助太刀
光線が大地に残した爪痕に目を凝らす。
あの黒衣はいない。
一思いに拭き飛んでおらず、肉体の一部が欠損するような状態ならば、まだ救いようがある。
よもや。
よもや。
よもやこんな大災害とは想定していなかった。
狩りのように爪と牙で仕留めるのだと想像して任せたのだ。
庭園の被害などを見るに、結界内に誤って囚われた衛兵や学生たちにまで及んでないかなどの不安がだんだんと浮上する。
エノクは思わず頭を抱えた。
「やばい、殺される」
『ぐるる』
「主にティアーノ先生に殺される。あと裁判のときいたおじさんに殺される」
『がうっ』
「いや、俺の為に世界まで敵に回さなくて良いからね?」
任せろ!――と言わんばかりで尻尾を振って鳴くレイナルに、エノクは苦笑した。心做しか、そんな闘争と苦難に満ちた未来への期待にこそ目が輝いているように思えてエノクは考えるのをやめる。
隣でアレイトとアナが呻き声を上げた。
慌てて二人のそばへ屈み込む。
「ふたりとも、大丈夫!?」
「ん、ああ…………下僕か」
「うん、だいじょう…………ぶ?」
起き上がった二人が辺りを見回す。
そして――当然、抉れた大地に視線を留めた。
「な、何事だこれは!?」
「あわわわわわわて、ててて庭園が…………!」
「デスヨネ、そういう反応デスヨネ」
『がうっ』
「こら、胸を張るところじゃない」
レイナルの鼻に優しく手刀を入れる。
エノクは心労で今にも胃の中を吐き出しそうだった。
ただ、結界に破壊されてできた穴もとい脱出口が作られたため、問題なく出られる。術者と思しき先刻の黒衣も倒されたはずなので、また結界――という物が再構築されることも無いはずだ。
そう考えると、エノクは一旦の安心感を得る。
あとは事情を説明するのみ。
無様でもいい、卑屈でもいい、姑息でもいい。
出来る限り。
できるかぎりの命乞いをしよう…………!
「あら、ホントに凄いわぁ」
「…………えっ?」
不意に背後から声が通った。
驚いてエノクが振り返った先で――鉈を振り上げる人影を見咎める。
崩れた結界を背景にしたその凶影は、紛れもなく黒衣の襲撃者だった。レイナルの砲撃で死んでいないという事実への衝撃を忘れさせるほど、襤褸になったフードの下から覗く眼光には禍々しい殺意を孕んでいる。
レイナルが身を翻す。
反応が遅れた。鋭敏な獣の感覚すらも、ここまで接近を許す高い隠密も、今は気にならない。
エノクは身が竦んでいた。
「なっ、生きて…………!?」
「ちょっと痛かったわ」
鉈が振り下ろされた。
まだ体が後ろへと巡りきらないレイナル。
後者の反応速度は人間の理解を超える。
だが――敵もまた同じだった。
たとえレイナル自身は死なずとも、標的である二人のうちどちらかが死ぬ。
死の瞬間を予感し、今さら間に合わないと思いながらもエノクは腕を伸ばす。
前に庇い立てば――!
だが、遥かに凶刃のほうが速い。
鉈は鈍く風を切りながら、アレイトの顔面へと吸い込まれていく。
「切咲流――『刃衣』!!」
「ッ!?」
三人の面前で凶刃が火花を散らして鳴いた。
鉈が弾かれた衝撃で黒衣が仰け反る。
そして――黒衣と三人と一匹、その間に小さく見を畳んで新たな人影が滑り込んでいた。
ほんの一瞬の光景。
だが、エノクにはすべてが克明に捉えられた。
死を予感した肉体が体感時間をぐっと加速させたおかげか、闖入者たるその素早すぎる人影の正体も看破できた。
「すまない………助太刀、遅れた!」
片刃の剣。
否、エノクの浅い知識では知り得ない東洋で用いられる刀と呼ばれた武具を手にした闖入者は――カスミだった。
振り抜かれた刀の白刃が、すぐに翻って黒衣へと斬りかかる。その刃が後ろへと飛び退いた襲撃者の腹部を浅く裂いた。
引き下がった黒衣の下から笑い声が上がる。
「あら、お友達かなエノクくん?」
「親友だ」
自信満々にカスミが応える。
いや、俺に話しかけてるんだが――という声を飲んでエノクは奇跡に感謝した。
「カスミ、どうしてここに?」
「窓の外で庭園が面妖な半球に覆われた景色が見えたので、連絡も無しに遅刻しているエノクにもしやと思って馳せ参じた次第だ!」
「あ、そっか」
エノクは合点がいって笑う。
結界は広範囲へと展開している上に校舎に近い場所にある。
なるほど、不審だとすぐに伝わるだろう。
「助かったよ、カスミ」
「よし、それで…………ヤツは何者なんだ?」
「俺が知りたい。自称俺のお友達らしいんだけど」
「なに?エノクの友人は私だけなのだぞ!」
「え、カスミしかダメなの??」
カスミがその刀を下段構えに前へ踏み出す。
摺足で迫る少女に、黒衣がじりじりと後退していく。
「ちょっと傷の具合と、その子から見るに…………ここは機を改めた方が良さそうね」
「金輪際勘弁してください」
「エノクくん、また会いましょう」
「む、逃がすか!!」
カスミが地面を蹴る。
だが、それよりも早く黒衣の襲撃者の体が――泥となって床に落ちた。
それを目にして、エノクが唖然とする。
「な、え?」
「ちっ、魔法で逃げたな」
「あ、魔法か」
舌打ちしたアレイトの言葉で魔法と理解する。
カスミが刀を腰帯に吊った鞘に納めてエノクへと駆け寄った。
「怪我はないか?」
「あ、うん。これから増えてくかな、きっと」
「それは大変だ、すぐ医務室へ!」
「いや、まずはアレイトとアナを先に。マソ?が吸い取られて少し体調が悪いんだ」
「では、私が担いで行こう!」
「いや、え、ちょ?」
カスミが二人を肩に担ぎ上げた。
言葉を失って固まっているエノクを、隣でレイナルが襟を噛んで引っ張る。
いま状況を理解するのに手一杯なときなのに、と相棒の行動にエノクが渋面で向き合う。
「どした」
『がうっ』
「ん?」
レイナルが鼻である位置を示す。
それは、襲撃者――だった泥だった。
前足で引っ掻くようにして中を晒していく。
泥の下から、白い紙片が現れた。エノクはそれを手に取って覗く。
「…………これは?」
「エノク、行くぞ」
「あ、うん」
エノクは紙片をポケットに入れて立ち上がる。
風のごとく駆け去ろうとするカスミを、レイナルとともに追った。
次々。




