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魔法使い

登校まで、あと二話。



 宙に浮いていた老人が降下する。

 直下にいたエノク達は慌てて退いた。

 レイナルだけが毛を逆立てて、猫とも犬とも聞き取れる威嚇の声を上げている。普段は柔らかそうな毛が一層膨らみ、所々が針のように尖った。


 草原に降り立った老人は、蓄えた白い髭を弄びながら柔和な笑顔を浮かべた。

 正対した相手を安心させる不思議な雰囲気、皺を深く刻んだ面相は、円錐に尖った帽子の広い(つば)で陰っている。

 エノクよりも小さい矮躯で、身の丈に合わない緑のローブの裾を地面に引き摺って、レイナルに近付いた。

 撫でようとする掌を躱して、レイナルが噛み付こうとする。

 咄嗟に手を引っ込めて、老人は愉快そうに笑った。


「怖いのぉ、ちゃんと躾はしとるのか?」

「いえ、普段は大人しい子だ……です」


 エノクは口調を敬語に切り替えて、レイナルを擁護する。

 今まで見たことがないほど、レイナルが警戒していた。単純な敵意ではない、殺意すら滲み出す気迫を感じた。

 メリーが撫でて鎮静化を試みるが、むしろ二人を庇うように老人に立ちはだかる。逆立った毛から、粉のように虹色の光子が舞った。

 老人は自信の顎を撫でて、うんと唸る。

 一歩だけ後退すると、人差し指で何かを宙に描いた。繰り返し同じ形を描く。

 それを睨んでいたレイナルが、次第に逆立てた毛が倒れていく。

 やがて瞼を下ろし、その場で眠ってしまった。

 唖然とするエノクの視線に、老人は嗄れた笑声で応える。


「眠らせただけじゃ」

「そ、そうですか」


 エノクは胸を撫で下ろした。

 危険だと言っていたので、なにか呪いでもかけたのかと疑った。宙に浮いていたので、老人が魔法使いであるのは子供でも判る。

 レイナルが外敵として排除されずに済み、心の底から安堵する。


「それにしても、珍しいこともあるもんだのう」

「え、レイナルですか?」

「ほう。このケティルノースに名を付けたのか」

「ケティ……何ですって?」


 エノクが尋ね直した。

 すると老人は鷹揚に頷いて応える。


「ケティルノース、『星を喚ぶもの』という意味じゃな」

「へえ、そんな動物がいたんですね」

「この世に一体しか存立できぬ魔獣じゃ」

「え、一体だけ?」


 レイナルが人食いの魔獣――それと同種だとは。

 老人の示唆する『ケティルノース』に該当するなら魔獣には違いない。

 しかし、エノクはそれよりも「一体だけ」という奇妙な点に着眼した。種族ならば、複数で世に存在してこそ種として区分される。一体だけで、どうして『ケティルノース』と判別するのだろうか。


「そう、一体が死ぬ以外に別のケティルノースは現れん。それも死後に数世紀も経ってな」

「どうやって生まれるんですか」

「北の凍土にある『凪の胎窟(たいくつ)』からじゃな」

「な、凪……?退屈?」


 エノクは理解が追いつかなかった。

 言葉の端々に表される用語の意味が判らず、途方に暮れた顔になる。それはメリーもまた同様だった。

 二人の理解が及んでいないと知った老人が笑い、その場で指をまた小さく振った。

 すると足元が燐光に包まれた刹那、そこから椅子が三脚も現れた。面食らって硬直した二人に着席を催促し、老人は自らの後ろに配置した椅子に腰を下ろす。

 おずおずと座った二人は、眠るレイナルを見た。

 先刻とは一変して、落ち着いた様子である。


「さて、自己紹介がまだじゃった」


 唐突に老人が手を叩いた。

 乾いた音が響き渡り、二人の緊張が解ける。


「わしはベルソート。気ままにベル爺と呼びなさい」

「あ、どうもエノクです」

「妹のメリーです」

「おお、わしが世話になる家の娘か」


 名告った老人ベルソートが満足げに笑う。

 笑顔の絶えない相手に、エノクも自然と顔から緊張が消えていた。相手を落ち着かせる老いた笑みには不思議な力を感じた。

 家に泊まる魔法使いはベルソートらしい。

 エノクは彼の姿を帽子から爪先まで眺める。想像していた魔法使いそのものに違わぬ風貌が好奇心を誘った。

 噂話でしか聞いたことがない。

 何も無いところから火や水を出し、空を飛ぶと謂われる魔法使い。田舎では都市伝説のようだった存在が目の前にいると考え、エノクは興奮の熱に浮いた。

 足下にいるレイナルを一瞥し、ベルソートがエノクを指差す。


「エノク、中々に興味深いわい」

「は、はあ」

「わしは偉大なる【時】の魔法使いと世に呼ばれておる。知っとるじゃろう?」

「いえ、全く」

「えぇ……ワシ知らんの?」

「そもそも、魔法使いが何なのかも浅くしか……」


 ベルソートが情けない笑顔で肩を落とす。

 自称偉大な魔法使いの悄気(しょげ)た様子に、エノクは本人が嘯くほどの貫禄がなおさら感じられなかった。

 大人の話に聞き耳を立てて誰よりも村の情勢に敏いメリーも、こればかりは常識として【時】の魔法使いを知らない。この時ばかりは困惑顔でベルソートに頭を下げていた。

 憮然としていたベルソートは姿勢を正す。

 咳払いをして、エノクを鋭く見遣った。


「ならば懇切丁寧に教えたるわい」

「え~……」


 余計な情熱の火がついた。

 エノクの(かこ)ち顔が、殊更にベルソートの決意を固くさせる。


「それにしても、魔獣を手懐けた例は前代未聞じゃ」

「そうなんですか?」

「もはや根幹から人敵(じんてき)の生命体じゃぞ」


 エノクには今一それが理解できない。

 特に、レイナルが魔獣である点にもいまだ納得していない。

 ベルソートは、足元のレイナルを眺める。虹色の毛先を摘まんだり、尻尾の模様を物色したりした。


「それもケティルノースを、とはのぅ」

「手懐けたっていうか、刷り込みというか……」

「拾ったのはいつじゃ?」

「子猫のときです」

「子猫!子猫ときたか!」


 子猫というのが琴線に触れたのか、抱腹絶倒になって笑うベルソート。

 椅子から転落する勢いにエノクも心配になった。

 一頻り笑った後で、涙を拭いてベルソートが何やら心得た風に一人で何度も頷いている。


「ケティルノースは小さくとも凶暴じゃ」

「そうなんですか?」

「軽く手練れの武装集団なぞ壊滅させる」


 おぞましい評価に、エノクの顔が引き攣る。

 猟では大いに貢献する能力しか生態として把握しておらず、ほとんど犬か猫と同じ扱いをしていた。

 実際、甘噛みすることもあったし、危害を加える大人には傷を負わせるが、エノクが制止すれば命令をしっかり聞く。

 ベルソートが口にするほど危うそうに見えない。


「でも、こんな偉業は滅多に無いぞい」

「あ、ありがとうございます?」

「ま、大罪と紙一重じゃがな」


 不穏当な言葉が聞こえて胸が騒ぐ。

 エノクは一人で得心顔のベルソートに怪訝な顔を向けた。


「そうじゃな。まず魔獣とやらから説明じゃな」

「お願いします」


 レイナルに関わるとあって、エノクは身を乗り出した。

 自分が約半年前に拾ってきた、動物図鑑にも載らない稀有な種族の生命体。あの網にかかってから縁を結んだ大切な家族である。

 これがもし危険なら、エノクは()っておかなければならない。

 そんな気迫を感じたベルソートは、変わらず微笑で対して話す。


「魔獣とは、四千年前に現れた恐ろしい魔神を倒し、解体して各地に埋めたことで生まれた『胎窟』より無限に現れ、人に仇なす敵。

 世界には六種類の胎窟が無数にあっての。『()(きり)()(そら)(おと)(あん)』とある。

 これらから無限に輩出され、胎窟の中には魔宮と呼ばれる多次元空間が内包されとる。まだ最奥には誰も辿り着いとらんがな」


 魔獣を産み出す胎盤のような物――胎窟。

 七種類に分かれ、数えるのが億劫なほど世界に散在する。その分だけ、魔獣も無数に存在しているのだ。

 人類の敵、その発生源が覆いとなれば、なるほど四千年前から現代まで殲滅されていないのも道理だ。


「あれ、『(なぎ)』は?」

「北海にのみ存在する一つだけの胎窟。

 魔神の頭を極北の凍土に捨てた結果、世界の何処よりも危険な魔獣が産み出すのが『凪の胎窟』。……が、それも二百年単位で数体じゃしな。

 ケティルノースは、そこから稀に現れる固有種じゃ」


 エノクは黙考する。

 北海となれば、おそらく漁港から更に北。大人の話によれば氷河や氷の集合体で完成した大地があると聞き及んでいる。

 それが世界中で最も危険な魔獣の発生源。

 レイナルは、その中でも更に特異な個体なのだ。


「き、危険なんですか?」

「そりゃのう。過去にケティルノースが()えただけで西方島嶼(とうしょ)連合国……大きな島国の集団が消し飛んだんじゃ」

「国が……!?」

「空から星を墜とし、命を死滅させる光を放つ。爪で万軍を引き裂き、牙で国を噛み砕く……正に天災よ」


 確かに天災とは言い得て妙だった。

 仮にそんな事が本当に可能なら、世界からすれば絶対に排除したい脅威でしかない。

 しかし、エノクは疑問に思った。

 そんな力を有するなら、人類では勝てない。漁民が時化(しけ)に抗うときと同じく、耐えるしかない、それを止める術のない不条理そのものなのだ。


「た、倒せるんですか、そんなの?」

「前回は九百年前に『剣聖』……世界最強の剣士に討伐されたわい。そのレイナルやらは、世界で五体目のケティルノースじゃな」


 エノクは閉口した。

 足下ですやすやと寝息を立てるレイナルを見て冷や汗が溢れる。

 人を襲う魔獣、その中でも比肩する者なき災厄とされていた。容易く国を滅ぼす力を有し、世界から危険視される害悪なのだ。

 エノクは、乾いた喉に唾を飲み込んで無理やり潤す。震える舌で、必至に質問の言葉を紡いだ。


「こ、この子は見付かればどうなりますか?」

「小さいじゃろうし、すぐ処分されるじゃろ」

「そ、そんな……」

「ほう?」


 ベルソートは眉を顰めた。

 エノクの表情を染める恐怖一色、だが恐れたのはケティルノースの危険性ではない。

 それは、害獣として殺される可能性を嘆いてのことだった。如何に危険かを説かれても、心を通わせた魔獣を庇護せんとする。

 エノクの想い遣りに、ベルソートは口許を綻ばせた。

 しかし――。


「危険じゃからな。間違いなく殺されるじゃろう」

「…………」

「それを育てたヌシも、国に処刑されるだろう」

「あ」


 エノクは失念していた。

 世界から恐れられる魔獣、それを育て匿った自分もまた同罪である。人類としては許しがたいだろう。

 ベルソートの言葉通りなら、魔獣を育てる前例がないので如何なる処罰が降されるかは知れないが、それでも処刑自体は免れない重罪だ。


「ど、どうすれば……俺とレイナルは助かりますか?」

「わからんな」

「…………」

「一宿一飯の恩をこれから()けるとしても、ヌシを匿う理由がワシにはない。密告したら終わりじゃぞ」


 ベルソートの言葉は尤もだった。

 それでも、レイナルを見捨てることはできない。

 だが、擁護すれば家族も死罪になる可能性が否めない。


 エノクは絶望でうつむいた。

 それを見詰めたベルソートが嘆息混じりに腕を組んだ。


「そうじゃな……これは思い付きじゃが――」


 窮余の一策か。

 それでも、すがりたいエノクが顔を上げる。

 そして、ベルソートがその先の言葉を紡ごうとして――。





「むッ、いかん――!!」


 それらを遮るように、足元から彼にめがけて一条の光が迸った。草原を抉り、空へと駆け上がって頭を列ねる山頂の一角を貫く。

 エノクとメリーの前景が真っ白に染められた。轟々と唸りを上げて、光帯が平原の全景を圧倒した。

 遠雷のような轟音と暴風が炸裂し、二人は後ろに倒れた。

 跳ね起きたエノクが、風に抗いながら前を確認する。


「れ、レイナル……!?」


 そこに。

 レイナルが起き上がって口から光線を放出していた。

 復活して、再び総身の毛を奮い起たせている。

 全身の毛から虹の粉を振り撒き、周囲に薄い極光(オーロラ)を現出させていた。二人を包むように揺らぐ。

 そして光線が音もなく消えた。

 平原に刻まれた大きな()と、雪崩となって落ちる遠い山の頂が見える。


 一瞬の出来事だった。


 呆気に取られていたエノクは、ベルソートが消えたことに気付いた。

 光線を真っ向から浴びて、あれから姿が無い。もしや消し飛ばされてしまったか。

 慌てるエノクの目前で、レイナルが頭上を鋭く睨め上げて唸る。

 その視線に従って見上げると、中天に影を掲げるベルソートが健在だった。

 優雅に胡座を掻いて、燃えた顎髭の先を名残惜しそうに見つめている。レイナルは二の次のようだった。


「成熟せんでこれとは。凄まじいのぉ」


 がうっ!

 吼えたレイナルに、はっとしてエノクはその首筋に抱き着いた。攻撃姿勢だったレイナルの体が止まり、紅の眼差しがエノクに向けられる。

 その間に、ベルソートが指を虚空に踊らせていた。

 空に複数の光る槍が出現する。照らされた直下のエノクは、見上げて恐慌に脱力してしまう。

 すると、レイナルはエノクを頭で突き飛ばし、ベルソートに背を向けて走り出した。猟でも見せなかった速度で遠ざかる。

 そこへ、ベルソートの光の槍が放たれた。

 レイナルが殺到する雷のような爆撃を避けて疾駆する。


「近隣の村が滅んでおるが、あれはヌシの所為か?」


 レイナルが身を翻して肉薄する。

 そのとき、次第に姿が透明になって消えてしまった。

 エノクは見失って周囲を眺め回す。平原に発生した幻想的な極光以外は何も無い。

 頭上ではベルソートは呵々と笑っていた。


「光を屈折させおったか、やりおるのぅ。生得的な機能にしては技巧を感じるわい」


 ぐわぅッ!

 獰猛な獣性の叫び声がする。

 エノクの隣の地面が爆発し、一迅(いちじん)の風が後ろへ吹き抜けた。盛大に舞う土砂に視界を遮られて呻く。

 何が起きたかと視線を巡らせて――頭上の現象に慄然として固まった。


 ベルソートの右腕か消えていた。

 鮮血が肩口から噴き出し、彼の顔に脂汗が滲み出る。空に浮遊していた体が、地面にゆっくりと降り立った。

 倒れそうになったベルソートを腕で支えたエノクは、背後から感じた威圧感に身を凍らせる。

 恐る恐る肩越しに顧みた。

 そこに、ベルソートの右腕を咥えて唸るレイナルがいる。

 姿を消したと思えば、いつの間に接近して彼の腕を噛み千切っていたのだ。

 口許がすっかり血に染まり、その姿にエノクの背筋に戦慄が奔る。


「ほほ、やられたわい」

「だ、大丈夫ですか!?」

「心配要らんよ。ああ、あと説明が途中じゃったわ」

「こんな時に!?」

「いや、重要事項じゃもん」


 激痛で眉弓に刻まれた皺を一層険しくさせながらも笑みを深めたベルソートが、エノクの支えを捨てて進み出る。

 レイナルへと、何の躊躇いもなく接近していく。

 正気の沙汰ではない。

 先ほどは右腕だったが、次は命が危うい。


「ベル爺!」

「よく聞け。魔獣に対抗するには、大きな力を有する者が必要とされる。その中でも強力無比。誰よりも尊く、誰よりも魔に近い者。魔力を操って万象に携わる――」


 エノクが止めようと腕を伸ばす。

 しかし、無情にもレイナルが地面を蹴った。顎を大きく開けてベルソートに直進する。

 ベルソートは避ける様子すら無い。


 鋭い牙が、彼の顔に突き立つ。

 エノクも死を直感して、頭を抱えた。悲鳴が喉を駆け上がって、いざ放たれる。

 その刹那。

 レイナルの体が停止した。

 いや、ただ止まったのではない。

 跳躍に際して広がった体毛すら、風に靡くこともなく静止している。

 まるで――時が止まったようだった。


 悲鳴ではなく、か細い息が漏れる。

 立て続けに味わわされる驚愕に脱力したエノクの前で、ベルソートが隻腕で己の胸を叩いて誇示した。


「――そんなわしらを、魔法使いと呼ぶ」

「む、無茶苦茶だ……」

「な。重要じゃろ?」


 眩しすぎるベルソートの勇ましい笑顔。

 エノクは、考えるのをやめて力の抜けた笑みを浮かべた。






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