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子猫

書きたかったハイファンタジーです。


立ち寄ってみてください。

どうぞ。


登校まで、あと三話。



 遥かな北の海を見る大地がある。

 雲の影が直下に落ちて流れる青空の下に潮騒の囁き。

 山頂に雪の(よそお)いを得た山岳部に囲われ、潺湲(せんかん)と流れる二つの渓流が海まで続く。

 挟まれて海際に形成された扇状地には、漁港と慎ましい村が営まれていた。

 村は吹けば飛びそうな藁葺きの小屋が建ち並ぶ儚い風致に反し、港だけは堤防も拵えた頑強な普請となっている。

 それは言葉もなく波を阻み、また漁民の熱意を示す壁として働いていた。


 そんな港に停まる船の一隻。

 一人の少年が黙々と作業をしていた。

 鋭い冬の陽射しに照らされ、荒々しく港に打ち付けた波飛沫が起こした乱反射が網膜に突き刺さる。今日の潮騒は一段と騒々しい。

 目を逸らすように船乗り見習いの少年――エノクは空を振り仰ぐ。

 短く刈った黄土色の毛先は水の珠が付き、常に鋭さを帯びる黒い瞳は涙を流したように濡れていた。水を受けた顔は、逞しいといえば聞こえはよく、実際は世に不審者と後ろ指を差される面構えだった。


「陽が暖かいな」


 波に揺れる船上で、船尾に垂れる網を引き揚げていた。

 生者を拒むような冷たい海水もさることながら、風もまた厳冬の寒気を容赦なく濡れた手元に叩きつけられる。

 いかに海に携わる者とはいえ、中々に堪える冷たさだった。

 足元を苛む揺れに耐えて両足で床を(つか)む。

 漁で長時間も足元が不安定な環境には慣れて、平衡感覚は鍛えられている。

 ただ、港といえど船底を打擲する波の強さが尋常ではなかった。

 跳ね上がる船体に、さしものエノクも(しが)み付くしかない。作業が数呼吸の間隔で中断させられることに煩悶しかなかった。


 晴天にも関わらず突風が吹き(すさ)ぶ異常気象で、大人も今日は休んでいる。この様子なら今宵の漁も不可能だろう。

 嵐が来る気配ではなかったのに、海は荒れ狂っていた。

 前回の漁で破れた網の修繕のため、休日であってもエノクは船に乗り込んだ。

 見習いには当然の仕事である。

 港に打ち寄せる波飛沫が視界を飛び交う。顔を乱打するそれらに堪えて作業を続けた。


「今日出てたら即死だな」


 ここはリューデンベルク王国北端の漁村。

 年じゅう寒冷な気候だが海と山の幸に恵まれた豊かな土地、というのが唯一の強味だった。その脆弱な好印象すらも瓦解させる突風に、エノクも顔を険しくする。これでは狩りも漁もままならない。

 特に総勢五十人が暮らす辺境で、海の幸が村の経済の主力である。

 その中でも海の男たちは尊敬され、村中に憧憬される。それはエノクもまた然り。

 齢十ながらに大人に混じって仕事をするので、同年代からは尊敬されていた。人相の悪さは本人も否めないが、心根は花を愛でる趣味のある優しい人柄である。

 外見を裏切る穏やかな性格もあってか、子供には滅法好かれており、いつか彼と同じ船乗りになると意気込む小さな意思の萌芽が村を活気付かせていた。


 しかし。

 エノクは溜め息をつく。

 実態はこき使われているだけで、まだ本格的な仕事はしていない。

 今もただ修繕の為に、網を引き揚げさせられている。これが村の経済に関わるとあって蔑ろにできない。

 エノクは大人が数人がかりで持ち上げるのにも苦慮する網を一人で手繰り寄せていた。

 細身でありながら大人と腕相撲で敗け無しの戦績を持っているだけはあった。それが唯一の自負ともいえる。人並み外れた腕力で黙々と颯爽と網を船上に回収した。

 早く回収して修繕を完了したら、友達の家で約束した昼の馳走が待っている。楽しみな後事に顔を綻ばせて、手元の作業速度を加速させる。

 ――その時だった。


「ん?何だ、これ」


 引き揚げた網に、丸い塊が付いていた。

 貝かと訝ってわし(づか)みにすると、柔らかい感触だった。新種の魚かとも予測したが、手応えから骨格が明らかに魚類とは異なる。

 手拭いを取り出して、それを丁寧に拭った。

 水分が取れると、先刻よりも一回り大きくなった。いや、膨らんだ、白い毛玉だった。

 水で重たくなって毛が(しぼ)んでいたらしい。

 エノクが手元の物体を凝視していると、丸かった形が崩れていく。


 それは――猫に似た奇妙な生き物だった。

 頭頂で鋭角を作る二つの黒い耳と紅い瞳、顔の外観は猫そのもの。

 ただ違和感がある。

 豊かな銀の体毛は、毛先だけが虹色に微光している。尾に関しては文筆のような形に大きく膨らんでおり、先端に流れていくに連れて深い群青色に染まって、一部は星空のように光の斑点模様が明滅していた。

 これだけならば、毛むくじゃらで模様の珍しい猫。

 しかし、エノクの知る猫と違うのは――。

 側頭部から生えた一対の黒い角があり、牛に似て湾曲した形状を取る。更に体毛とは別に青い背ビレが波打っていた。

 そもそも猫は角など無いし、況してや好物の魚と同じヒレがある訳も無い。


「ヒレがある……く、食えるのか?」


 エノクは、その奇っ怪な生き物を睨む。

 怪しい猫は、欠伸を一つするとエノクの掌の上で再び丸まった。よく見れば掌中に収まる、子猫と同じ矮躯だった。

 ――港から転落して網に引っ掛かったのか?

 子猫が海にいた原因を思索するも、エノクは答えが見付からずに項垂れた。

 考えている間に、胡座を掻いたエノクの膝に子猫が顔を埋めて眠っている。冷えた体を癒すのに人の体温が心地好いのか、断固として離れようとしない。

 それが愛らしく見えて、エノクは子猫を撫でた。


「……どうするかな、こいつ」


 エノクは改めて現状を確認する。

 網を修繕すべく回収していた途中であった。明日までには完了させたい仕事だ。

 しかし、子猫は離れようとしない。これでは網の引き揚げ作業の続行も難しい。それに、海で冷えた体をこのまま潮風に晒させるのは(こく)である。

 自身が救った一命とあって、これもぞんざいには扱えない。


「うーん、家で飼えるかな?」

『んみゃ?』


 エノクは子猫を抱え上げ、船から港へ飛び降りた。

 風に煽られて転倒しかけながらも、家を目指して歩き出す。




 その日から。

 家族の了承を得て、その子猫を飼い始めた。

 尻尾の模様に因んで、この地方で星空を意味する『レイナル』と命名した。

 世話を見るときは妹と共に可愛がっている。最初は羊の乳をやって育て、大きくなってからは魚を与えた。当然、食費はエノクが負担した。

 子猫だったのは少しの間だけで、半年で子虎に相当する体躯まで成長している。


 そしてエノクは十一歳になった。

 村の近くの草原で、レイナルと戯れていた。

 無邪気に絡み付いて甘噛みをしてくる顔を必死に(かわ)して、その刈れば布団一式を拵えられそうな柔らかい毛を堪能する。

 虹色を宿す豊かな銀毛の毛先を揺らし、猫にしては些か面長な鼻先を擦り付けてくる。

 手足は華奢で獣というには不遜な美しさがあるが、鋭利な牙や爪はレイナルに残る獰猛な獣性を示していた。


 容貌が猫か犬か判じがたい成長を遂げた。

 その奇異なる姿と雰囲気が相俟って猟では期待できないかと思われたが、村の男衆に混じって山に入ったときには誰よりも立派な獲物を仕留めてきた。

 レイナルの力は、すでに大人でも御せないほどある。また、他人の命令も取り合わない気位の高さ。

 相手ができるのは村でもエノクだけだ。


「おい、レイナル。また大きくなったな」

『ぐるるるる』


 頭を撫でると、レイナルが喉を鳴らす。

 あれから近くの町へ行く仕入れ番の老翁に注文し、図鑑などを取り寄せて調べた。

 それでもレイナルと同じような種類は動物にはいなかった。世には『魔獣』もいるが、人を食らうとあって魚を大層好むレイナルとは違うと断定して調査していない。

 外見から、既存の動物とは明らかに異質。

 人を背に乗せられる体高もある今、不思議なのは子猫の頃から摂食量に差がないことである。

 家畜を養う人々に訊ねても、体格や力に合わせて餌の量も増すと聞き及んでいた。

 この強い体を維持するのに、相当な栄養(エネルギー)を要する筈である。


 エノクは両手でレイナルの顔を挟み込んだ。

 指の隙間からこぼれる柔らかい毛、獰猛さと知性の光を宿した紅い瞳と正面から見詰め合う。


「お前、本当は港で盗み食いでもしてるのか~?」


 がうっ!

 吼えられて、エノクは固まる。

 その隙に、再びレイナルは上から()しかかった。下敷きにされた主人の少年の頭を舐め回す。

 悲鳴を上げて抵抗するも、飼い猫の力の前に文字通りひれ伏すしかなかった。

 もう重量も、エノク以上はある。それなのに、羚羊さながらに険しい山地を軽やかに駆け回ったりする。彼が来てから猟の収穫量も大きく増した。

 つまり、その実力がエノクを拘束するのに発揮されている。敵うわけがなかった。

 そこへ様子を見に来た少女が、呆れ顔でエノクを見下ろす。


「レイナル、そろそろ兄さんを解放して下さい」


 少女の声を聞いたレイナルは、不承不承と唸り声を上げつつ退いた。

 大型獣による体圧から解放されて跳ね起きたエノクは、呼吸を整えながら振り返る。昂然と立つ少女の姿を目にして、安堵の表情を浮かべた。


「助かったよ、メリー」

「いえ、これくらい当然です」


 兄の無様に妹――メリーは口許に冷笑を湛えていた。

 ()いた水色の長い髪を編み、肩に流している。青い双眸は円らで庇護欲をくすぐる優しさを湛えているが、エノクも人懐っこさとは真逆な笑みしか(ほとん)ど見たことがない。 

 簡素な貫頭衣の腰元を紐で絞り、ワンピースのような仕様にした着回しは、最近村で女性に流行りの風采だ。

 将来は村一番の別嬪(べっぴん)と期待されるメリーは、子供達の界隈でも異彩を放っていた。それは、()()()()()()兄であるエノクすら息を呑んでしまうほどの美貌である。


「兄さん、そういえば聞きましたか?」

「何をだ?」

「最近、近くの村が次々と……その、壊滅しているそうです」

「怖いな……盗賊?」


 メリーは首を横に振る。

 的外れな回答を予測していたのか、また嗤っている。それが癪に思えて、エノクは真剣に思考を巡らせた。

 この一帯は豊かな土地だが、盗賊による蛮行などは一切耳に届かない安穏とした地域である。そんな風土で村が壊滅する要因など皆目見当もつかない。

 近寄ってきたレイナルを撫でながら、エノクは空を見上げて答えを捻出する。


「じゃあ、他国からの侵攻」

「この平和な時代にですか」

「自然災害!」

「残念」

「内輪揉め?」

「近隣で一斉にですか、無いですね」

「まさか、山の怒り!」

「自然災害は否定しましたよね、この愚兄」

「なッ……愚兄!?」


 冷たい態度にエノクは二の句を継ごうとするが、その前に解答に辿り着けない諦念が持ち上がって項垂れた。

 ことごとく空振りに終わって、また無様を晒したのだ。多分、またメリーは嗤っている。


「わからん」

「実は、魔獣の仕業と言われています。死体は全部食べ散らかされているとか」

「狂暴なヤツだな。レイナルみたく大人し……いたた、噛むなよ!?」


 腕に噛み付いたレイナルを引き剥がす。

 エノクは激痛に絶叫を堪え、それでも叱らずに細やかな仕返しとして顔の毛を掻き乱してやった。首を振って抵抗するが、レイナルも満更ではない様子で喉を鳴らす。

 メリーも二人の仲睦まじさに相好を崩した。


「それにしても物騒だな。次はこの村も……」

「いずれ襲われる可能性があります。ですがご安心を」

「え、まさかメリーが頑張るとか?」

「お戯れを。……王都から討伐隊が派遣されて、もうこちらに来ているそうです」


 胸を張るメリーに、エノクも安心する。

 近辺の村を襲撃する魔獣、その脅威を危険視した王国が討伐隊を編成して、既にこちらを目指して進行中。その一報があれば、怯えるだけの生活を送らずに漁を続けられる。

 安穏な北部に不吉な影が蠢く。

 そんな気配は、大人から聞く話でもこの数十年で一度もなかった。ここ最近は大人たちも怯えている。事情を知らないエノクでも、メリーからの伝達事項に納得した。

 魔獣が来る前に、討伐隊の手にかかって欲しい。

 平和が崩れないことを祈るように、エノクは空を見た。


 ――ぐるるっ。


 レイナルは、不快そうに喉を鳴らした。


 昂然と胸を張っていたメリーは、何かを思い出したように目を見開く。

 今度は後ろから圧してくるレイナルに、背中で押して対抗していたエノクも機敏に表情の変化を看取する。一瞬気が緩んだ隙に押し負けて、また倒された。


「討伐隊とは別件ですが、魔法使いのお爺さんが来ています」

「何?魔法使い?」

「はい、何やら地方を放浪している高名なお方だとか」

「高名って、放浪してる爺の冗談だろ」

「でも、父さんも知っている名うてだとか。父さんの判断で、今晩は私たちの家に泊めるそうです」


 エノクは我知らず険相になった。

 閉鎖的でもないし、排他的でもない村だが、滅多に旅人が訪ねない僻地のまた奥の僻地。そんな田舎に、放浪でやって来る人間、それも魔法使いがいるのだろうか。

 暗い底意があるかと勘繰ってしまう。

 そんなエノクの心配を悟ったのか、メリーが微笑む。彼女にしては優しそうな笑顔だった。


「大丈夫です。何かあればレイナルもいますし」

「俺や親父じゃなくて、レイナル頼みかよ」


 がう?

 レイナルが首を傾げた。


「ま、その魔法使いの爺とやらの顔を見に行くか」


 エノクは膝を叩いて立ち上がる。

 メリーを持ち上げて、まとわり付くレイナルの背中に乗せた。一瞬だけ小さな悲鳴を上げた後、乗せられた彼女が顔を赤らめてエノクを睨め上げる。

 それを笑って流して、エノクは進もうとした。


「ほう、恐ろしい魔獣を連れとるな」


 家路を辿ろうとした二人と一匹。

 その耳が(しわが)れた声を拾った。

 驚いた二人が周囲を見回して探すと、声は頭上から再び降りてきた。


「ここじゃて、ここ」


 頭上から声?

 訝って空を振り仰いだ二人は、次の瞬間に驚愕で表情を固める。見上げたレイナルが、途端に牙を剥き出しにして剣呑な唸り声を上げた。

 見上げた先。

 雲の流れる青空を背に、奇妙な影が浮かんでいる。


「興味深いのう、小僧」


 そこに、空に浮く老人を見出だしてエノクは絶句した。





次。


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