食堂の洗礼
学生寮の一階にある食堂へ下りた。
エノクは学園の寮では、朝昼晩と食事が供される。学生割引によって安くはあるが、料金を支払って食べる仕組となっている。
ただし、例外はある。
進魔法学科は、先進的且つ奇怪な魔法及び現象の解明に尽力する教室とあって、食堂では一定の料金内で済ませれば無料で食事が取れる。
昨日の寮の案内係から利用法の説明を受けていた。
エノクは楽しみになって一階へ。
あの机の上の妙な書き置きや、予習の心残りが払拭されるほど興奮している。
肩に乗るレイナルも心做しか期待に銀毛が膨らんでいた。
そして――一階の光景に愕然とさせられる。
どこまでも広がるような面積の食堂。
とても長く続いた食卓。
机一つに無数の椅子。
それら全てが、人に埋め尽くされていた。
見回した限り、空席があるとは思えない。
「嘘だろ……」
『がう……』
エノクはその場に立ち尽くした。
街道並みの雑踏が食堂を賑わせている。
受付も複雑に混じるような人波が流れていた。
入る隙など一分たりとも無い。
右顧左眄していると、隣から鼻で嗤う声がした。振り返ると、逆立った赤い髪の少年が下りてくる。
制服の袖を通したアレイトだった。
「何を惑っているんだ。エノク?」
「げ……あ、おはよう。アレイト」
「ふん」
アレイトは一瞬鼻白んで、また嘲笑を作ってエノクの横に立った。
敬語を使わずに挨拶したことを咎められず、内心でエノクは胸を撫で下ろす。昨日のカスミの言が利いているようだった。彼女がいない場でも通じるとあって安心する。
ふと、エノクはアレイトを見た。
取り巻きの二人がいない。
「キュゼと、リードは?」
「寝坊だ。部屋の扉は内鍵がかかっていた、どうせ寝ているんだ」
「起こしに行かないのか」
「なぜ僕が起こさなければならない」
「友達だろう、助けなきゃ遅刻するかも」
「友じゃない、手下だ」
「ええ……」
手下と豪語するアレイトに苦笑する。
彼は前に歩み出した。
「こんな人波に臆して立ち往生など情けない」
「え、ちょ」
「どれ、僕が先陣をきってぇえええええ――――!?」
果敢に踏み込んでいったアレイト。
一歩切り込んだ瞬間に人波に流されていった。今や目立つはずの赤い髪も紛れてしまい、すっかり見失ってしまった。
エノクは圧倒的な流れの強さに戦意を失う。
果たして朝食に辿り着けることができるのだろうか。
『ぐるるるるる』
「レイナルは何もしないでくれよ」
『ぐふぅぅぅぅ』
不満そうに歯の隙間から吐息をこぼす。
エノクは肩を竦めた。
「どうしようか」
立ち尽くして悩む。
すると――耳に微かな潮騒が聞こえた。
雑踏と人の声、食器の音で飽和した食堂の空間で聞こえるはずがない。しかし、微かに耳の内で波音がしている。
あの少女――フレイシアと同じだ。
耳を澄まして、音の源を探った。
すると、誰がだれかも判別がつかない人波の渦中にて、エノクを見つめる一つの顔を見つけた。
そこにいたのは、キュゼとリードである。
視線が合うなり、彼らは何処かへと歩んでいった。
エノクは小首をかしげる。
「あの二人、寝坊なんじゃ……」
それ以前に。
二人から波の音なんてしたっけ……。
そんな疑念を抱えつつ、ますます盛況を増す食堂に諦念が兆す。
エノクは肩の上のレイナルを見た。
「俺たちも行こう」
『がうっ』
エノクは意を決して食堂の荒波へと身を投じる。
そして、授業開始十分前に受付から料理を受け取り、食事を素早く済ませて――エノクは遅刻したのだった。
次。




