黒い鉈
塞がれた迷路の庭園。
エノクは淀んだ空を見上げて考えた。
やはり――可怪しい。
使い手の技量によって出入可能な対象を限定できるのなら、なおさら魔獣のみに絞り込めるはずである。魔法を詳しく知らないエノクでも、そこまでの技前のない人間ならば無闇に対象を限定しての結界は展開しない。
ともなれば。
やはり単純に魔獣を閉じ込めるためか。
だとしても、不可解な点はある。
上級生まで閉じ込めては元も子もない。
それこそ、学生がいるかもしれない迷路を不用意に結界で閉鎖しないだろう。
何か裏がある。
エノクは周囲を鋭く見回した。
近づいてくる足音はない。
先刻の悲鳴――潮騒という不吉要素を孕んだ音から、何も起きていない。
「出口を探そう」
「結界に包まれてるんだぞ」
「僕は結界とか魔法の仕組みに明るくない」
「なら」
「でも、結界を作った人が内側にいるのは分かる」
「何故だ」
レイナルがぐるる、と喉を鳴らす。
その鼻をやさしく掻いてやった。
「これがただ魔獣を閉じ込める目的じゃ無いとしたら、閉じ込めてどうするつもりだろう?」
「…………内側に狙いがある?」
「内に何か手にしたい物がある。そうなれば、結界の使い手も中で探しているはずだ」
「それが何だ」
「憶測だけど…………結界の使い手が出られる用の出口があるんじゃないかな?」
「…………」
アレイトがはたと止まる。
「たしかに、そうだ」
「…………」
「仮に内側に結界の術者がいたとすれば、出るには必ず自分用の出口を作る。例えば、解除や出口を作る必要な合言葉だったり…………」
「よし」
エノクが決然とした表情で立つ。
隣のレイナルがその覚悟を感じ取って同じように姿勢を正した。不思議そうに見つめるアレイトとアナに対して手を差し出す。
「その術者?を探し出そう」
「なッ!?」
「正確には、見つけて尾行するんだよ」
結界を使う――つまりは魔法使い。
真正面から相手取っても、自分たちの勝機は薄い。アレイトの知識通り、出口を開く呪文があるのならば盗み聞きで後から自分でも出られるはずである。
もし聞き取れず、また術者に気取られて襲われた場合は――。
「レイナル、頼めるかな」
『グルルルッ』
「ごめんよ、情けない主人で」
『グフゥ』
「知ってた、って反応やめて!?」
悄然としつつもエノクは歩き出した。
下手に動けば遭遇率は高くなるが、その危険を承知してでも術者を探す必要がある。実戦にはレイナルに依存するが、それ以外をすべてエノクが補わなくてはならない。
レイナルは家族で、相棒なのだ。
二人で助け合わなくてはならない。
この学園で生き抜く為に――またあの故郷に、メリーに会う為に。
「俺、頑張るよ。――メリー」
「エノク、動くのか」
「あ、はい。…………術者を探そう。アナは平気?」
「怖い、でも行くしかない」
「うん」
三人で迷路の道を辿る。
誤解を防ぐために、レイナルにはローブの懐中に入れる体格まで縮小させた。
先に上級生と衛兵に出会した際に敵を増やしたくない。術者の目的は知れないが、脅威で無い場合は言葉で分かり合える可能性が無いとも否定しきれないのでレイナルの存在を秘匿する。
問題は、術者の敵意の有無。
そこだけが唯一の懸念なのだ。
三叉路の岐点で三人は立ち尽くした。
どこに術者がいるかわからない以上、虱潰しで探したいが、ここが迷路である場合はどの道を選んでも引き返すことは容易ではない。戻っても同じ岐路に再び立てるか否かが不安だった。
三人でそれぞれの道を睨む。
どれを選ぶべきか。
悩んでいると襟元からレイナルが顔を出した。
すんすんと鼻を鳴らす。
「レイナル、人の臭いがわかる?」
『グルッ』
レイナルが鼻で一方向を示す。
アレイトが立っている道だった。
三人で頷いて、その道を慎重に歩んでいく。足音や声、呼吸音や衣擦れなど些細な物音すらしないかと神経を研ぎ澄ました。
自分たちの音だけで満たされた世界。
風が凪いでいるので葉擦れも無い。
しばらく歩いたが人の気配はせず、やがて三人の行手に生け垣の壁が立ち止まる。
行き止まりだった。
「………人の気配はしない」
「本当に魔獣の鼻は正しいのか?」
「レイナルがこういうことで判断を誤ったことはないよ」
集落で山の狩猟に参加したときも、レイナルの感知能力は正確無比だった。
どんな獣の所在も暴き、即座に捕らえる。
時折だが狩りに参加した子供が遭難した際も、エノクの指示を受けてから短時間で子供を連れてきたことさえあった。
魔法使いも人間である。
感知できない対象ではない。
「レイナル」
『グルァッ』
「え、上?」
レイナルが鼻を振り上げた。
エノクも頭上を振り仰ぐ。
すると。
生け垣を飛び越えて黒い影が宙に躍り出る。
エノクは反射的に後ろへと飛び退きながら、二人の襟をつかんで引き寄せる。大きく後退して生まれた行き止まりとの間隙に、黒いローブが降り立った。
着地した後、動かない。
エノクは少しずつ後退する。
「見るからに不審人物」
「絶対に術者だよね」
「魔法の分からない俺でもわかるよ」
エノクは学生ローブを脱いだ。
地面に着地したレイナルが大型犬の大きさに変身する。
黒いフードの下から、三人を見る目が妖しく光った。
「凄いわ、早速会えるなんて」
「…………あなたが結界を張ったんですか?」
「当然。あなたに会うためよ、エノク君?」
ローブの袂から女性が何かを取り出す。
ぎらり、と日を照り返したのは――歪な形をした大振りの鉈だった。軽やかに片手で何回転も回旋させてもてあそぶ。
エノクは思わず歯噛みした。
――狙いは俺かよ!
狙われる理由に心当たりがあり過ぎる。
魔獣使いであること、大魔法使いベルソートの養子であること、弟子であること、死刑を下した王国の裁判で会ったあの陰険な男…………思い当たる節の多さに涙がこぼれた。
だが、吉報もある。
相手は目的の術者であることを認めた。
そして、狙いは自分だけ。
「最初に提案があります」
「なあに?」
艶美な声で黒いローブが応える。
エノクはちらと後ろの二人を一瞥した。
「狙われる理由は分かりませんが、後ろの二人は無関係です。結界から解放して下さい」
「ダメよぉ」
「なぜ」
「目撃者は全員殺すことにしてるの」
「ッ――二人とも逃げろ!!」
エノクは後ろの二人を叱咤する。
だが、去っていく足音はしない。
何事かと背後を振り返れば、二人は怯えながらも黒いローブを睨んで立ち止まっていた。
「何で逃げないんだ!」
「今さら子分を置いて行けるか!」
「キュゼとドリーは置いてったくせに!?」
「私も友達を置いて行けない」
「アナ、頼むから」
二人を諌めようとして背後で大きな金属音が炸裂する。
慌てて前に向き直れば、黒いローブの鉈を牙で挟んでレイナルが受け止めていた。
『グルルルルッ』
「主従愛、ね。でも私の方がエノク君を愛しているわ」
「気色悪い!!」
アレイトがローブの下から短杖を抜く。
相手へとかざすと、杖先の虚空に火が出現した。渦を撒いて球状への集束した熱を、まるで投げるように杖を振るって放った。
黒いローブのフードを目指した火球は、しかし身を傾けた相手の肩口の空気を焦がして過ぎていく。
後ろの生け垣に命中して燃え上がった。
「なんだと」
「こんなところて火を使います!?」
「黙れエルフ!私だって咄嗟で――」
エノクは舌打ちした。
刃物を持った正体不明の敵に加えて火事になってしまえばますます退路を失うことになる。鎮火するか、相手を撒くかの選択肢だが、前者は途方も無いように思えた。
後者もレイナルの力がどこまで通じるかが難点である。
「魔法使いなら火ではなく水とか」
「後は目眩ましの術しか知らん!」
「それ使ってくださいよ!」
「魔法…………魔法…………」
エノクはふと燃える生け垣を見た。
魔法とは、魔力だか魔素だかを利用して現象を起こすと入学試験で試験官が説明していた。そして、実践された物はベルソートが見せている。
魔法を消す方法も――たしかに知っていた。
魔法によって起きた現象を消す手段。
「レイナル!」
『グフゥゥッ?』
「火消し!」
エノクが縋るように叫んだ。
すると、レイナルが全身を震わせる。
その毛先から虹色の光子が無数に撒かれた。空中へと飛び散ったそれらが、少しずつ光量を増す。
迷路の中に小規模ながら、極光が現れた。
黒いローブが周囲に起こる現象を眺める。
光に照らされた途端、周囲の生け垣の火勢が見る間に衰えていく。黒煙を上げながら、最後はぱちりと静かな火花を散らして消化した。
「これは…………火が消えた?」
「やっぱりか」
エノクは確信に笑う。
それは半年以上も前である。
ベルソートから魔法の力の素を吸収させ、行動不能に陥らせたレイナルの極光があった。あれが周囲の魔法効果を打ち消すことを知っていたので、鎮火できると思い至ったのだ。
そして、それは環境にある全てに作用する。
つまり。
「力が抜けていくわ」
黒いフードが鉈から手を離して飛び退く。
しばらく自身の掌を眺めた後、フードの下で目を細めながら上へと高く跳躍した。
そのまま、行き止まりの向こう側へ消えていく。
「え、エノク…………これは一体…………?」
「エノク、君?」
「あ、二人まで!?レイナル、止めて!」
エノクは慌てて二人に駆け寄った。
周囲からレイナルの極光が消失する。
極光が消えれば吸収作用もまた失われるので、黒いローブが再襲撃を仕掛ける可能性も否めない。
エノクは二人を抱え、レイナルと共にその場を走り去った。
「俺が狙い…………」
『グルル』
「ああ、間違いない」
エノクは後ろを振り返る。
すると。
黒いローブが猛然と追走して来ていた。
「逃さないわ!」
「やっぱり死刑案件かよ!!」
理不尽な現状に紛糾の声を上げて、エノクは足を加速させた。




