鶴の一声
どう応えたものか。
魔法学に関する浅学もあり、ベルソートの知名度が如何ほどかさえも正しく把握していなかった。クロノスタシアの名は、魔法学園という魔法の粋を結集した場でも尊敬を束ねる。
侮っていた平民風情。
それを名告れば必ず不審感を招く。
エノクは額を押さえた。
「えーと、何と説明したら良いか」
『ガウッ』
肩の上で吠える。
エノクはその頭を撫でて諌めた。
カスミによって一難去って、また一難である。
それより。
アレイトはリューデンベルク王国の公爵。
同国出身で、かつ王都の裁判所でエノクが受けた沙汰を知っているはずである。
国家転覆の罪状なら、公爵すらも出席して議論する。それくらいは、世情に疎いエノクですらわかる。
だが様子を見るに、アレイトは知らない。
ともかく。
自己紹介ですら障壁が立ちはだかった。
だが、偽りようがない。
それだけ、偉大な大魔法使いの名なのだから。その名前を名告ったことの責任が、自身にはある。
エノクは肚を決めた。
「事実です」
「は?つまり、ソレって――」
「偶然ですけど、ベルソートさんに、この学園への入学を勧められました。その際に都合が良いとのことで、養子縁組となり……」
「…………」
「こ、高名なクロノスタシアの姓を授かったとはいえ、学園内では身分差は関係ないと言いますし、俺は元漁村の平民ですので名に驕らず精進するつもりです!」
「はあ?」
アレイトが片眉をつり上げる。
エノクは恐る恐る彼の顔を見た。
「つまり」
「…………」
「身分差が無いから、私に公爵家としての誇りある態度は驕りだと?」
「(あっれーッ!?)」
裏目に出た反応に内心で悲鳴する。
貴族としての誇り、それがアレイトの中で大きなモノだから、それを撤廃する環境下で努力することへ疑念がある。
エノクは意図せず、その部分を刺激してしまった。
悲嘆に打ちひしがれる中、大きな拍手が聞こえる。
エノクは、ちらと隣を盗み見る。
カスミが手を叩いていた。
「見事だ、エノク!」
「――え?」
「階級差による隔たりによって人を分かつことこそ卑賤極まりない。アレイトと真に仲良く、時に好敵手になれることを目指したいという意思表明……なのだろう!?」
「え、あ、はい」
「さすがエノクだ!」
一人感動するカスミ。
これは怒りを誘発する――そっとアレイトを見た。
だが。
「……ふん」
「……………えっ」
「え、とは何だエノク」
「あ、いえ、何も」
エノクは唖然とした。
アレイトは、先刻の出来事でカスミのことを認めている。それゆえに、彼女の言葉を素直に受け容れたのかもしれない。
そう推察して、だが釈然としなかった。
突然エノクと名で呼ぶ辺り。
何より、微かに頬が紅潮しているどころか、やや嬉しそうに見受けられた。
もしや……。
「カスミ」
「何だ、エノクっ」
「罪な人だね」
「……そなた、私に切腹を所望しているのか」
「そのセップクが何かは知らないけど、違うと思う」
エノクは長嘆を禁じ得なかった。
妹のメリーでも同じことがあったのである。
漁村で子供ながら大人に混じって仕事するエノクに、羨望と共に嫉妬が向けられた。特に、村一番の美少女として花よ蝶よと寵愛を受けるメリーとひとつ屋根の下で暮らす。
それも。
尋常な兄妹ではなく……。
なので、メリーを慕う少年連中からしばしば喧嘩を仕掛けられたりしたが、彼女の一言ですべてが事足りる。
呆気なく、悪意たちが遠ざかる。
メリーに嫌われたくないから。
正に、現状と似ている。
「取り敢えず、ありがとうカスミ」
「なに、親友だろう?」
「あはは」
エノクは苦笑するしかなかった。
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