たた波乱
熱い吐息の風にエノクの前髪が揺れる。
爬虫類特有で前部に伸びる特有の面長な頭をエノクの面前に突き出す。
艶やかな銀色の鱗と錨の形をした尻尾は、その不機嫌を表現して地面を鞭のように打っていた。
鋭い瞳孔が映したエノクの顰めっ面を睨む。
閉じた口の隙間から伸びて、割れた舌先が首の辺りを舐め回した。
『で、呼んだ了見を聞こうか?』
不思議な声音で話す。
明らかに鳥ではない。
呼んだのが意外な大物で、エノクは未だに固まっていた。
「ご、ごめんなさい。特に用が無いんです」
『呼んだだけ!?』
「……はい」
『そもそも言葉が通じるとか何者だ?』
「いや、ただの船乗り見習いでした」
エノクの返答に、トカゲが信じられないといった顔になる。
「それより、どうしてずっと俺たちを追尾していたんですか?」
『そりゃ、おまえから『魔神の残り香』がしたからよ』
エノクは小首を傾げる。
また意味を解さない単語が出てきた。
「平民!!」
悲鳴じみた声が響いた。
アレイトが叫んでいる。
切迫していた表情だったが、トカゲの翼で遮られてエノクには見えなかった。
しかし張り詰めた強い声に危険を喚起していると悟る。
「そいつ危険だじょ!」
「え、いや、言葉が通じるので大丈夫です。……てか噛んでる」
「一万の軍勢で対処する『空の鱗』と呼ばれりゅ飛竜種だ!」
「あべ……どら?」
トカゲの種族と思しき名前が聞き取れなかった。
それでも、エノクにはアレイトが慌てている理由を察して頭を抱えた。
試験突破の打開策とはいえ、人の敵である魔獣を呼び寄せるのは軽率だった。
誰も魔獣を使役する力なんて聞いていないだろう。法廷でもさんざん真偽を疑われるなど、実存した前列が過去に無かったのだから。
誰もエノクが魔獣と心を通わせるとは知らない。
つまり、この現状は周囲には違う捉え方をされる。
魔獣が急接近し、エノクに覆い被さるように立つ姿から考えられることは一つ。
全員はエノクが襲われていると勘違いされる。
思考がその予想に至ったとき、受験生たちの悲鳴が広間を叩いた。
トカゲの向こう側は阿鼻喚叫の地獄、雑踏の音がしている。
慌てる人々の様に、トカゲが眉を顰めて首を横に振っていた。
『この高貴な姿に何つー反応してんだ』
「いや、普通の反応。……やっちまった」
『これだから人間は……どいつもこいつも人間を食うと勘違いしやがって』
「え?」
トカゲの言葉に聞き捨てならない部分があった。
エノクがそれを聞き返そうとして、トカゲの突きだされた鼻先に顔を殴られて転がる。
『ったく、貧弱なやつだな。おまえら食ったって腹の足しにならねぇよ』
「酷いですね」
『特におまえは固くて潮臭くて嫌だ』
「酷いですね!?」
思わぬ酷評にエノクは不平を糾す。
食べられるのは嫌だとしても、食前に不味いと言われて少し癪だった。
小声で文句を垂れて上体を起こす。そこで漸く逃げ惑う受験者たちが見えた。
顔面蒼白となって貴族家の子供が一斉に退避する。アレイトは失神して倒れていた。
カスミは――拳を掲げ、さも親の敵を前にしたような険相でトカゲを睨んでいた。
「エノクから離れろ、魔物め!」
トカゲに投げかける声もまた剣呑だった。
誰もが恐怖する魔獣を前に敢然と立ち向かっている。
カスミの胆力は、普通の子供とは全く違う。怖い物知らずなのではない、どこか修羅じみた気迫を感じさせる。
受験生の中では異質だったが、その意味が最初とは異なる様相を見せた。
ふと。
エノクの視界でカスミとは別に異彩を放つ人物がいた。
動じずに穏やかな眼差しでエノクを見る僧衣の男である。
身構えることもせず、ただ燭台の火を一瞥して手元の名簿に何かを書き付けていた。
「よし、エノク。その魔獣を退かせろ」
「え?」
「命令して離脱させることは可能か?」
訊ねる言葉を変える僧衣の男の再質問。
エノクは喫驚で沈黙した。
この僧衣の男は、まるで……エノクの能力を既知だったような対応である。その上で、当然のごとく魔獣の誘導まで一任した。
当惑しつつも、エノクはトカゲに向き直る。
「すみません。皆が驚いているので……」
『消えろ、ってか』
「呼び止めといて申し訳ないですが」
『ふーん……ま、また今度話そうや』
トカゲが両翼を広げる。
優に船の帆を超える大きさがあった。それが空気を孕んでしなる。
エノクがその美観に息を飲んでいる間に羽ばたいた。
一度だけ翼で空気を叩いただけで、高い上空まで上がっている。
『じゃあな、ガキんちょ』
「ありがとうございました!」
叫びながら手を振る。
トカゲは応えるように尻尾を振って、そのまま北の空へと泳いでいく。青い空を蛇行する姿は、まるで水面を滑る蛇に似ていた。
銀の鱗のひらめきが遠く霞んだのを見送ったエノクは、僧衣の男に視線を遣った。
「整列する。戻れ、エノク」
「あ、はい!」
促されて、エノクは元いた位置に戻った。
まだ怯えて遠巻きに帰って来ない受験生たちの視線で居たたまれない。
カスミはエノクをじっと見ていた。
「カスミ?」
「……いや、何でもない。失礼した」
カスミが隣に並ぶ。
魔獣が去って混乱が収まると、失神したアレイトを抱える取り巻き二人を先頭に受験生が戻る。乱れていた列が整えられた。
僧衣の男が咳払いする。
魔獣の登場で恐怖し、掻き乱された受験生たちの心を労ろうとする優しい眼差しで全員を見回す。
その口からみんなを救う優しい言葉がかけ――。
「これで魔力検査は終了だ。次は筆記試験の会場に向かう」
――られなかった。
あれだけのことがあって、そのまま常軌運転で試験を再始動させる男のやり方に、受験生一同が絶句した。
エノクはその後、無事に二つの試験をクリアした。
筆記は入念に勉強した成果が出て試験用紙が白紙にはならず、体力試験では並外れた筋力を遺憾なくふるって他を圧倒した。
エノクとしては無難な成績になるだろうと予測している。
その後、ベルソートと合流して島の港にある宿に泊まった。
ちらと見たカスミに迎えがないことに疑念を抱きながら、試験結果に想いを馳せる。あとは失格による死刑だけが無いことを祈った。
だが。
もちろん、彼は知らない。
失格どころか、その成績がまた波乱の種になっていることを。
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