咄嗟のレイナルへの指示をさらひ明確にしなかったことが祟った。

 被害は二人にも及んでいる。


 棟内に慌てて入った四人を白衣姿の職員が迎える。

 事情を説明しようとしたが、その場で担がれた二人の様子を見た職員が即座に対応したおかげで適切な処置が施された――らしいが、エノクは無知ゆえに何をしていたかはわからない。

 ただ、二人の顔色はすっかり良くなっていた。

 あとは目覚めるのを待つばかり。


「こんなことになるなんて」


 今日の事態は心身に堪えた。

 極刑を控えた状態で入学し、校則違反すらも死刑同然となった身の上で、さらに初回の講習を受講する道すがらで命の危険にすら見舞われた。

 それだけでも卒倒ものである。

 だが、その被害は自分だけに留まらなかった。

 アナとアレイト。

 学友すら、今は床に臥す惨状に陥っている。

 本来なら自分一人を気遣い、労るのが当たり前なのだが、穏やかで幸せな家庭で育まれた倫理観と感性が良心の呵責を生む。

 見過ごすことはできなかった。


 ふと、メリーの顔が思い浮かぶ。

 そんな自分にエノクは思わず噴き出した。


 つくづく、辛いことがあると妹を想起する。

 それは、彼女の優しさの影響があった。

 まだ漁の仕事に参加して間もない頃、あのときは慣れない上に普段より過酷な仕事内容に心が折れかけた。

 それを見てメリーが動く。

 拙いながら安全祈願のお守りを作り、漁に出る日のための弁当を作ってくれた。その優しさに、当時のエノクは涙を流しそうなほどに救われたのである。

 …………もっともお守りは波に揉まれて紛失し、弁当は大人たちに貪り食われたことでメリーの機嫌を盛大に損なったが。


 意地悪で、けれど可憐な少女。

 人の窮地を見逃せない心根の優しさがある。

 何よりも、エノクが裁判にかけられるに当たってベルソートへと彼女が残した伝言は、その象徴ですらあった。


『愚兄を、大好きな兄を頼む』


 メリーがいるから頑張れる。

 いつかあの子の下へ、胸を張って帰るために生き延びなければならない。

 だからこそ抗うし、その上で学友が巻き込まれるならばこれも守り通す。

 今回より苦しいことがあれば泣くかもしれない。

 弱音は吐こう。

 恨み言も吐こう。

 涙を流すことだって惜しまない。

 情けなかろうが、無様と罵られようが、後世に人でなしと蔑まれようと、必ず生き延びる。…………メリーや家族に迷惑をかけない範囲で。


「そうだ、手紙を書こう!」


 エノクははっとした。

 罪人ではあるものの、家族との連絡ぐらいは許される。それが後ろ暗い底意のあるものでなければ、いかに極刑を宣告された人間といえど身内との文通に許可は不要だ。

 そこまで思い至って、心が震えた。


「メリーに手紙書こう!」

「メリーさんって?」

「ひぃっ!?」


 とつぜん背後からの声に悲鳴する。

 エノクはちら、と隣を見てカスミが起きていないことを確認して胸をなで下ろした。

 それから後ろへと振り返る。

 すると、病衣に身を包んだ赤毛の少女が立っていた。

 直近の紫紺の瞳と視線が合う。


「君はたしか」

「フレイシア。 また会ったね、エノク」


 少女フレイシアが嬉しそうに微笑む。

 入学初日に出会った不思議な少女だった。


「驚いた、君もここにいたんだね」

「うん。私の病気は少し変わってるから、調べるのも兼ねてここに入院しているの」

「入院…………あっ」


 入院という言葉にエノクは納得する。

 フレイシアが去り際に『お見舞いに来てね』と言っていた意味がようやく理解できた。


「病気って、動いて大丈夫なの?」

「発作的だから今は大丈夫」

「いや、なおさら大人しくしてようよ」


 呆れてみるが、フレイシアの動きは忙しない。


「でも、今日は異様に運ばれてくる人が多いね」

「そうなの?」

「うん、何だかみんな同じ症状でさ…………あ、たしかエノクと同じ教室の男の子二人が来てるよ」

「え、誰さ」

「キュゼと、リード…………って人? 朝に寮部屋の中で気絶していたらしくて、それから起きていないらしいの」

「えっ――――」


 エノクはその言葉に愕然とした。

 キュゼとリードが、朝から意識不明の重体。

 その凶報に、しかしエノクは心配より違和感が先立つ。

 寮部屋の中で倒れていたのなら、朝に食堂で見かけた二人は一体――…………。


「あ、フレイシア」

「ん?」

「その二人は、朝から運ばれてくる人たちとも同じ症状なの?」

「違うよ。 みんなは何でも、耳が聴こえなくなって、その内に意識を失うみたいで」

「耳が聴こえなくなる?」

「うん」


 エノクはうん、と唸る。

 二人との関連性はわからない。

 いや、女性の襲撃といい立て続けに起きている不穏なことに関連性が無いことなどあり得ない。偶然にしてはあまりにも不自然だった。

 耳が、聴こえない。

 その点にも引っかかりを覚える。


「…………『耳なし』?」

「えっ?」

「ああ、いや別に」


 エノクは笑って誤魔化した。

 それからフレイシアが陰鬱とした空気を払うかのように快活な笑顔で語るが、内容はまったく頭に入ってこなかった。

 近づくような潮騒が聞こえていた。





次。

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