破壊光線
薔薇園の迷路を全力疾走する。
もはや来た道すらもわからない。
出口が何処かなど探る余地も無く、ただ追走を諦めない黒衣の影を肩越しに見ては足をさらに急がせた。
修羅場になって危険の余り感覚が鈍化したのか、足にまったく疲労感など無い。今ならば海面すら水を叩いて馳せてみせる――そんな自信さえも胸裏で芽生えていた。
いや、そんな自信があっても無駄だ。
何故なら――結界があるのだから。
「レイナル、まだ追ってきてる!?」
『ぐるるっ』
「くそ、どうやったら逃げきれるんだ」
『がうッ』
「え、なに、ちょ、今いそが――ンベェッ!?」
おもむろに並走していたレイナルがローブの裾を噛んで急停止した。
自身が育んだ慣性によって推進力は損なわれず、だがそれ以上に強い急制動をかけたレイナルとの板挟みが容赦なくエノクを襲う。
襟が喉に引っかかり、宙に足が浮く。
そのままレイナルに叩きつけられるように庭園の床に落ちた。
背中を強打し、外側から伝わった衝撃で肺腑が叩かれ、一瞬の無呼吸による苦悶を催した。
頭が痺れる感覚にエノクが呻く。
だが、今は非常事態だった。
エノクは上体を起こして、脇に抱えた二人を見やる。
どちらも膝を打った程度で、大きな怪我は無い。ただ先刻のレイナルによるマソ吸収で顔色は悪かった。
「レイナル、逃げないと」
『ぐふぅぅうッ』
「…………まさか、おまえ」
エノクは振り返ってレイナルを見る。
レイナルは――黒衣に対して正面から睨みつけていた。
虹色に煌めく毛先を逆立て、紅の双眸が仄かに光る。
エノクは本能で察した――もしや、ここで倒す気なのか!
レイナルは負けず嫌いだった。
それは生得的な本能なのか、はたまた村では最も優れた猟犬として村から敬われた者の自負なのか。
或いは、その両方。
黒衣から逃げ惑うこの現状に、レイナルはずっと不満げに喉を鳴らしていた。
「レイナル、これ勝ち負けっていうか」
『ぐるッ』
「え」
レイナルがエノクへと振り返る。
赤い瞳は、期待に光っていた。
「え、まさか許可くれってこと?」
『がう』
「もしかして、俺が命令したからって責任転嫁するための言質取りじゃないよね?」
『……………』
「その腹積もりかよ、小賢しいなコイツ!?」
最後のみレイナルが顔を背けた。
明らかな表現にエノクが理不尽を紛糾する。
その遣り取りの間も、黒衣は歩み寄って来ていた。
「仲が良いのね、素敵な主従。でも…………そろそろ追いかけっこはお終い」
「う、ぐぐぐ」
「さあ、一緒にいらっしゃいエノクくん」
片手に湾刀を手にしたまま。
女性はゆっくりと歩み寄ってきていた。
緩慢な歩調は、明らかにエノク自身に選択させるための猶予を与える意図がある。だが、その時間すら僅かなのは距離で判り、且つ刻一刻と削られていく。
エノクは隣を見る。
レイナルの力を開放すれば、二次災害で死刑案件が来るかもしれない。
目の前の黒衣を見る。
女性の手を取れば生きられるが、隣の二人が死んでしまう。
交互に見る。
迷う。
交互に見る。
迷う。
交互に見る。
迷、う。
交互に見る。
迷……………う。
交互に――迷っている場合か!!
「くそっ――――『レイナル、やっちまえ』!!」
エノクが声を振り絞って叫ぶ。
その音を――魔力を感知した鼓膜から、レイナルの全身へと電流が奔る。
赤い双眸が、さらに剣呑な光を帯びた。
顎が開かれ、口内から辺り一帯を照らすほどの光が溢れる。
黒衣が立ち止まった。
「ちょ、レイナル!目眩ましじゃなくて倒す――」
指示の意図を読み違えたか。
そう危惧したエノクが必死に伝え直そうと隣のレイナルへ語りかけて――。
次の瞬間。
庭園の一部が極太の光線の中に消え去った。
音と衝撃が遅れて駆け抜ける。
そばにいたエノクたちには全く影響は無いのに、まるで熱風や地割れは三人と一匹を避けて、どこまでも広がっていった。
エノクは、ただ隣で口から破壊の光線を放射する飼い犬の秘めたる力に開いた口が塞がらない。
やがて、音と光が途絶えた。
レイナルが顎を閉め、光線が消える。
周囲は土煙も無く、ただ抉れて開けた大地と、迷路の意味を失った薔薇園の残骸、そして大きく穿たれた結界の穴の景色が広がった。
あの日――ベルソートを射抜かんとして、遠くの峰を消し飛ばした一撃である。
敵の影は跡形もない。
一難、去ったのか…………。
仲間も無事である。
とりあえず、エノクは隣のレイナルの頭を撫でる。
「よくやった」
『ガウッ』
「今度から、加減も一緒に覚えような」
『………………』
「返事は!?」
次。




