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次の機会



 去っていくエノクたちを、黒衣の女性は遠くから見守っていた。全身の傷から発せられる痛みがまるで快楽であるかのように恍惚と微笑んでいる。

 ときおり流血を拭い取った指を舐る。

 ただ、どんなことをしても、その視線はただ一点――エノクに注がれていた。


「今回は失敗しちゃったわね…………一応、伝言は残したけれど」


 女性も彼らに背を向けて歩き出す。

 早々にエノクを連れ去る予定だったが、失敗に終えた。

 原因は多くある。

 エノクとケティルノースの連携力。

 ベルソートを退治したほどの力を有するケティルノースだが、あのときは未だにエノク自身に完全制御できるほどの『魔力』が無かった。

 だが、今回は明らかに違う。

 ケティルノースは十全に命令を遂行した。

 未だ完全制御には程遠く、主人の意図を把握して威力まで加減できるほどではない。

 だが、空白の月日に反して異常な成長だった。


「まあ、順調ってことよね」


 ただ、それだけなら勝てた。

 ケティルノースの反応速度は女性を遥かに凌ぐが、エノクを守る姿勢はあまりに隙が多い。

 それを助太刀に現れた少女然り、二人の生徒の阻害が偶然にも補助していた。

 女性にとっての予想外な要因が多すぎたのである。

 いや、慢心していたことも否めず、子供の抵抗に目的を果たせなかった自身にも落ち度があった。

 女性は自嘲的に笑って肩を落とす。

 思考を巡らせる最中、蒸気を立てて女性の傷が治癒していった。

 骨まで露出していた凄惨な傷も、一切の名残なく白い肌へと戻る。


 作戦は失敗だった。

 それでも、女性は不思議と高揚していた。

 内側では高鳴る心臓の音が響いている。まるで初恋を見つけたかのような多幸感と切なさに、口元が歪んだ笑みを浮かべた。


「やっぱり、次に殺るときは一瞬ね。でないと、またエノク君を逃しちゃ――――あら?」


 とん。

 女性の体を小さな衝撃が押す。

 あれだけうるさかった心臓の音が急に途絶えた。

 女性は自身の胸を見下ろして手を当てる。

 鼓動が――無い。


「次、というのなら…………これは預かっていてもよろしいですね?」

「…………あらあら」


 女性は振り返って目を見開く。

 魔法使いの老婆が、その長身の背筋をすっと伸ばしたまま片手に赤い肉の塊を握っていた。掌の上で、それはどくん、どくんと膨張と収縮を繰り返す。

 生の名残り惜しむように脈打っていた。

 気配もなく接近されていた事実に驚愕するより、手元の赤い血肉に視線が留まる。

 接近のみならず、まさか――心臓を抜かれるなんて。


「あなたが、ティアーノさんね」

「おや、ご存知でしたか」

「ええ。何せ我々はベル翁とあなたを警戒しなさいと注意喚起されていたから」

「光栄ですね。 ですが、心臓を摘出してなお会話を続行できるとなると…………やはり脳髄を潰す以外ありませんか」

「ふふ、それは次――でしょ?」

「できれば、私もこんな物は預かりたくないので次回などという機会は遠慮したいのです」


 それでも。

 自身の心臓を握られても、女性は穏やかに笑う。

 老婆――ティアーノは掌上のそれを確認する。

 まだ温かく、肉体を抜け出してなおも動いていた。ただ不吉なのは、血を噴かずに運動を続けていること。

 たしかに心臓として機能している。

 だが、握った感触でティアーノは理解した。


「なるほど、偽物でしたか」

「いいえ。実は元から胸に心臓がない体だけれど…………胸の動悸が無いと、自分の高揚なんかには疎くなっちゃうでしょ」

「なるほど。 意味がわからない」


 心臓を失って、まだ活動する生命体。

 人というより、そもそも生き物かすら怪しい。


「今回は生徒の無事の確認もあるので深くは追撃できませんが、それでもここからあなたを逃さないだけの余力はあります」

「そうかしら」

「ええ」

「たしかに、あなたと遊びたい気分ではあるけれど…………無闇に戦っていい相手ではないわね。 やはり次回にさせてもらうわ」

「……………」

「では、エノク君によろしく」


 女性が指を鳴らすと、その体が地中へと沈んでいった。

 それと同時に。

 ティアーノの手元の心臓が光を放つ。

 泥と化して地面と一体化し沈んでいく女の姿を睨みつつ、素早くティアーノは漆黒の短杖を抜き放った。

 心臓を投げ捨てながら、ひょうと宙に短杖を揮う。


「ッ…………!」


 宙に放られた後、心臓は光と衝撃波を放出して爆裂四散した。

 人を容易く揉み潰す熱波を、だがティアーノと心臓のわずかな間隙に築かれた『光の壁』が弾く。

 轟轟と唸って殺人の威力を誇る爆風が過ぎ去った。

 盛大に舞い上がった粉塵が風に流されて晴れると、ティアーノが展開した魔法の防壁の向こう側は大きく抉られた盆地となっていた。

 未だ中心部からは黒煙が立ち昇る。

 ティアーノは黙ってそれを見送った後、短杖を袖にしまって嘆息した。 


「化け物め」






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